シングルイシュー戦略が「ある心理作用」を呼び起こした
今回の選挙で小泉さんが勝ったのは、「争点を1つに絞り、わかりやすくしたからだ」という分析をよく耳にする。
だけどもっと踏み込んで考えれば、あのシングルイシュー戦略は「ある心理的な作用」を情報の受け手の側に呼び起こしたんじゃないか? それが人々の投票行動につながり、結果的に自民党が大勝したーー。
とすればその「心理的な作用」っていったい何か? これが今回のお題である。
たとえばあなたの目の前に、政策を訴える1枚のビラがあるとしよう。そのビラには例えば(旧民主党のビラみたいに)100項目にわたる政策と、そのくわしい解説がならんでいる。
ところが人間の脳というやつは、複数の重要なことがらを同時に考えられないようにできている。
100項目も政策が並ぶと人間のキャパを超える
例をあげよう。あなたはいま会社にいる。何かの書類作りに深く集中している最中だ。そこに隣の同僚から「おい、この企画書を読んでみてくれないか?」と声をかけられたらどうだろう?
極端な人なら、呼びかける声そのものが聞こえない(私はこのタイプだ)。あるいはそこまでじゃなくても、相手に対する反応が生返事になるのはよくあることだ。
で、人間の脳は100項目の政策を追ううちにキャパシティを超えてしまう。だんだん知覚があいまいになり、書かれていることを正確に認識できなくなる。
100項目のうち、5項目あたりを読んだところであなたは顔を上げ、こうつぶやくだろう。
「なんか疲れたなあ」
あなたはもう読むのをあきらめ、ビラをゴミ箱に捨ててしまう。この時点であなたの記憶には、さっきのビラがどの候補者のものだったか? すら残っていない。
論点をひとつに絞ったことが勝因だった
じゃあ小泉さんのケースはどうだったか? ここでは3つのポイントをあげ、小泉さんが人々にあたえたと推測できる心理的な作用について考えてみよう。
まず小泉さんは論点を1つにしぼった。そのことが政策自体よりむしろ、小泉純一郎という人物のほうを際立たせる結果になった。それはどういう意味か?
論点が1つしかなければ、脳には十分なキャパシティがある。政策を記憶したあとの人間の脳は、その政策を訴える人物と論点をセットにして明確に認知するはずだ。これくらいの作業なら人間の脳は同時並行的にこなすことはできる。
かくて人々の脳には「小泉純一郎」+「改革」という非常にシンプルで、しかも強烈な組み合わせがしっかりと印象づけられた。
「小泉」と「改革」がセットになった巧妙な仕掛け
また今回、小泉さんは小泉改革というフレーズを多用した。おわかりだろうか? ここでも「改革」という2文字に、「小泉」の名前がセットになっている。
だから人々は「小泉改革」という言葉を聞くたびに、これまた同じ作業を頭の中で無意識に繰り返す。「小泉純一郎」+「改革」のわかりやすいセットメニューを脳に刻み込むわけだ。
こんなふうに小泉さんは(本人が意図したかどうかは別にして)、郵政民営化という政策のむずかしい中身よりも、改革者としての小泉純一郎という人物そのものを押し出していた。少なくとも情報の受け手の側はそう感じた。
にもかかわらず小泉さんは、選挙カーから「自分の名前だけ」を連呼するたぐいの候補者とは決定的なちがいがあった。
名前を聞かされ続けても、固い「支持者」から見ればなんてことはない。だが候補者と地縁血縁金縁のない無党派層が、名前だけを連呼する候補者を目の当たりにすればどう感じるか?
「ああ、この人には確固たる政策なんてないんだな」とジャッジする可能性はとても高い。結果、名前の連呼は彼らの投票行動に結びつかない。
ところが小泉さんは政策の中身より「人物」のほうを強く打ち出していながら、今まで見てきたように名前が常に郵政民営化という政策とワンセットになっている。
そもそも今回の選挙自体、郵政民営化がトリガーで起きたイベントなのだ。人々は「郵政民営化」という言葉を聞くと、反射的に小泉さんのことを思い浮かべる状態である。とすれば彼らは小泉さんをどう認知するだろうか?
「この人は名前を連呼するだけでなく、きちんと政策もあるんだな」
当然、こう考えるはずだ。「人物」をアピールしながらも、名前と政策が表裏一体になっていることで人々からプラスの評価を得られる。とにかく改革してくれる人なんだ、という認知のされ方をする。
小泉さん本人が戦略的に意識していたかどうかはともかく、今回の有権者の投票行動の背景にはこんな心理的要素があったんじゃないだろうか?
政策じゃなく国のリーダーを選ぶ「人物選挙」だった
さて最後は最大のポイントだ。「政策よりむしろ小泉純一郎という人物」を強く認知していた人が投票するとき、どんな心理状態になるのか? である。
今回の選挙の最大の特徴は、前回のエントリーでも書いた通り、都市部の無党派層が自民党へ雪崩を打ったことだ。
たとえば支持政党のない無党派層のAさんが、自民党に投票したとしよう。Aさんには、政策や党よりむしろ「小泉純一郎という人物」が強く印象に残っている。
すると自然に頭の中で、「これから投じる1票は国のリーダー=人物を選ぶための1票だ」という認識になるだろう。
Aさんは、比例区で自民党に投票しにきたわけじゃない。また小選挙区で自民党の○○候補を当選させるのが目的でもない。Aさんはとにかく、小泉純一郎という(Aさんが考える)国のリーダーに票を入れるために投票所へやってきたのだ。
Aさんは比例区で自民党を選んだ。だけど「心の投票所」で、自民党じゃなく小泉さんに投票した。彼(彼女)が小選挙区で自民党の○○候補に入れたのも、理屈は同じである。Aさんは○○候補を選んだのではなく、そのことによって小泉さんを選んだのだ。
今回の選挙では、この現象が全国規模で雪崩のように起こった。だから落下傘候補であれ何であれ、自民党のカンバンを背負ってさえいれば当選する候補者が相次いだ──。こう考えれば自民圧勝の理由にも辻褄が合う。
私が前回のエントリーで、「今回の選挙は擬似・大統領選だった」と書いた理由はこれだ。
仮想的に国のリーダーを選ぶ「直接選挙」になった
政策よりむしろ「小泉純一郎という人物」が人々の印象に残ったために、システム自体はこれまで通りの選挙でありながら、仮想的に国のリーダーを直接選挙で選ぶ土俵ができ上がった。
自分の1票で「大統領」を選べる。しかもその人物は「改革者」だ──。
今回の選挙でたくさんの無党派層が自民党に入れた理由。それはあのイベントが彼らにとって、バーチャルな大統領選挙だったからではないだろうか?
【関連エントリ】