滞在3日目の12月31日はパネトン(クリスマス用の甘いパン)での朝食の後、徒歩で隣町のティキパヤへ。(前回も帰国前日に来ています。)毎週日曜の午前中はここで朝市が開かれるからです。私とLindaが着いた7時前はそれほどでもなかったのですが、乗り合いタクシーで来たお姉さん達と合流した時には大混雑になりました。新年を迎えるための買い物をするためです。
以上、撮影した順に貼り付けました。ここでは食べ物に限らず、ありとあらゆるものが売られていました。たいへんな人混みながらスリとかひったくりに遭いそうなヤバい雰囲気はまったくありませんでした。
これはチューニョ(凍結乾燥させたジャガイモ)です。白と黒があり、作り方、調理法、そして味は異なるそうです。
色の異なるヨーグルトをペットボトルに層状に詰めて売っています。珍しいものを見ました。
これはお昼のメニュー。チチャロン(chicharrón)という豚の皮の揚げ物ですが、年末だからではなく日曜日に食べるものだそうです。Lindaはよく「チチャロンが食べたい」と言ってましたが、日本のスーパーで豚皮だけを売っていることはないのでちょっと難しいですね。皮付きの豚肉というのも豚足以外は見ないし。(沖縄はどうなんだろう?)
この日は午前中買い物に行った以外、お父さんとお姉さんの家でゆっくり過ごしました。おしゃべりしながら朝は1時間半、昼と夜は2時間以上かけて食事を楽しみました。ここでは時間の流れが断然ゆったりしていることを強く感じます。
その後はスーパーで買った白ワインと生ハム(ハモン・セラーノ)で二人だけの晩餐。どちらも国産でコスト・パフォーマンスは抜群。ここはとてもいい所です。
その後はスーパーで買った白ワインと生ハム(ハモン・セラーノ)で二人だけの晩餐。どちらも国産でコスト・パフォーマンスは抜群。ここはとてもいい所です。
2年前と同じ部屋に寝泊まりすることになりました。
季節的にはもうすぐ初夏といったところですが、高地なので過ごしやすいです。朝方は少し冷えますが。
リビングにはクリスマス飾りが、食堂にはケーキ(パステル)がありました。
そして冷凍庫には七面鳥が。いつか食べられると思うと楽しみ!
朝食後Lindaの姪御さんの案内で市の中心部に出かけ、両替(米ドルしか持っていませんでしたから)と食料の調達をすることになりました。トゥルフィ(trufis)という乗り合いタクシーで移動。運賃はどこまで乗っても2ボリビアーノ(約32円)と格安です。
以上、適当に貼ってみました。(なお両替は姪御さんにお任せしたので写真なしです。)
買い物の前にサルテーニャ屋さんで腹ごしらえ。
サルテーニャは具だくさんのパイですが、とにかく汁気が多いため不用意にかぶりつくと悲惨なことになります。そこでまずは2年前に教えてもらった方法で食べることに。
途中まではうまくいきましたが油断したのが悪かった。皮がふやけたところから汁があふれ出て服が汚れました。
隣のテーブルを見たら、こんな風に上に穴を開けて具をスプーンで食べている人がいました。これなら汁がこぼれる心配はありません。二つ目はそれで食べました。ただしこれでは日本食でいうところの「口内調理」(口の中で主食とおかずを混ぜ合わせて新しい味を作ること)の楽しみはありませんが。
Lindaはといえば、汁をスプーンですくって飲んでいました。要は何でもありということですね。なお二つ(甘口と辛口を)頼んだのは私だけでしたが、皮が分厚くて腹に結構たまったため、帰ってから無理して昼食を詰め込むことになりました。私以外の女性陣3名は一つだけでしたが、おやつならそれで十分でしょう。
スーパーは巨大で品揃えも非常に豊富でした。(後日もう一度来てお土産用の食品を大量に買い込みました。)
ワインコーナーも充実。この両側の棚は全て国産で左が白とロゼ、右が赤です。(輸入品のスペースもこれと同じくらい設けられていました。)ワインだけでなく肴もしっかり買いました。
季節的にはもうすぐ初夏といったところですが、高地なので過ごしやすいです。朝方は少し冷えますが。
リビングにはクリスマス飾りが、食堂にはケーキ(パステル)がありました。
そして冷凍庫には七面鳥が。いつか食べられると思うと楽しみ!
