"papi" というのは "papá"(お父さん)に親愛の意を表す接尾語 "ito" を付けて、それを縮めたものなのか、それともいきなり語尾を変化させて作るものなのかは知りませんが、要は「父ちゃん」ぐらいのニュアンスでしょう。あちらでは婚約したら家族同然ということで、そう呼ぶのが自然なのかもしれませんが、私は面食らいました。そのことをK君へのメールにしたためたところ、「向こうがそう呼ぶのなら泉氏は "Mamita" あたりでしょうかね」などと返事してきました。ところが何のことはない。Lindaは既にメールの差出人をそれまでの "Linda Velasquez" から "Linda Mamita" に変えていたのでした。(さすが鋭い!)そして、Lindaからはこれまでの名前ではなく呼び方を変えてほしいと頼まれましたが、さすがに "Mamita"(かあちゃん)は恥ずかしいので、私はそれを機に例の "Cariño" を使うことにしました。
何にしても私は一夜にして「パピ」になってしまったのでした。
さて、その日はリンダの頼みで彼女の家族に挨拶することになっていたのですが、朝呼んだ時には人の集まりがもう一つ。(なお米東部時間のスーセントマリーとボリビアの間に時差はありません。ニューヨークも一緒です。)ちなみに彼女は8人兄弟の5番目(三女)でご兄弟はみなお父さんの家に同居。それぞれパートナーや子供さんがいるので日本ではちょっと考えられないくらいの大家族です。(なお、ご両親は母音のアルファベット順、つまりA→E→I→O→Uの5人で終わりにしようと考えていたそうです。そして実際にもAna-María, Elma, Igor, Orlando, Urbelindaと名付けられています。ところがその後にCarmen, Lucero, Natalieの3人が続くこととなりました。)みんなお昼を食べに来るということだったので、それまでの間二人でこれからのことをいろいろ話し合いました。
昼過ぎに呼んだところ最初に応対したのは長女のAna-Maríaさんでした。(Lindaによれば一家のお母さん役とのこと。)これまでの経緯をLindaが説明している内に2人とも涙声になり、実際泣いていました。後に見える他の女の人達も同じでした。ものすごい感激屋さん一家のようです。
少し緊張していたのでたどたどしい言葉になりましたが、私も皆に挨拶し、訊かれたことに答えました。(向こうの言っていることはだいたい解りました。24年前に一人でボリビアを旅した時もそうで、パラグアイのスペイン語よりも聞き取りはラクでした。逆にあまりの早口で困ったのがアルゼンチンとチリです。)前に座っていたお父さん(84歳)はその間ほとんど口を利かなかったのですが、突然「Urbelinda、私の娘よ」と言った後、私に向かって「おい、お前は誰だ」と尋ねました。ドキッ。さらに緊張が高まりました。
「もしかしたら『お前のような若造に大事な娘はやれん』と言われるんじゃなかろうか(決して若くないですが)と不安が過ぎりました。(そういうドラマのシーンを何度も観ているので。)しかし「私はYasuhiro Izumiいう名前で日本人です。このたびお嬢さんのLindaと結婚することになりました。絶対に彼女を幸せにすることを約束します。」と答えたところ、お父さんは「友よ、どうか娘を頼んだぞ」と言ってくれたので、さすがにその時は私も泣きそうになりました。
なおLindaやご姉妹は相変わらず泣いていました。が、Ana Maríaさんが「お願いだから結婚式で民族衣装を着るのはやめてね」と言った時にはなぜか大笑いが起きました。(後で理由を教えてもらいましたが、Aさんとの式でのK君の扮装のことを言っていたそうです。私はその写真を見ていないのでノーコメントとします。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/7e/aa9a38d6fdd009cd824c8bd6977f4414.jpg)
上はその会話後の昼食のものです。LindaからPapiと呼ばれる度にこそばゆい思いをしましたが、新婚生活の予行演習をしているようで気分は決して悪くなかったです。
彼女は翌日朝ニューヨークへ帰るので、互いの持ち物の交換(Lindaは私がボリビアを訪ねた時の、私は彼女が日本へ来た時の服などを持って帰る)など必要なことを済ませ、最後に私が持ってきたオペラのDVDを観ました。彼女から何かお薦めのを1作頼まれていたのですが、私は何にしようか考えに考えた挙げ句(2時間程度と長くなく自分の好きなプッチーニの「ボエーム」か「トゥーランドット」でも良かったのですが)、思い切ってガーシュインの「ポーギーとベス」にしました(ここは変化球で)。米国南部の「キャット・フィッシュ・ロウ」という架空のアフリカ系住民の居住区を舞台とした英語のオペラです。(字幕は日本語もスペイン語も選べましたが、両方同時というのは無理なので、たまたま見つけた西語字幕付き動画を同時再生し、二人とも楽しめるようにしました。DVDとシンクロさせるのにちょっと苦労しましたが。思いっ切り著作権を侵害しているようですがこれです。)私はとくにエンディング(最後に歌われる "O Lawd, I'm On My Way" の音楽と歌詞)が大好きなのですが、この作品は何千キロも離れたニューヨークへ去ってしまったベスを追いかけようと決心したポーギーが足を引きずりながら歩き出すシーンで終わります。決して私たち二人にピッタリだと思って選んだ訳ではないのですが、観ている時にはそう感じました。(余談ですが、リヒャルト・シュトラウスの歌曲集「4つの最後の歌」の夕映えの中での二人のような人生を送れたら言うことなし、と私は思っています。やはり違法アップロードかもしれませんが、シュワルツコップとヤノヴィッツによる甲乙付けがたい絶唱が残されているのは人類にとって幸せです。)
