昨日は滅多にないほど無為な1日を過ごしました。理由を書きます。
ナミビア北部のオンダングアに向かう国内便に乗るため午前5時半にホテルを発ってウィントフック市内のエロス空港へ向かいました。フライトは7時です。
チェックインと荷物検査を終え、あとは乗るだけだと思っていたら・・・・・空港職員のオッサンが「エンジンの調子が悪いのでエンジニアに見てもらっている」などと乗客に言っていました。「なんてこった」と思いつつ数十分待ちましたが、結局直らなかったらしく、「ホセア・クタコ(国際空港)から代わりの機体を調達することになった」とのこと。その代用機によるフライトですが、当初11時と言っていたのが13時→16時と遅れに遅れ、いつ飛び立つのかわからない。しくじったのは預け荷物に全ての本を入れてしまったことです。スマホのゲームごときでは時間を潰せるはずもありません。あーあ。下がその役立たずの機体。
最終的に離陸できたのは18時の少し前。上画像の4にある夕方の便よりもさらに遅い時刻となってしまいました。フライトの遅延は何度か経験していますが、11時間遅れというのは初めてです。大学のあるオゴンゴに着いたのは20時頃。夏時間でも日はすっかり落ちていました。途中で食料調達するはずだったのに、その目論見もパー。(こちらのスーパーはことごとく日曜日は午前中のみの営業なので。)飲料水すら買えませんでした。それは何とかしますけど・・・・・心身ともに疲弊しました。
荷物が出てくるのを待っていたら、着いたばかりの飛行機に乗り込む人達が見えました。彼らも酷い目に遭わされたのは言うまでもありません。
それでも私たち(昨日乗れた人)はまだ恵まれていたと言わざるを得ません。空港で待っている間にカティマ・ムリロやルンドゥ行きの便を予約していた人達がやって来ましたが、やはり機体の不調で飛べなくなったとの説明。先に示したナミビア航空のフライトスケジュール(国内便)を見て思うには、どうやら同じ機体が首都と各都市との間を1日に何回か往復(日曜日は4往復)しているようです。(しかも着いたら30分ちょっとで引き返すというまるでJRのごとくタイトな運行になっています。)
例のオッサンはまたしても「テクニカル・プロブレム」を繰り返していましたが、加えてカティマ・ムリロもルンドゥも空港に照明がないため夜間の離着陸は不可能。よって今日のフライトはキャンセルするしかない。そう聞かされて皆は憮然。そして雰囲気は騒然。「では私たちの飛行機は明日飛ぶのか?」と問い正しても「月曜日は便がない(ルンドゥ行き)か、あっても既に満席(カティマ・ムリロ行き)なので、今はハッキリ言えない」というノラリクラリの回答しか帰ってこないのですから当然です。
これが押し問答の様子ですが、私も「そりゃないよ」と思いました。航空会社の都合でキャンセルになったのであれば可及的速やかに臨時便を手配するのが筋というものでしょう。さらに「既に到着地のホテルを予約している。キャンセル料は持ってくれるのか?」「明日も飛ばなければ2日続けて欠勤となってしまう。どうしてくれるのか?」といった苦情が次々と出されたものの、オッサンは半分笑いながら「何かあったら連絡するから名前と電話番号を書いてくれ」の一点張り。客をバカにするにも程があるというものです。お詫びの印としてその晩の宿泊費やホテルまでのタクシー代を負担するといった(日本の航空会社なら間違いなくそうするはずの)考えすら微塵も持ち合わせていないようで心底呆れました。(後で考えるに彼にはそのような権限は一切与えられていなかったのかもしれませんが、「お前じゃダメだ、責任者を出せ!」という要求も無視していました。命令系統がいい加減なのでしょう。)
これほどまでに誠意のない対応しかできない会社であれば遠からず淘汰されてしまうのが世の常というものでしょう。日本であれば。でもこの国のこの業界には競争がありませんからね。やれやれ。帰りまでもがトラブルに見舞われないことを願うのみです。