朝食後Lindaの姪御さんの案内で市の中心部に出かけ、両替(米ドルしか持っていませんでしたから)と食料の調達をすることになりました。トゥルフィ(trufis)という乗り合いタクシーで移動。運賃はどこまで乗っても2ボリビアーノ(約32円)と格安です。
以上、適当に貼ってみました。(なお両替は姪御さんにお任せしたので写真なしです。)
買い物の前にサルテーニャ屋さんで腹ごしらえ。
サルテーニャは具だくさんのパイですが、とにかく汁気が多いため不用意にかぶりつくと悲惨なことになります。そこでまずは2年前に教えてもらった方法で食べることに。
途中まではうまくいきましたが油断したのが悪かった。皮がふやけたところから汁があふれ出て服が汚れました。
隣のテーブルを見たら、こんな風に上に穴を開けて具をスプーンで食べている人がいました。これなら汁がこぼれる心配はありません。二つ目はそれで食べました。ただしこれでは日本食でいうところの「口内調理」(口の中で主食とおかずを混ぜ合わせて新しい味を作ること)の楽しみはありませんが。
Lindaはといえば、汁をスプーンですくって飲んでいました。要は何でもありということですね。なお二つ(甘口と辛口を)頼んだのは私だけでしたが、皮が分厚くて腹に結構たまったため、帰ってから無理して昼食を詰め込むことになりました。私以外の女性陣3名は一つだけでしたが、おやつならそれで十分でしょう。
スーパーは巨大で品揃えも非常に豊富でした。(後日もう一度来てお土産用の食品を大量に買い込みました。)
ワインコーナーも充実。この両側の棚は全て国産で左が白とロゼ、右が赤です。(輸入品のスペースもこれと同じくらい設けられていました。)ワインだけでなく肴もしっかり買いました。
私の入国審査はちょっと揉めました。係員にビザを持っているかと尋ねられましたが、日本は免除国(観光目的で90日間以内なら不要)なのでその必要なしと考えて取得していませんでした(2年前と同様)。実は入国カードに目的を記入する際に少し迷ったのです。観光なら滞在する予定のホテルの名前と住所が書かれていないと不自然。しかしながら実際に滞在するのはLindaの実家で、その住所を書いて不審に思われても拙い。ということで、観光とその他(妻の家族を訪問)の2ヶ所にチェックを入れていました。
係員は書類と私の顔を代わる代わる見ていましたが、素直に通してくれる気配はありません。そのうちに先に審査を済ませたLindaがやって来て「この人は本当に私の夫だから」と言いましたが、「ではそれを証明するものはあるか?」と言い返されて憮然。(彼女が所持していたのは在留カードだけでした。このような事態は想定していませんでしたから、ニューヨークでもらった婚姻証明書を持って来ているはずもありません。)ちょっと険悪な雰囲気になりそうだったので、彼女をなだめて「大丈夫だから先に行っといて」と送り出しました。役人を怒らせて良いことは一つもありませんから。私自身は「さすがにここまで来て帰れとは言わないだろう」と冷静&楽観的でした。(2009年11月から140日間ナミビアに滞在した時の大トラブルが頭にありました。90日は無条件に滞在できるはずだからその間に取得すればいいと安易に考えてビザなしで来たのですが、係員からいろいろ詰問された挙げ句に1週間しか滞在許可が下りず本当に焦りました。ナミビア大学の共同研究者に奔走してもらってビザが取れたのは在留期限が切れる前日でした。とくに根拠はなかったものの、あんな恐ろしいことにはならないだろうと思っていたのです。)
続いて前回ボリビアに入国した年月日を尋ねられたので正確に答えたところ、今度は画面&パスポートとの睨めっこ。1分ほど沈黙の時間が流れた後、ついに "Bienvenidos a Bolivia"(ボリビアへようこそ)と言って(だたし仏頂面でパスポートを放ってよこしながら)通してくれました。合流した時、Lindaは「どうしてこの国の役人はあんなに傲慢なの?」と半泣きになっていました。これまでいろいろ嫌な目に遭ってきたことへの恨みが噴き出したかのようでした。
今思うに、コチャバンバも国際空港とはいいながらラパスやサンタクルスと比べたら入国してくる外国人は圧倒的に少ないはずなので、このようなケースに慣れていなかったのかもしれません。そういえば前回父と来た時はスッと通れましたが、入国審査はサンタクルスでした。次に来る時も二大都市のどちらかから入る方が無難&賢明でしょうね。
