本の手持ちが少なくなってきたため、土曜日には食料品の買い出しのついでにブックオフへ寄り5冊買ってきました。そのうちの1冊を昨日から読んでいます。これです。その第三章「将棋の才能とは何か」ではこの人(女性の方)の著書からの引用として、こちらのブログ記事で紹介されている6分野がそっくりそのまま掲載されています。それらのうちで自分に当てはまるのはせいぜい「他者と違うことを気にしない」や「特定の興味のある分野に対しての幅広い読書」ぐらいかな(他に自惚れ気味ながら「一人で物事を考えられる」と「ユーモアのセンスがある」も該当する?)と思いました。(芸術への嗜好は人並み以上でも自分で表現する能力は明らかに欠如しているし、リーダーシップはないに等しい。)
ここからが言いたいことですが、もし少年時代の自分に何らかの才能があったとして、それを見出して伸ばそうとしてくれるような教育者には残念ながら一人として巡り合えませんでした。むしろ小中の教師には「こいつを何とかして矯正させなければならない」という悪しき意味での使命感を抱いていたとしか思えない教師が複数いました。もちろん例外なく大嫌いでした。(幸いにも高校からはそういう不愉快な思いをせずに済みましたが。)ちなみに、その中の最悪の一人が最終学年の担任だったため、同窓会の案内が届いても(注)断固無視することに決めていました。あるいは私の与り知らないところで開催されていたのかもしれませんが(苦笑)。(注:その当時の担任が十数年前にS川を渡ったと風の噂で知ったので、そのリスクはかなり減ったと思います。)あと「原子爆弾」という異名を持ち、今だったら一発アウトの暴言や体罰を頻繁に行っていた教師が担任だった2年間も苦痛でしかありませんでした。後年その男が市の教育長になったと聞いて「世も末だ」と嘆いたことをよく憶えています。(そういえば大学時代には「奨学金を返さなくてもいいから」という理由で教職課程を取ると言い放った同級生がおり、「そんなんが教師を志すんだから (不適格者が一定数生産されるのも) 無理はないわな」と思ったことも。)
既に暴走気味なのを自覚しているので、これを最終段落とするつもりですが、もし過去に戻れるとしたら、そういう連中に「自分の理解が及ばない生徒には下手に指導をするな。少なくとも足を引っ張るような真似だけは絶対に止めとけ。」と言ってやりたいです。おそらく今も学校で才能の芽を摘まれている子供がいるはずと考えたら胸が痛みます。
ここからが言いたいことですが、もし少年時代の自分に何らかの才能があったとして、それを見出して伸ばそうとしてくれるような教育者には残念ながら一人として巡り合えませんでした。むしろ小中の教師には「こいつを何とかして矯正させなければならない」という悪しき意味での使命感を抱いていたとしか思えない教師が複数いました。もちろん例外なく大嫌いでした。(幸いにも高校からはそういう不愉快な思いをせずに済みましたが。)ちなみに、その中の最悪の一人が最終学年の担任だったため、同窓会の案内が届いても(注)断固無視することに決めていました。あるいは私の与り知らないところで開催されていたのかもしれませんが(苦笑)。(注:その当時の担任が十数年前にS川を渡ったと風の噂で知ったので、そのリスクはかなり減ったと思います。)あと「原子爆弾」という異名を持ち、今だったら一発アウトの暴言や体罰を頻繁に行っていた教師が担任だった2年間も苦痛でしかありませんでした。後年その男が市の教育長になったと聞いて「世も末だ」と嘆いたことをよく憶えています。(そういえば大学時代には「奨学金を返さなくてもいいから」という理由で教職課程を取ると言い放った同級生がおり、「そんなんが教師を志すんだから (不適格者が一定数生産されるのも) 無理はないわな」と思ったことも。)
既に暴走気味なのを自覚しているので、これを最終段落とするつもりですが、もし過去に戻れるとしたら、そういう連中に「自分の理解が及ばない生徒には下手に指導をするな。少なくとも足を引っ張るような真似だけは絶対に止めとけ。」と言ってやりたいです。おそらく今も学校で才能の芽を摘まれている子供がいるはずと考えたら胸が痛みます。
ぼっち
2023-06-01 | 番外
先週起こった凄惨な事件に関する記事で最近よく目にする言葉ですが、自分には思い当たることが多々あるので書いてみる気になりました。
