すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

政権交代が起きない日本というシステム──自民と民主の「新・55年体制」が始まる

2005-09-17 05:54:59 | 政治経済
2005年9月、小泉劇場が炸裂した

 自民党がこれでもかとばかりに圧勝した小泉首相(当時)の郵政解散・総選挙だった。

「日本ではもう永久に政権交代は起こらないのか?」、「2大政党制なんて実現しないのでは?」

 あの圧倒的な選挙結果を見て、こう嘆いた人も多いだろう。

 現にあれから10年以上たつ最近の情勢は、別記事『政権交代が起きない日本というシステムの不幸』でも分析した通りだ。

 かつての55年体制は、まるで政権を取る気がない社会党と、自民党が馴れ合って演じた。

 そしていま、あの小泉純一郎さんの郵政選挙を境に、現在の「新・55年体制」が固定化した。まるで政権を取る気がない枝野氏率いる立憲民主党が野党第一党に安住する今と、当時の情勢はそっくり同じである。

 そもそも返り血を浴びながら敵の大将の首を取りに行く本気度100%の対抗軸(野党)が育たなければ、2大政党制なんて夢のまた夢なのだ。

 あの郵政選挙で自民・主演、民主・助演の馴れ合いシステム「新・55年体制」が発動されたと感じるのは、私だけだろうか?

「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」

 19世紀、イギリスの歴史学者であるJ・E・アクトンは言った。

「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」

 昔は別の意味で別の体制を指して言われたこの言葉を、いまや自民党に対して言わなきゃならない状況である。

 権力に対する対抗軸がダメっぷりをさらし続け、いつまでたっても政権交代が起きないからだ。

 もし世の中に普遍的な真理があるなら、政権交代なんていらない。1つの体制が恒久的に「正しい政治」をし続ければ、原理的にはその政権だけあればいいってことになる。

 だけど残念ながらこの世には、普遍の真理なんてありえない。だからそのときどきのイシューで民意が割れたら、それにもとづき多数決の原理で政権交代が起こるのが健全だ。

 まずこの前提に賛成できない人とは、たぶん議論にならないだろう。以前のエントリーで書いた教条主義というのは、右にも左にも同じように存在する。

「その政権の質や内容なんてどうでもいいから、とにかく右寄りの政権が続いてほしい」

「その政権の質や内容なんてどうでもいいから、とにかく左寄りの政権が続いてほしい」

 こんなふうに考えてる人と、私は議論する気になれない。それは政治というより宗教だからだ。

「神様は存在する」と信じ、頑なに主張する人に向かって「神様なんていないんじゃないの?」と語りかけることほどむなしいものはない。単なる時間のムダである。

 ん? でもやっぱり納得できない、って?

 じゃあ、まずは歴史のおさらいをしよう。2大政党制による政権交代はなぜ必要なのか? 大幅にはしょるからツッコミどころ満載だろうが、ブログなんだからしょうがない。議論の前提をハッキリさせるためだ。

「ウザいよ」って人は以下の【復習】の部分はすっ飛ばし、その先から読んでほしい。

【復習】2大政党制・待望論はなぜ起こったか?

 むかしむかしあるところに、「55年体制」てのがありましたとさ。その体制下では自民党が政権を握り続け、野党の第一党は旧社会党だった。だけど社会党には政権を取る気なんてサラサラなく、ひたすらツッコミ役に徹し続けた。

 国対(国会対策委員会)政治の裏取引でモノゴトが決められ、意思決定の経過がコクミンの目に見えない。そんな与野党のなれ合いが定番化した。

 野党は表じゃ自民党を批判するフリはするけど、政権を取る気がない。その実、裏では与党と「談合」してる。そんな状態がずっと続いた。

 彼らは右手で相手を殴る演技はするけど、左手では握手してたわけだ。

 そんな野党の「協力」で自民党政権は固定化した。利益誘導型政治の弊害やら汚職やら、権力が動かないことで生まれるいろんな歪みが生まれた。

「絶対的な権力が絶対的に腐敗した」わけだ。

 コクミンはそのありさまを見て、政治に期待するのをやめた。特に無党派層はその典型だった。

「選挙なんかに行ったって、どうせ世の中は変わりゃしない」

「与党と野党がなれあってるんだから、このまま何も変わらないんだ」

「この馬に乗れば世の中が変わる」と直感すれば、無党派層は動くものだ。2回前のエントリーで例にあげたように、今回の選挙や、土井さんの旧社会党が躍進した1989年の第15回参院選がそのいい例だ。