係員は書類と私の顔を代わる代わる見ていましたが、素直に通してくれる気配はありません。そのうちに先に審査を済ませたLindaがやって来て「この人は本当に私の夫だから」と言いましたが、「ではそれを証明するものはあるか?」と言い返されて憮然。(彼女が所持していたのは在留カードだけでした。このような事態は想定していませんでしたから、ニューヨークでもらった婚姻証明書を持って来ているはずもありません。)ちょっと険悪な雰囲気になりそうだったので、彼女をなだめて「大丈夫だから先に行っといて」と送り出しました。役人を怒らせて良いことは一つもありませんから。私自身は「さすがにここまで来て帰れとは言わないだろう」と冷静&楽観的でした。(2009年11月から140日間ナミビアに滞在した時の大トラブルが頭にありました。90日は無条件に滞在できるはずだからその間に取得すればいいと安易に考えてビザなしで来たのですが、係員からいろいろ詰問された挙げ句に1週間しか滞在許可が下りず本当に焦りました。ナミビア大学の共同研究者に奔走してもらってビザが取れたのは在留期限が切れる前日でした。とくに根拠はなかったものの、あんな恐ろしいことにはならないだろうと思っていたのです。)
続いて前回ボリビアに入国した年月日を尋ねられたので正確に答えたところ、今度は画面&パスポートとの睨めっこ。1分ほど沈黙の時間が流れた後、ついに "Bienvenidos a Bolivia"(ボリビアへようこそ)と言って(だたし仏頂面でパスポートを放ってよこしながら)通してくれました。合流した時、Lindaは「どうしてこの国の役人はあんなに傲慢なの?」と半泣きになっていました。これまでいろいろ嫌な目に遭ってきたことへの恨みが噴き出したかのようでした。
今思うに、コチャバンバも国際空港とはいいながらラパスやサンタクルスと比べたら入国してくる外国人は圧倒的に少ないはずなので、このようなケースに慣れていなかったのかもしれません。そういえば前回父と来た時はスッと通れましたが、入国審査はサンタクルスでした。次に来る時も二大都市のどちらかから入る方が無難&賢明でしょうね。
ようやくにしてボリビアに来ました。トイレの表記も馴染みのある "Baños"(浴室)になり、さらに落ち着いてきます。
上はおまけですが機内食(スナック)の包装紙。モラレス大統領が印刷されています。
ところでサンパウロからサンタクルスに向かうフライトは30分以上遅れました。あちらからの飛行機が定時に着かなかったためです。(機体がないことにはどうしようもありません。)それで嫌な予感はしたのですが・・・・・・15時半頃サンタクルスに着いてみれば、私達の乗る一つ前のOB643(15:30発)は搭乗手続きがまだ始まっていませんでした。
どうやら遅れが連鎖しているようです。それで電光掲示板には行き先と出発時刻の同じフライトが3便。結局643便は2時間遅れの17時半、私達の645便は90分遅れの18時に飛び立ちましたが、搭乗ゲートの表示が3番と4番の間で何度も変わり右往左往させられました。その影響と思われますが、コチャバンバの到着出口の方も土壇場で変更になったらしく、私達が出た時には誰も迎えがいませんでした(苦笑)。しばらくLindaが歩いて御家族を見つけた次第です。
2年ぶりに再会した姉妹の後姿です。(空港到着ロビーでの感動的対面も収めたはずなのに撮れてませんでした。)
この日の晩餐会(歓迎会)の様子。これでも一部しか集まらなかったのですから、やはり日本人から見ればとてつもない大家族です。Lindaの兄弟姉妹は辛うじて憶えていましたが、甥御さん姪御さんは名前はおろか誰のご子息なのかもサッパリでした。
思うにいろいろ想定外の事態に見舞われながらも無事到着できたのはラッキーでした。いつか貴重品の紛失とか乗り遅れ、荷物の不着といった深刻なトラブルに巻き込まれるのではないかと危惧していたのですが、そういう目には遭わずに済みました。とくに心配していたのはチェックイン時に預け荷物の重量オーバーを指摘されること(こちらと向こうの理解が一致しないこと)でしたが、それも杞憂に終わりました。
ボリビアーナ航空のチェックインカウンター前には、それまでサンパウロで見ていたのとは明らかに違う顔出ちの人たちが並んでおり、それを眺めている内になぜか気分が落ち着いてきたのでした。