高校入学から数ヶ月後、少し嫌な目に遭いました。(決して安くないものを盗まれました。)今思うにそれが切っ掛けで心を閉ざすようになったのかもしれません。翌年になると自分が完全に浮いているのを否が応でも認めざるを得なくなりました。休み時間にクラスのあちこちが人気テレビ番組や流行歌などの話題で盛り上がっていても「何が面白いんだろう?」と冷ややかな目で眺めるだけ。そのうちごく数人を除いて誰とも口を利かなくなりました。そういえば月一の席替えの日のこと、級長が私の姓を捩って黒板に「ブキミ」と書いたことがありました。(大学院生時代にその話を研究室の後輩にしたら「それってイジメじゃないんですか?」と訊かれました。しかし、校則がルーズな割に非行やイジメとは (私が知る限り) 無縁の高校だったこともあり、当時の自分にも、おそらく笑いを取ろうとしてそう書いた級長にもそのような意識は全くなかったはず。彼を恨む気持ちは一度たりとも抱いたことはなく、ただクソしょーもない奴と思っただけです。)ついでに高2の修学旅行時の思い出ですが、私ともう一人だけが宿で観ていたテレビ番組(NHK教育の数学講座)の解説に何度も笑い転げるということもあったっけ。(そして周囲はポカンとしていました。)ちなみに後で判ったことには、その男は関東の地方国立大学で私と同じ職業に就いていました。
親元を離れて大学に入った後も周囲との埋めがたい溝の深さを意識する毎日。必要のある場合を除いて会話するのは片手の指以下の人数でした。昼食はいつも学食で一人。それがいつしか生協の惣菜パンを空っぽの講義室で食べるようになり、研究室に配属された4年目からは自炊の弁当を持参するようになりました。それでも中退するどころか博士課程まで終えることができたのは、許容量を超えるほど不快な目に遭わずに済んだこと and/or 自分の鈍感力のお陰だろうと思っています。
そんな自分ゆえ、40代早々には「おひとりさま」で一生を終えるだろうと私は確信していました。その読みが外れて(注)、というか縁あって外国人女性のパートナーを得ましたので、「神が決めたその日」まで二人一緒に暮らすことになります。(注:たぶん大昔の日記に書いていたはずですが、上野千鶴子の本でも買ってそろそろその準備でも始めようかと考えていた矢先にLindaと知り合ったのでした。)けれど鬱陶しくて仕方がない親戚付き合いや近所付き合いは最小限にとどめたい。(ただし義務感を伴うものや、自治会役員のように誰かが引き受けなければならないし、早かれ遅かれいつか回ってくるものは別です。受けた以上手抜きはしません。)いつの日かチャンスがあればそういうのに一切煩わされに済む所へ移り住みたいとまで考えています。
一方、職場の環境は恵まれているでしょうね。大学教員は基本的に個人事業主でお互い不干渉だし、同僚は個性の立った人揃いなので、余計な気配りとか本音と建前の使い分けなどで悩んだりする必要もない。自分で嫌気が差したら別ですが、定年前にストレスで辞めることはまずないです。あと趣味が同じ人との交わりは本当にいいですね。時間を忘れて話し込むことも度々でした。最近はコロナでご無沙汰ですし、NFL(アメフト)とか詰将棋ともなれば近くに同好の士を見つけることも容易ではありませんが(苦笑)。
・・・・などど結局グダグダ書くだけに終わった感もありますが、今改めて私が幸いだったと思うのは、一人でいる時間が圧倒的に多かったにせよ、それに全く苦痛を感じない人間だったということです。(本やパズルの類があれば決して退屈しませんからね。)これもどこかに書いているかもしれませんが、「一人」と「孤独」はあくまで別物です。一人の時に孤独感はなく、私にとって孤独はむしろ大勢の中で感じる(人が多ければ多いほど増す)ものでした。
高校入学から数ヶ月後、少し嫌な目に遭いました。(決して安くないものを盗まれました。)今思うにそれが切っ掛けで心を閉ざすようになったのかもしれません。翌年になると自分が完全に浮いているのを否が応でも認めざるを得なくなりました。休み時間にクラスのあちこちが人気テレビ番組や流行歌などの話題で盛り上がっていても「何が面白いんだろう?」と冷ややかな目で眺めるだけ。そのうちごく数人を除いて誰とも口を利かなくなりました。そういえば月一の席替えの日のこと、級長が私の姓を捩って黒板に「ブキミ」と書いたことがありました。(大学院生時代にその話を研究室の後輩にしたら「それってイジメじゃないんですか?」と訊かれました。しかし、校則がルーズな割に非行やイジメとは (私が知る限り) 無縁の高校だったこともあり、当時の自分にも、おそらく笑いを取ろうとしてそう書いた級長にもそのような意識は全くなかったはず。彼を恨む気持ちは一度たりとも抱いたことはなく、ただクソしょーもない奴と思っただけです。)ついでに高2の修学旅行時の思い出ですが、私ともう一人だけが宿で観ていたテレビ番組(NHK教育の数学講座)の解説に何度も笑い転げるということもあったっけ。(そして周囲はポカンとしていました。)ちなみに後で判ったことには、その男は関東の地方国立大学で私と同じ職業に就いていました。