追記:オゴンゴの宿舎に着いて協力隊員さんにこの話をしたら彼も少し前に長時間待たされたとのこと。実は私の前回出張時の帰りもそう(2時間遅れ)でした。もしかしたらナミビア航空の機体がことごとく勤続疲労に陥っている(更新時期を過ぎている)のかもしれません。なので今度こそ最後にしてほしいと心底思っています。
ナミビア北部のオンダングアに向かう国内便に乗るため午前5時半にホテルを発ってウィントフック市内のエロス空港へ向かいました。フライトは7時です。
チェックインと荷物検査を終え、あとは乗るだけだと思っていたら・・・・・空港職員のオッサンが「エンジンの調子が悪いのでエンジニアに見てもらっている」などと乗客に言っていました。「なんてこった」と思いつつ数十分待ちましたが、結局直らなかったらしく、「ホセア・クタコ(国際空港)から代わりの機体を調達することになった」とのこと。その代用機によるフライトですが、当初11時と言っていたのが13時→16時と遅れに遅れ、いつ飛び立つのかわからない。しくじったのは預け荷物に全ての本を入れてしまったことです。スマホのゲームごときでは時間を潰せるはずもありません。あーあ。下がその役立たずの機体。
最終的に離陸できたのは18時の少し前。上画像の4にある夕方の便よりもさらに遅い時刻となってしまいました。フライトの遅延は何度か経験していますが、11時間遅れというのは初めてです。大学のあるオゴンゴに着いたのは20時頃。夏時間でも日はすっかり落ちていました。途中で食料調達するはずだったのに、その目論見もパー。(こちらのスーパーはことごとく日曜日は午前中のみの営業なので。)飲料水すら買えませんでした。それは何とかしますけど・・・・・心身ともに疲弊しました。
荷物が出てくるのを待っていたら、着いたばかりの飛行機に乗り込む人達が見えました。彼らも酷い目に遭わされたのは言うまでもありません。
それでも私たち(昨日乗れた人)はまだ恵まれていたと言わざるを得ません。空港で待っている間にカティマ・ムリロやルンドゥ行きの便を予約していた人達がやって来ましたが、やはり機体の不調で飛べなくなったとの説明。先に示したナミビア航空のフライトスケジュール(国内便)を見て思うには、どうやら同じ機体が首都と各都市との間を1日に何回か往復(日曜日は4往復)しているようです。(しかも着いたら30分ちょっとで引き返すというまるでJRのごとくタイトな運行になっています。)
例のオッサンはまたしても「テクニカル・プロブレム」を繰り返していましたが、加えてカティマ・ムリロもルンドゥも空港に照明がないため夜間の離着陸は不可能。よって今日のフライトはキャンセルするしかない。そう聞かされて皆は憮然。そして雰囲気は騒然。「では私たちの飛行機は明日飛ぶのか?」と問い正しても「月曜日は便がない(ルンドゥ行き)か、あっても既に満席(カティマ・ムリロ行き)なので、今はハッキリ言えない」というノラリクラリの回答しか帰ってこないのですから当然です。
これが押し問答の様子ですが、私も「そりゃないよ」と思いました。航空会社の都合でキャンセルになったのであれば可及的速やかに臨時便を手配するのが筋というものでしょう。さらに「既に到着地のホテルを予約している。キャンセル料は持ってくれるのか?」「明日も飛ばなければ2日続けて欠勤となってしまう。どうしてくれるのか?」といった苦情が次々と出されたものの、オッサンは半分笑いながら「何かあったら連絡するから名前と電話番号を書いてくれ」の一点張り。客をバカにするにも程があるというものです。お詫びの印としてその晩の宿泊費やホテルまでのタクシー代を負担するといった(日本の航空会社なら間違いなくそうするはずの)考えすら微塵も持ち合わせていないようで心底呆れました。(後で考えるに彼にはそのような権限は一切与えられていなかったのかもしれませんが、「お前じゃダメだ、責任者を出せ!」という要求も無視していました。命令系統がいい加減なのでしょう。)