搭乗待ちの人々の会話もスペイン語が優勢。いよいよ近づいてきたんだなあ、と実感が湧いてきました。
たったこれだけの文章ゆえ本当はサンパウロからのフライト前に投稿したかったのですが、日本語を打つのがとろいのと画像のアップロード中に何度も落ちたため(おそらくメモリ不足が原因)、無料でWi-Fiが使える1時間が過ぎてしまい果たせませんでした。実はもうコチャバンバに着いていて、Lindaのお姉さんの家での夕食後にこれを書きました。
帰国後追記
ブラジルポルトガル語では "Sanitários" ですか。本来の意味は「保健」「衛生」だと思うのですが、わからなくはありません。
部屋のテレビでNHKを見ています。音声も日本語です。ネットテレビのようで見られるまでにずいぶん苦労しました。
南米でNHKを見るのはたぶん5年ぶり。前回は紅白歌合戦の生中継を見たことを思い出しました。
フライト3本を乗り継いでブラジルに着ています。 明日は満を持しての(?)ボリビア入りです。
追記
先ほどホテル内のレストランで夕食を済ませました。Lindaの表情にも疲れの色が隠せません。
後日追記
サンパウロで1泊したホテルには概ね満足できました。部屋代は7000円ちょっと、夕食(ビュッフェスタイルのサラダはお値打ち)は飲み物(ビールとジュース)を含めて約3000円とまあリーズナブル。ともにVISAカードでの支払いができました(USドルは不可)。一部レビューに書かれていた騒音は全く気になりませんでしたし、無料の朝食(下)も非常に充実していました。
唯一惜しまれたのが空港からの無料シャトルバスサービス。事前にWeb情報を印刷し持参したのですが・・・・・まず乗り場を見つけるのにだいぶ手間取りました。ターミナル1から2への移動は仕方ないものの、"second sidewalk" がわからない。下画像のように建物に面した歩道が "first" でそれより外側が "second" だと言われればそうなのでしょうが。
次の "last digital watch" も電光掲示が機能していないものの、たぶんこれだろうとは推測できました。が、"last" はどっちの端なのか? とりあえず進行方向による最後だろうと考え、歩道の先頭付近で待っていました。ところが他のホテルのバスは来ても、私達が泊まる所のはいつまで経っても・・・・・と思っていたら、Lindaが「あれ、あれ」と指さしながら叫んだので慌てて手を振ったものの時既に遅し。1時間に1本のバスを逃してしまいガッカリ。だいたいバス側面のホテルのロゴが小さすぎます。(後で分かったことには より大きな "Fly Park" の方を目印にすべきでした。)そのうちに私達が1時間以上待っていることに気が付いた兄ちゃんが声を掛けてきたので、ホテル名を言ったところ、「ああ、それならもうちょっと後ろで待たなくちゃ」と教えてくれました。それで何とか次のバスに乗ることができました。同じような目に遭った人は私達だけでないようで、複数のレビュアーがこの件について苦情を寄せていました。(中には「悪夢」とまで書いている人も。)それで反省したのか、最近になって情報が書き換えられたようです。なるほど、"left side, before the crosswalk"(左側、横断歩道の前)ですか。確かにこれなら実態に即しています。(ただし "before" よりは "in front of" の方が・・・・)
経由地のマドリードに着きました。スペインでトイレは "aseo" ですか。けれどラテンアメリカの西語圏では見たことがありません。動詞 "asear"(きれいにする、片付ける)に由来するようですが、そうなると後述するブラジルに近いですね。ちなみに私はスペイン人(ただしバスク人)の先生から西語を習いましたが、その時に教えられたのは "servicio"(サービス)でした。これもよくわかりません。
ところで出入り口の近くにこれが設置されていました。トイレの清掃状況を4段階で評価するというもの。行き帰りともきれいだったので左端の濃い緑を押しておきました。
途中で抜けて散歩もしましたが、たっぷり10時間以上ラウンジにいました。サンパウロ行き便の搭乗ゲートが表示されたので移動。このE57はかなり外れたところにありました。そういえばナミビア出張から戻る時もヨハネスブルク発香港行きのゲートがそうでした。違う地域の長距離便だとそうなるんですかね?