親元を離れて大学に入った後も周囲との埋めがたい溝の深さを意識する毎日。必要のある場合を除いて会話するのは片手の指以下の人数でした。昼食はいつも学食で一人。それがいつしか生協の惣菜パンを空っぽの講義室で食べるようになり、研究室に配属された4年目からは自炊の弁当を持参するようになりました。それでも中退するどころか博士課程まで終えることができたのは、許容量を超えるほど不快な目に遭わずに済んだこと and/or 自分の鈍感力のお陰だろうと思っています。
そんな自分ゆえ、40代早々には「おひとりさま」で一生を終えるだろうと私は確信していました。その読みが外れて(注)、というか縁あって外国人女性のパートナーを得ましたので、「神が決めたその日」まで二人一緒に暮らすことになります。(注:たぶん大昔の日記に書いていたはずですが、上野千鶴子の本でも買ってそろそろその準備でも始めようかと考えていた矢先にLindaと知り合ったのでした。)けれど鬱陶しくて仕方がない親戚付き合いや近所付き合いは最小限にとどめたい。(ただし義務感を伴うものや、自治会役員のように誰かが引き受けなければならないし、早かれ遅かれいつか回ってくるものは別です。受けた以上手抜きはしません。)いつの日かチャンスがあればそういうのに一切煩わされに済む所へ移り住みたいとまで考えています。
一方、職場の環境は恵まれているでしょうね。大学教員は基本的に個人事業主でお互い不干渉だし、同僚は個性の立った人揃いなので、余計な気配りとか本音と建前の使い分けなどで悩んだりする必要もない。自分で嫌気が差したら別ですが、定年前にストレスで辞めることはまずないです。あと趣味が同じ人との交わりは本当にいいですね。時間を忘れて話し込むことも度々でした。最近はコロナでご無沙汰ですし、NFL(アメフト)とか詰将棋ともなれば近くに同好の士を見つけることも容易ではありませんが(苦笑)。
・・・・などど結局グダグダ書くだけに終わった感もありますが、今改めて私が幸いだったと思うのは、一人でいる時間が圧倒的に多かったにせよ、それに全く苦痛を感じない人間だったということです。(本やパズルの類があれば決して退屈しませんからね。)これもどこかに書いているかもしれませんが、「一人」と「孤独」はあくまで別物です。一人の時に孤独感はなく、私にとって孤独はむしろ大勢の中で感じる(人が多ければ多いほど増す)ものでした。
ちょっと前のことですが、ある人から「SNS見てますよ」と言われて面食らったことがあります。「あれっ、自分はSNSやってたのか?」と。ブログは別物だと思っていたので。で調べてみたら、やはりこちらにある通りでした。
ちなみにFacebookもTwitterもアカウントは持ってますが、滅多に投稿しません。やはり字数を気にすることなくマイペースで更新できるこっちの方が断然性に合ってますから。閲覧数、訪問者数、そしてフォロワーが増えなくても別に構いません。そもそも開設の動機は、私とLindaの結婚に至るまでがスリリングだったので、それを記録しておきたいというものでした。そして今も過去記事の写真を眺めて「○年前のこの日にはこういうことがあったのか」と振り返ったりしますから、一種のアルバム代わりといえます。さらに・・・・・
農作物の名前でキーワード検索し、ヒットした記事から種播き、植付けや収穫などの日付が判るのも便利。つまり最近は農作業日誌としても活用しています。
ちなみにFacebookもTwitterもアカウントは持ってますが、滅多に投稿しません。やはり字数を気にすることなくマイペースで更新できるこっちの方が断然性に合ってますから。閲覧数、訪問者数、そしてフォロワーが増えなくても別に構いません。そもそも開設の動機は、私とLindaの結婚に至るまでがスリリングだったので、それを記録しておきたいというものでした。そして今も過去記事の写真を眺めて「○年前のこの日にはこういうことがあったのか」と振り返ったりしますから、一種のアルバム代わりといえます。さらに・・・・・
農作物の名前でキーワード検索し、ヒットした記事から種播き、植付けや収穫などの日付が判るのも便利。つまり最近は農作業日誌としても活用しています。
文法とか動詞の活用はそれほどでもないのですが、英語には以前からその綴りや発音の理不尽さが腹に据えかねているため不満をブログ上で何度もぶちまけてきました。(その一例としてこちらの別ブログ記事を上げておきます。)そして先週からはABC(米)とBBC(英)のニュースで「インダイト」(告訴する)、「インダイトメント」(告訴)という言葉をたびたび耳にするようになりました。私がそれらの単語を初めて耳にしたのは、ここで触れている米国の人気連続ドラマ「フレンズ」のBlu-rayディスク視聴時だったと記憶していますが、字幕(注)を見て誤植じゃないかと思ったはずです。(注:スペイン語も同様でしたが、聞き取りトレーニングのため敢えて英語を選んでいました。)知らなかったら "indict" や "indictment" なんて誰が書けるでしょうか?