これほどまでに誠意のない対応しかできない会社であれば遠からず淘汰されてしまうのが世の常というものでしょう。日本であれば。でもこの国のこの業界には競争がありませんからね。やれやれ。帰りまでもがトラブルに見舞われないことを願うのみです。
追記:オゴンゴの宿舎に着いて協力隊員さんにこの話をしたら彼も少し前に長時間待たされたとのこと。実は私の前回出張時の帰りもそう(2時間遅れ)でした。もしかしたらナミビア航空の機体がことごとく勤続疲労に陥っている(更新時期を過ぎている)のかもしれません。なので今度こそ最後にしてほしいと心底思っています。
午前中ホテルを出て市中心部のスーパーへ行きました。よく考えたらこれまでのナミビア出張はほとんど3月で他はゴールデンウィークが2回、9月が1回。(140日間という長期滞在を除く。)11月に首都ウィントフックを歩くのは初めてでしたが、地味ながらクリスマスの準備が始まっていました。なお当地も南半球なのでボリビアと同じく真夏のクリスマスですが、それゆえ暑苦しいサンタの格好にはどうしても違和感を覚えてしまいます。
露天でTシャツが並べられていました。先日亡くなったフィデルさんのがちょうど売れるところでした。チェさんと隣り合わせなのはよく理解できますが・・・・・
その隣がなぜこの人なのかはわかりません。ナミビアでも人気が高いのかな?
そして現大統領。やはり「ドクターハ○」のインパクトは強烈ですね。日本で着たら受けそう。
追記
今晩のNBC(ナミビアの国営放送)のニュースのトップはやはりこの人の訃報でした。ナミビアが独立するまでの多大な支援を考えれば当然でしょうが。
あれれ
2016-11-25 | 日記
こちらは現在17時過ぎです。約4時間前にナミビアの首都ウィントフックに来ました。
この間の移動を示したのが上の左です。ただし24時間しか記録されないので長浜から関西空港までが消えてしまっている(中)のは仕方ないところ。しかし、アフリカに入ってからも何かヘンです。香港を出てからネットに繋げなかったためと思われますが、ボツワナの訳のわからないところに寄ったことにされていました(右)。もちろんこんな迷走はしていません。
この間の移動を示したのが上の左です。ただし24時間しか記録されないので長浜から関西空港までが消えてしまっている(中)のは仕方ないところ。しかし、アフリカに入ってからも何かヘンです。香港を出てからネットに繋げなかったためと思われますが、ボツワナの訳のわからないところに寄ったことにされていました(右)。もちろんこんな迷走はしていません。
今日から
2016-11-24 | 日記
今月4日の日記のコメント欄に書いた通り、今日は2限の講義を済ませてから関西空港に向かいます。ナミビアは9回目で真新しいことはほとんどないでしょうが、何かあったら現地発信します。
昨日は高島市(旧マキノ町)の在原集落とメタセコイア並木を訪れ、奥琵琶湖パークウェイ経由で帰りました。
なおメタセコイア並木の通りには駐車できないので農業公園マキノピックランドの駐車場を利用することになります。私たちが着いた11時過ぎはまだ大丈夫でしたが、帰る頃(13時前)には長大な車の列ができていました。来るならなるべく早めの方がいいと思います。
昨日は高島市(旧マキノ町)の在原集落とメタセコイア並木を訪れ、奥琵琶湖パークウェイ経由で帰りました。
なおメタセコイア並木の通りには駐車できないので農業公園マキノピックランドの駐車場を利用することになります。私たちが着いた11時過ぎはまだ大丈夫でしたが、帰る頃(13時前)には長大な車の列ができていました。来るならなるべく早めの方がいいと思います。
ナミビア出張前の最後の日曜ということで昨日は市内(ただし旧木之本町)にある鶏足寺の紅葉を見に行くことにしました。
上図のように家からは15kmちょっと。Lindaの走力(私のランニングとどっこいどっこい)でも片道1時間半ほどの道のりなので自転車で行くことも考えたのですが、今月いっぱいの運行ということで日曜限定臨時列車のSL北びわこ号に乗ることにしました。