予期せず婚約まで一気に進んだこともあって前日はあっという間に過ぎてしまいましたが、対照的にLindaと二人だけの3日目は長く感じました。
何にしても私は一夜にして「パピ」になってしまったのでした。
さて、その日はリンダの頼みで彼女の家族に挨拶することになっていたのですが、朝呼んだ時には人の集まりがもう一つ。(なお米東部時間のスーセントマリーとボリビアの間に時差はありません。ニューヨークも一緒です。)ちなみに彼女は8人兄弟の5番目(三女)でご兄弟はみなお父さんの家に同居。それぞれパートナーや子供さんがいるので日本ではちょっと考えられないくらいの大家族です。(なお、ご両親は母音のアルファベット順、つまりA→E→I→O→Uの5人で終わりにしようと考えていたそうです。そして実際にもAna-María, Elma, Igor, Orlando, Urbelindaと名付けられています。ところがその後にCarmen, Lucero, Natalieの3人が続くこととなりました。)みんなお昼を食べに来るということだったので、それまでの間二人でこれからのことをいろいろ話し合いました。
昼過ぎに呼んだところ最初に応対したのは長女のAna-Maríaさんでした。(Lindaによれば一家のお母さん役とのこと。)これまでの経緯をLindaが説明している内に2人とも涙声になり、実際泣いていました。後に見える他の女の人達も同じでした。ものすごい感激屋さん一家のようです。
少し緊張していたのでたどたどしい言葉になりましたが、私も皆に挨拶し、訊かれたことに答えました。(向こうの言っていることはだいたい解りました。24年前に一人でボリビアを旅した時もそうで、パラグアイのスペイン語よりも聞き取りはラクでした。逆にあまりの早口で困ったのがアルゼンチンとチリです。)前に座っていたお父さん(84歳)はその間ほとんど口を利かなかったのですが、突然「Urbelinda、私の娘よ」と言った後、私に向かって「おい、お前は誰だ」と尋ねました。ドキッ。さらに緊張が高まりました。
「もしかしたら『お前のような若造に大事な娘はやれん』と言われるんじゃなかろうか(決して若くないですが)と不安が過ぎりました。(そういうドラマのシーンを何度も観ているので。)しかし「私はYasuhiro Izumiいう名前で日本人です。このたびお嬢さんのLindaと結婚することになりました。絶対に彼女を幸せにすることを約束します。」と答えたところ、お父さんは「友よ、どうか娘を頼んだぞ」と言ってくれたので、さすがにその時は私も泣きそうになりました。
なおLindaやご姉妹は相変わらず泣いていました。が、Ana Maríaさんが「お願いだから結婚式で民族衣装を着るのはやめてね」と言った時にはなぜか大笑いが起きました。(後で理由を教えてもらいましたが、Aさんとの式でのK君の扮装のことを言っていたそうです。私はその写真を見ていないのでノーコメントとします。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/7e/aa9a38d6fdd009cd824c8bd6977f4414.jpg)
上はその会話後の昼食のものです。LindaからPapiと呼ばれる度にこそばゆい思いをしましたが、新婚生活の予行演習をしているようで気分は決して悪くなかったです。
彼女は翌日朝ニューヨークへ帰るので、互いの持ち物の交換(Lindaは私がボリビアを訪ねた時の、私は彼女が日本へ来た時の服などを持って帰る)など必要なことを済ませ、最後に私が持ってきたオペラのDVDを観ました。彼女から何かお薦めのを1作頼まれていたのですが、私は何にしようか考えに考えた挙げ句(2時間程度と長くなく自分の好きなプッチーニの「ボエーム」か「トゥーランドット」でも良かったのですが)、思い切ってガーシュインの「ポーギーとベス」にしました(ここは変化球で)。米国南部の「キャット・フィッシュ・ロウ」という架空のアフリカ系住民の居住区を舞台とした英語のオペラです。(字幕は日本語もスペイン語も選べましたが、両方同時というのは無理なので、たまたま見つけた西語字幕付き動画を同時再生し、二人とも楽しめるようにしました。DVDとシンクロさせるのにちょっと苦労しましたが。思いっ切り著作権を侵害しているようですがこれです。)私はとくにエンディング(最後に歌われる "O Lawd, I'm On My Way" の音楽と歌詞)が大好きなのですが、この作品は何千キロも離れたニューヨークへ去ってしまったベスを追いかけようと決心したポーギーが足を引きずりながら歩き出すシーンで終わります。決して私たち二人にピッタリだと思って選んだ訳ではないのですが、観ている時にはそう感じました。(余談ですが、リヒャルト・シュトラウスの歌曲集「4つの最後の歌」の夕映えの中での二人のような人生を送れたら言うことなし、と私は思っています。やはり違法アップロードかもしれませんが、シュワルツコップとヤノヴィッツによる甲乙付けがたい絶唱が残されているのは人類にとって幸せです。)
予期せず婚約まで一気に進んだこともあって前日はあっという間に過ぎてしまいましたが、対照的にLindaと二人だけの3日目は長く感じました。
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