調べて見つけた解説はこちら、そして頻繁に登場する原因を作った人物の名は6年前の記事に貼った画像の下に出ています。
調べて見つけた解説はこちら、そして頻繁に登場する原因を作った人物の名は6年前の記事に貼った画像の下に出ています。
私は中学の国語の授業で日本語の文法を学んだと記憶しています。「動詞には五段活用、上一段活用、下一段活用があり・・・・・」等々。けれども日本語教室で使っている「みんなの日本語初級1」というテキストではそういう教え方はしません。(この件に関し、こちらに国文法と日本語文法が別物であるという解説が出ています。ご参考まで。)規則的な後の二つはともかく、五段活用動詞は例えば「飲ま(a)ない」→「飲み(i)ます」→「飲む(u)」→「飲め(e)」→「飲も(o)う」と口ずさんでいる内に覚えられるので好都合と思えるのですが・・・・・でもそれだといろんな活用形がいっぺんに出てきて学習者(外国人)の記憶容量がパンクしてしまう。それゆえ、第14課で動詞の「て形」を扱った後は、「ない形」(第17課)、「辞書形」(第18課)、「た形」(第19課)が一つずつ登場し、それぞれⅠ動詞(五段活用)、Ⅱ動詞(上&下一段活用)、そしてⅢ動詞(「します」と「来ます」)で活用が違うというように教えます。(ちなみに「意向形」(飲もう) と「命令形」(飲め) が出てくるのは初級2のそれぞれ第31課と第33課です。)例えばこんな感じで。
ところで先の「て形」は初級1のまさに「山場」「峠」といっていいほどの難所。ここから急に難しくなったと感じる生徒さんも少なくありません。規則的なⅡ動詞と数の少ないⅢ動詞は比較的すんなり習得してもらえるのですが、問題なのがⅠ動詞。そもそも見ただけではⅠ動詞なのかⅡ動詞なのかが判別できないし、前者の「て形」は動詞の語幹(丁寧形「〜ます」の「ます」の直前)の音によって異なるのがややこしい。この画像のようにグループ化はできるんですけど。(以下は余談ですが、こちらの分類では一つ欠けています。それは「に」なのですが、実は (方言は別として)「〜にます」という動詞は一つしかありません。それも縁起が悪いということで外したのでしょうね。外国人が「○んでください」のような言い回しを使う機会はまずないはずですし。)それを覚えるための替え歌もいくつか存在するみたいです。
閑話休題。それで初級2に入っても「飲みて」「歩きて」「手伝いて」のような言い間違いを耳にすることはしょっちゅうです。(やはりある程度年齢のいった生徒さんに多く、ベトナムなどから来た技能実習生にはほとんどありません。)その度に直していると「難しすぎる」という不平不満の声が漏れることもありますが、その場合には「みなさんの国の言葉でも不規則な活用をする動詞がたくさんありますね。私も苦労をしましたよ。」と言って理解を求めることにしています。
が、私はある日ふと気が付きました。間違いだったとしても大抵は前後関係から意味が取れるため実害はないし、受ける違和感もさほど大したものではないということに。皆さんも「行きて(往きて)」「帰りて」「遊びて」、さらに「謂ひて曰く」などを古文や漢文の授業で見聞きしていたのではありませんか? つまり古語(の連用形)と思って聞けばいちいち目くじらを立てるほどのことはない。これからは少しぐらい大目に見てもいいかな、と考えたのでした。
しかしながら、物事にはやはり限度というものがあります。「Ⅰ動詞の活用をⅡ動詞と同じにしてしまえ」というのはさすがに暴論でしょう。日本語には同音異義語がやたらと多いですから、例えば「置きます」(Ⅰ)と「起きます」(Ⅱ)、あるいは「行きます」(Ⅰ)と「生きます」(Ⅱ)が耳では区別できなくなってしまうため混乱や誤解が生じるのは必至。もし後者で「もう行きないでください」などと口にしようものなら一騒動が持ち上がりかねません(苦笑)。
追記