このように朝からすごい霧でした。そのためこの時間帯の列車はことごとく延着。
それでちょっと心配しましたが、結局5分遅れで長浜駅を出発。
車窓から見えるはずの風景についての車内放送もほとんど無意味でしたが、私たちはSLに乗ることが目的だったので問題なし。乗客のほとんどは子ども連れでしたが、Lindaも童心に返ったかのように大喜び。とくに汽笛と煙が気に入ったようでした。
約30分で終点木ノ本に到着。こちらによると、かつては上下運転(往復)だったそうですが、今は下り列車のみで帰りの木ノ本→米原は回送運転となっています。私たちは急いで降りて先頭の機関車を目指しましたが、アナウンスによると40分近く停車しているとのことで写真撮影の時間は十分あります。
駅からは紅葉循環バス(1日乗り放題で300円)に乗って石道会館で降車、そして徒歩で鶏足寺へ向かいました。
この寺が湖北随一の紅葉スポットだとは聞いていたものの、これほど人が多いとは!(駐車場には観光バスが何台も停まっていました。)実物を初めて見るLindaはともかく、紅葉にはやはり寂寥感や無常観のようなものが相応しいと考えている私は少し辟易しました。
帰りのバスも通勤電車並みのぎゅうぎゅう詰め。おそらくボランティアガイドのおばさん、いやお姉さんは「(木ノ本駅の前に停車する)きのもと交遊館で降りてぜひ木之本の街を見ていって下さい」と言っていましたが、実際に降りたのは私たちを含め数名だけでした。
交遊館でコーヒー(レギュラーなのに1杯100円!)を飲んだ後、お姉さんが「紅葉の穴場」と言っていた意冨布良(おほふら)神社へ向かいました。
雰囲気は断然こっちですね。私からもお勧めします。
駅に着いたらまたしてもSLが。午後の便(14時着の北びわこ3号)のことをすっかり忘れていました。普段なら回送で誰も乗っていないはずですが、昨日は某旅行会社の貸し切り車両となっていました。Lindaは「行きは子どもばっかりだったのに帰りはお年寄りばっかりで面白い」と言ってました。
米原まではこの電気機関車が引っ張ります。が、これでは魅力半減以下ですね。(転車台さえあれば・・・・・)
明後日の勤労感謝の日も車で出かけるつもりですが、最初の目的地は(たぶん)寂しい所です。
上図のように家からは15kmちょっと。Lindaの走力(私のランニングとどっこいどっこい)でも片道1時間半ほどの道のりなので自転車で行くことも考えたのですが、今月いっぱいの運行ということで日曜限定臨時列車のSL北びわこ号に乗ることにしました。
このように朝からすごい霧でした。そのためこの時間帯の列車はことごとく延着。
それでちょっと心配しましたが、結局5分遅れで長浜駅を出発。
車窓から見えるはずの風景についての車内放送もほとんど無意味でしたが、私たちはSLに乗ることが目的だったので問題なし。乗客のほとんどは子ども連れでしたが、Lindaも童心に返ったかのように大喜び。とくに汽笛と煙が気に入ったようでした。
約30分で終点木ノ本に到着。こちらによると、かつては上下運転(往復)だったそうですが、今は下り列車のみで帰りの木ノ本→米原は回送運転となっています。私たちは急いで降りて先頭の機関車を目指しましたが、アナウンスによると40分近く停車しているとのことで写真撮影の時間は十分あります。
駅からは紅葉循環バス(1日乗り放題で300円)に乗って石道会館で降車、そして徒歩で鶏足寺へ向かいました。
この寺が湖北随一の紅葉スポットだとは聞いていたものの、これほど人が多いとは!(駐車場には観光バスが何台も停まっていました。)実物を初めて見るLindaはともかく、紅葉にはやはり寂寥感や無常観のようなものが相応しいと考えている私は少し辟易しました。