国文法で形容詞および形容動詞として扱われている品詞は日本語文法ではそれぞれ「い形容詞」と「な形容詞」なのですが、その活用も結構厄介のようです。それが過去形や否定形になると尚更。「おいしいでした」「おいしいじゃありません」のように語尾の「です」を変えるのでなく、その前にある形容詞自体を活用して「おいしかったです」「おいしくないです」とするべきなのに、それがなかなかスムーズには出てこない。(ついでながら「な形容詞」の場合は「きれいじゃありません」「きれいじゃないです」のように両方ともアリです。ただし初級学習者には「きれくないです」「きれいくないです」といった誤りが頻発します。「きれい」「きらい」「ゆうめい」などを見た目に引っ張られて「い形容詞」だと認識してしまうためです。)両者を組み合わせて最初から「おいしくなかったです」と言える生徒さんはむしろ少数です。(そういえば早口言葉じゃないのに「あたたかかったです」がどうしても言えない人がいて、アニメ「北斗の拳」をつい思い出して一人笑いしたこともありました。こちらは「あたたかくなかったです」の方がまだしも言いやすいみたいです。)
一方「な形容詞」でも耳に違和感がこびり付いたことを思い出します。私が大学院生だった頃、ある留学生さんが来日後少し経ってから日本語を話し始めたのですが、たしか「きれいだです」「べんりだです」といった妙な言い方をよくしていました(注)。これが過去形で「〇〇だったです」だったらひとまずOKですが・・・・で、尋ねてみたら大学の日本語教育センターでそのように教わったとのこと。もしかしたら正しく使いこなすのは困難だろうとの配慮で形容詞部分を固定するという実用的というか便宜的な活用法を考案したのかもしれませんが、明らかな誤りを教えるというのはいかがなものか? 私には端から教育を放棄しているとしか思えませんでした。(注:先述した「みんなの日本語」シリーズが誕生する前の話です。ネットで探しても見つかりませんから絶滅したのでしょう。)
ここからは完全に「おまけ」なのですが、私は話し言葉や拙ブログの記事で「おいしかったです」のような言い回しを使うことはあっても書き言葉ではなるべく回避したい。(語感が汚い上に見た目も幼稚っぽく映りますから。さらにこちらにある通り厳密にいえば「た」「です」という助動詞の連続が文法的誤りに該当するようです。)それで「美味しいと思いました」「面白いと感じました」のような複文に書き換えたりします。ところがこちらによると既に「美しいです」「大きいです」がかつては問題視されていた言い方だったとのこと。何だか「平明・簡素な形」とやらをお情けで使わせてもらっているような気分になりました。でも、そういうのをいちいち気にしていたら日本語が書けなくなってしまうでしょうね。
追記2
「入ります」と「入れます」
「乗ります」と「乗せます」
「続きます」と「続けます」
「進みます」と「進めます」
「並びます」と「並べます」
挙げていけばキリがありませんが、このように日本語では漢字(語幹)が同じ動作でも語尾によって自動詞になったり他動詞になったりします。(検索してこちらの一覧表を見つけました。)それだけでも日本語学習者にとっては十分ややこしいはずです。
さらに、それぞれが本文で触れたⅠ動詞とⅡ動詞のどちらなのかもケースバイケース。(これが英語なら同じ動詞を使い回すことがあっても活用が変わったりはしません。またスペイン語は元から別々の動詞を当てるし、他動詞の目的語を自分自身にする「再帰用法」で自動詞的に使うこともあります。)何となくながら、自動詞にはⅠ、他動詞にはⅡが多いんじゃないかと思ったのですが、実はそんな単純な話ではありませんでした。(冒頭の例はそれに該当するものを意図して集めただけです。)
「出ます」(Ⅱ)と「出します」(Ⅰ)、「降ります」(Ⅱ)と「降ろします」(Ⅰ)のような逆パターンも予想外に多く、リンク先の表では自動詞におけるⅠとⅡの割合がほぼ3:2になっていました。また「残ります」「残します」、「回ります」「回します」、「失くなります」「失くします」はどちらもⅠだし、「見えます」「見ます」はどちらもⅡ。さらにダメ押しとして自動詞の「降ります」(Ⅱ)には同音の他動詞「折ります」(Ⅰ)まで存在することに気が付きました。
今更ながら「何と理不尽な言語だろう」と、ある意味感心してしまうほどですが、この拙稿から学習者の苦労を少しでも想像してもらえたら執筆した甲斐があったというものです。
ところで先の「て形」は初級1のまさに「山場」「峠」といっていいほどの難所。ここから急に難しくなったと感じる生徒さんも少なくありません。規則的なⅡ動詞と数の少ないⅢ動詞は比較的すんなり習得してもらえるのですが、問題なのがⅠ動詞。そもそも見ただけではⅠ動詞なのかⅡ動詞なのかが判別できないし、前者の「て形」は動詞の語幹(丁寧形「〜ます」の「ます」の直前)の音によって異なるのがややこしい。この画像のようにグループ化はできるんですけど。(以下は余談ですが、こちらの分類では一つ欠けています。それは「に」なのですが、実は (方言は別として)「〜にます」という動詞は一つしかありません。それも縁起が悪いということで外したのでしょうね。外国人が「○んでください」のような言い回しを使う機会はまずないはずですし。)それを覚えるための替え歌もいくつか存在するみたいです。
閑話休題。それで初級2に入っても「飲みて」「歩きて」「手伝いて」のような言い間違いを耳にすることはしょっちゅうです。(やはりある程度年齢のいった生徒さんに多く、ベトナムなどから来た技能実習生にはほとんどありません。)その度に直していると「難しすぎる」という不平不満の声が漏れることもありますが、その場合には「みなさんの国の言葉でも不規則な活用をする動詞がたくさんありますね。私も苦労をしましたよ。」と言って理解を求めることにしています。
が、私はある日ふと気が付きました。間違いだったとしても大抵は前後関係から意味が取れるため実害はないし、受ける違和感もさほど大したものではないということに。皆さんも「行きて(往きて)」「帰りて」「遊びて」、さらに「謂ひて曰く」などを古文や漢文の授業で見聞きしていたのではありませんか? つまり古語(の連用形)と思って聞けばいちいち目くじらを立てるほどのことはない。これからは少しぐらい大目に見てもいいかな、と考えたのでした。
しかしながら、物事にはやはり限度というものがあります。「Ⅰ動詞の活用をⅡ動詞と同じにしてしまえ」というのはさすがに暴論でしょう。日本語には同音異義語がやたらと多いですから、例えば「置きます」(Ⅰ)と「起きます」(Ⅱ)、あるいは「行きます」(Ⅰ)と「生きます」(Ⅱ)が耳では区別できなくなってしまうため混乱や誤解が生じるのは必至。もし後者で「もう行きないでください」などと口にしようものなら一騒動が持ち上がりかねません(苦笑)。
追記
国文法で形容詞および形容動詞として扱われている品詞は日本語文法ではそれぞれ「い形容詞」と「な形容詞」なのですが、その活用も結構厄介のようです。それが過去形や否定形になると尚更。「おいしいでした」「おいしいじゃありません」のように語尾の「です」を変えるのでなく、その前にある形容詞自体を活用して「おいしかったです」「おいしくないです」とするべきなのに、それがなかなかスムーズには出てこない。(ついでながら「な形容詞」の場合は「きれいじゃありません」「きれいじゃないです」のように両方ともアリです。ただし初級学習者には「きれくないです」「きれいくないです」といった誤りが頻発します。「きれい」「きらい」「ゆうめい」などを見た目に引っ張られて「い形容詞」だと認識してしまうためです。)両者を組み合わせて最初から「おいしくなかったです」と言える生徒さんはむしろ少数です。(そういえば早口言葉じゃないのに「あたたかかったです」がどうしても言えない人がいて、アニメ「北斗の拳」をつい思い出して一人笑いしたこともありました。こちらは「あたたかくなかったです」の方がまだしも言いやすいみたいです。)
一方「な形容詞」でも耳に違和感がこびり付いたことを思い出します。私が大学院生だった頃、ある留学生さんが来日後少し経ってから日本語を話し始めたのですが、たしか「きれいだです」「べんりだです」といった妙な言い方をよくしていました(注)。これが過去形で「〇〇だったです」だったらひとまずOKですが・・・・で、尋ねてみたら大学の日本語教育センターでそのように教わったとのこと。もしかしたら正しく使いこなすのは困難だろうとの配慮で形容詞部分を固定するという実用的というか便宜的な活用法を考案したのかもしれませんが、明らかな誤りを教えるというのはいかがなものか? 私には端から教育を放棄しているとしか思えませんでした。(注:先述した「みんなの日本語」シリーズが誕生する前の話です。ネットで探しても見つかりませんから絶滅したのでしょう。)