帰りのバスも通勤電車並みのぎゅうぎゅう詰め。おそらくボランティアガイドのおばさん、いやお姉さんは「(木ノ本駅の前に停車する)きのもと交遊館で降りてぜひ木之本の街を見ていって下さい」と言っていましたが、実際に降りたのは私たちを含め数名だけでした。
交遊館でコーヒー(レギュラーなのに1杯100円!)を飲んだ後、お姉さんが「紅葉の穴場」と言っていた意冨布良(おほふら)神社へ向かいました。
雰囲気は断然こっちですね。私からもお勧めします。
駅に着いたらまたしてもSLが。午後の便(14時着の北びわこ3号)のことをすっかり忘れていました。普段なら回送で誰も乗っていないはずですが、昨日は某旅行会社の貸し切り車両となっていました。Lindaは「行きは子どもばっかりだったのに帰りはお年寄りばっかりで面白い」と言ってました。
米原まではこの電気機関車が引っ張ります。が、これでは魅力半減以下ですね。(転車台さえあれば・・・・・)
明後日の勤労感謝の日も車で出かけるつもりですが、最初の目的地は(たぶん)寂しい所です。
米合衆国の次期大統領が決まりましたね。私にとっても意外な結果でしたが、Lindaのニューヨーク在住時代の知人達の間には不安と動揺が広がっているようです。詳しくは書きませんが、逮捕されて強制送還となった後に再入国した人もいるのだとか。NYで生まれたお子さん(西語より英語の方が堪能)はどうなるのでしょう? Lindaはいい時期に米国を出ることができたといえるのかもしれません。
以下は関係ありませんが先週末の大学祭の模様。
彼女は学生が屋台で売っていたチュロス(揚げ菓子)を「とても美味しい!」と言って食べていました。けれど私がフリマで100円で買ったブルゾンは気に入らなかったみたいです(苦笑)。
以下は関係ありませんが先週末の大学祭の模様。
彼女は学生が屋台で売っていたチュロス(揚げ菓子)を「とても美味しい!」と言って食べていました。けれど私がフリマで100円で買ったブルゾンは気に入らなかったみたいです(苦笑)。
さすが
2016-11-11 | 日記
火曜日の夜、夕食→入浴後にこの番組を観ていました。遅れて部屋に入ってきたLindaは10秒もしない内に「これサンタクルスね」とズバリ。この放送のことは何も言ってなかったのでちょっとビックリ。
映っていた女性の衣装か帽子で判ったのかと訊いてみたら "Acento"(訛り)とのことで納得。もちろん私にはラパスやコチャバンバのスペイン語との区別は全く付きませんでした。
映っていた女性の衣装か帽子で判ったのかと訊いてみたら "Acento"(訛り)とのことで納得。もちろん私にはラパスやコチャバンバのスペイン語との区別は全く付きませんでした。
予定変更
2016-11-07 | 日記
昨日はお昼前にインターナショナルフェスタへ行ってきたのですが、Lindaの興味を引くようなイベントは特になし。それで顔見知りと少し雑談してから多国籍屋台料理の料理(ブラジルとインド)を食べて引き上げました。まだ1時前だったので少し遠出をすることに。
当初は自転車で毎年行っていた鳥越峠を考えたのですが、寒さとガソリンの残量が気になったので(やはりそれなりの準備は必要です)、より近場の姉川ダムへ向かうことにしました。
その後は奥伊吹の甲津原まで足を伸ばしました。Lindaはこのカフェで売られていた小物が気に入ったようでいろいろ買い込んでいました。
次とその次の週末も紅葉を見に出かける予定です。また少し早いですが、姉川ダムより一回り大きい徳山ダムも含めた揖斐峡巡りを来年春に考えています。
当初は自転車で毎年行っていた鳥越峠を考えたのですが、寒さとガソリンの残量が気になったので(やはりそれなりの準備は必要です)、より近場の姉川ダムへ向かうことにしました。
その後は奥伊吹の甲津原まで足を伸ばしました。Lindaはこのカフェで売られていた小物が気に入ったようでいろいろ買い込んでいました。
次とその次の週末も紅葉を見に出かける予定です。また少し早いですが、姉川ダムより一回り大きい徳山ダムも含めた揖斐峡巡りを来年春に考えています。