ここからは完全に「おまけ」なのですが、私は話し言葉や拙ブログの記事で「おいしかったです」のような言い回しを使うことはあっても書き言葉ではなるべく回避したい。(語感が汚い上に見た目も幼稚っぽく映りますから。さらにこちらにある通り厳密にいえば「た」「です」という助動詞の連続が文法的誤りに該当するようです。)それで「美味しいと思いました」「面白いと感じました」のような複文に書き換えたりします。ところがこちらによると既に「美しいです」「大きいです」がかつては問題視されていた言い方だったとのこと。何だか「平明・簡素な形」とやらをお情けで使わせてもらっているような気分になりました。でも、そういうのをいちいち気にしていたら日本語が書けなくなってしまうでしょうね。
追記2
「入ります」と「入れます」
「乗ります」と「乗せます」
「続きます」と「続けます」
「進みます」と「進めます」
「並びます」と「並べます」
挙げていけばキリがありませんが、このように日本語では漢字(語幹)が同じ動作でも語尾によって自動詞になったり他動詞になったりします。(検索してこちらの一覧表を見つけました。)それだけでも日本語学習者にとっては十分ややこしいはずです。
さらに、それぞれが本文で触れたⅠ動詞とⅡ動詞のどちらなのかもケースバイケース。(これが英語なら同じ動詞を使い回すことがあっても活用が変わったりはしません。またスペイン語は元から別々の動詞を当てるし、他動詞の目的語を自分自身にする「再帰用法」で自動詞的に使うこともあります。)何となくながら、自動詞にはⅠ、他動詞にはⅡが多いんじゃないかと思ったのですが、実はそんな単純な話ではありませんでした。(冒頭の例はそれに該当するものを意図して集めただけです。)
「出ます」(Ⅱ)と「出します」(Ⅰ)、「降ります」(Ⅱ)と「降ろします」(Ⅰ)のような逆パターンも予想外に多く、リンク先の表では自動詞におけるⅠとⅡの割合がほぼ3:2になっていました。また「残ります」「残します」、「回ります」「回します」、「失くなります」「失くします」はどちらもⅠだし、「見えます」「見ます」はどちらもⅡ。さらにダメ押しとして自動詞の「降ります」(Ⅱ)には同音の他動詞「折ります」(Ⅰ)まで存在することに気が付きました。
今更ながら「何と理不尽な言語だろう」と、ある意味感心してしまうほどですが、この拙稿から学習者の苦労を少しでも想像してもらえたら執筆した甲斐があったというものです。
昨晩NHKのローカルニュース「おうみ845」でも観ましたが、2020年の都道府県別平均寿命が公表され、滋賀県は5年前に続いて男女とも上位に入りました(こちら参照)。Yahoo! ニュースにもそれに関する記事がいくつか出ていたので、少し書いてみますね。
ここにある動画の1分40秒頃に出てくるグラフを見ると滋賀県は着実に順位を上げ続けてきたことが判ります。(また近畿版の映像(3分頃)によると私が生まれた年の男性順位は6府県中の最下位。これは知りませんでした。)私にその感覚はあまりないのですが(15年間離れていましたし)、やはりニュース中で考察されていた食習慣、生活習慣の改善が大きな要因なんでしょうかね? (ちなみに食生活といえば、こちらでは (無理矢理っぽいですが) 不老不死の果実「ムベ」まで引き合いに出しています。少し前に紹介したCATVの番組ではU字工事が沖島の奥の方まで採りに行っていました。)
なお平均寿命の定義は「0歳時における平均余命」なので、ともに50年以上生きてきた私とLindaの余命(期待値)は「平均寿命 − 実年齢」よりは少し長くなるはずです。そして女性で私より5〜6歳年下のLindaのそれは、だいたい私の1.5倍ぐらいあることになります。「長寿県」で暮らし始めてまだ7年の彼女にこれらの数字を当てはめるのは無理があるかもしれませんが。
ところで、上に貼ったリンク先記事には「多量の飲酒をする人が少なく」とありますが、昨日観たニュースでインタビューを受けていた高齢男性は「毎日1合ぐらいは飲む」と答えていました。(86歳になったばかりの父は毎日2合なのでちょっと多すぎる気もしますが、至って元気です。)ということで、次の記事はお酒(日本酒)の話です。
おまけ
この前旅行してきた県は、こちらによると長寿どころか男性に限っては今や「短命県」、そして女性の順位も転がり落ちるような下がり方。やはり食生活の見直しが必須?
ここにある動画の1分40秒頃に出てくるグラフを見ると滋賀県は着実に順位を上げ続けてきたことが判ります。(また近畿版の映像(3分頃)によると私が生まれた年の男性順位は6府県中の最下位。これは知りませんでした。)私にその感覚はあまりないのですが(15年間離れていましたし)、やはりニュース中で考察されていた食習慣、生活習慣の改善が大きな要因なんでしょうかね? (ちなみに食生活といえば、こちらでは (無理矢理っぽいですが) 不老不死の果実「ムベ」まで引き合いに出しています。少し前に紹介したCATVの番組ではU字工事が沖島の奥の方まで採りに行っていました。)
なお平均寿命の定義は「0歳時における平均余命」なので、ともに50年以上生きてきた私とLindaの余命(期待値)は「平均寿命 − 実年齢」よりは少し長くなるはずです。そして女性で私より5〜6歳年下のLindaのそれは、だいたい私の1.5倍ぐらいあることになります。「長寿県」で暮らし始めてまだ7年の彼女にこれらの数字を当てはめるのは無理があるかもしれませんが。
ところで、上に貼ったリンク先記事には「多量の飲酒をする人が少なく」とありますが、昨日観たニュースでインタビューを受けていた高齢男性は「毎日1合ぐらいは飲む」と答えていました。(86歳になったばかりの父は毎日2合なのでちょっと多すぎる気もしますが、至って元気です。)ということで、次の記事はお酒(日本酒)の話です。
おまけ
この前旅行してきた県は、こちらによると長寿どころか男性に限っては今や「短命県」、そして女性の順位も転がり落ちるような下がり方。やはり食生活の見直しが必須?
あっそう
2022-10-09 | 番外
無関心だったので知りませんでしたが、既に都道府県魅力度ランキング2022が発表されていたようですね。上位(7位まで)には変化がなかった一方で最下位は交代し、悲喜こもごもの様相を呈していたみたいです。ネタ的にはおいしいかもしれませんが・・・・(こちら参照)
うちは前年と同じ38位。全国高校駅伝(男女とも)と同じく「中途半端やなー」という印象ですけど、主観も多分に入っているであろう順位ゆえ別にどうでもいいです。長寿ランキングではこのところ上位をキープしていますしね。
うちは前年と同じ38位。全国高校駅伝(男女とも)と同じく「中途半端やなー」という印象ですけど、主観も多分に入っているであろう順位ゆえ別にどうでもいいです。長寿ランキングではこのところ上位をキープしていますしね。
本ブログのプロフィール写真の原画(Lindaが2枚を貼り合わせて作成)です。それに私が後から日付と場所を入れました。が、もしかしたら前者の "29/09/15" と "03/01/16" を「平成29年9月15日」「令和3年1月16日」と勘違いされている方もいるかもしれないと思い当たったので(そんな最近のことじゃないです)、この番外記事を今更ながらしたためる気になりました。
PC版のトップページで読める「はじめに」(オリジナルモジュール)にある通り、実際の記念日は2015年9月29日および2016年1月3日です。それを "dd/mm/yy"(日/月/年)の英国式で表記した次第。
ちなみにLindaは同じ画像をこのように加工しています。なるほど、スペイン語でも本来は "dd/mm/yy" で書くのですが、彼女はニューヨークでの生活が長かったため "mm/dd/yy"(月/日/年)の米国式を採用した訳ですね。
昨年には模様替え(カテゴリ追加)でアクセス数が増えた(というか増やした)ことはありますが・・・・・
いったいこれは? 私は熟睡してましたよ。
追記
まともに戻りました。なお5時台のアクセスの大半は「自演」です。
いったいこれは? 私は熟睡してましたよ。
追記
まともに戻りました。なお5時台のアクセスの大半は「自演」です。