 反対に「どうせ変わらない」てな厭世観が定着すれば、無党派層は決して行動しない。「55年体制」が生み出した最大の弊害は、動かない無党派層を作ったことだ。

 こんな「55年体制」の反省から(もちろん理由はそれだけじゃないが)、90年頃に「このままじゃヤバいんじゃないか?」って議論が活発になった。そこで出てきたのが「2大政党制を作ろうぜ」論だ。

「2大政党制で政権交代をめざせ」論が登場した

「このままじゃ政権交代は起きない。大きな2つの政党が闊達に議論し、そのときどきのイシューによって政権が変わるシステムが必要なんじゃないか?」

 そんな流れで、死に票は多いけど2大政党制を作りやすい小選挙区制(小選挙区比例代表並立制)が、1994年に導入された。こいつが初めて使われたのは、1996年の第41回衆院選挙からだ。

 民主党(当時)が結成されたのは、まさにこの年(1996年)である。

 ※厳密にはその後、1998年に野党4党が合流して現・民主党が生まれた。

----------------------【復習】はおしまい--------------------------

 ふう疲れた。さてここまでで、すでに異論がある人もいるだろう。

「今回の選挙結果を見てみろ。民意が議席数に反映されてないじゃないか。小選挙区制度は見直すべきだ」

 そう考えてる人もいるはずだ。

 だがこの言説には根本的な疑問がある。

 今回、民主党が政権交代を実現できなかったのは、選挙制度が悪いからなのか? そうじゃないだろう。話はもっとカンタンだ。

 人々は小泉さんに魅力を感じた。

 一方の民主党(当時)は魅力的じゃなかった。

 こういうことじゃないの? ハナ水が出るくらい単純な理屈だと思うんだけど。だって民主党が小泉さんをはるかに上回るほど人々を惹きつける存在だったなら、過半数を取れるはずじゃない? それが取れてないんだから議論の余地はないだろう。

 もちろん小選挙区制は死に票が多く、民意が「議席数」に必ずしも直結しないって論点で語るなら、前述の言説にも議論の余地はある。ていうか、どんな選挙制度がいいのか? に関しては大いに議論すべきだろう。

 だけど民主党が政権を取れなかったのは、選挙制度のせいじゃないことだけはあきらかだ(当たり前の話だけど)。だからこのエントリーでは、選挙制度自体の問題は「次の議題」として保留にしておく。論点がいくつもあったらややこしいだけだ。

 今回の選挙結果は本当に自民の大圧勝なのか? それとも選挙システムが作用して大圧勝に見えているだけなのか? 

 私はそんな議論にはあんまり興味がない。それよりもなぜ日本では政権交代が起きないのか? を考えるべきじゃないか?

選挙後に前原氏と菅氏で代表戦をやった旧民主党

 正直、旧民主党は今回の敗戦で右と左に党を割り、カンバンをすげかけて出直すのかと思っていた。だけどどうやら新代表を選び、まだ続けるらしい。

 9月17日(土)の両院議員総会で、新代表を選出するという。立候補したのは若手・中堅に推された前原誠司さん(43)と、菅直人さん(58)=前代表の2人だ。

 この原稿を書いてる当日に選挙があるんだからあんまり意味ないが、一応、前原さんと菅さんに対する私なりの寸評を書いておこう。

【前原誠司さん】

<出馬にあたっての前原さんの主張>

1 民主党が郵政民営化関連法案の対案を出せなかったのは、労組の影響だ。

2 労組や業界団体と意見が合わない場合は、ハッキリものを言うべきだ。

3 年功序列や利益集団とのしがらみを断ち切り、新しい党運営をしたい。

4 人事は徹底した能力主義で行い、民主党を「闘う集団」にしたい。

5 自分は党内の各グループに、組織としての選挙応援は依頼しない。

 なるほど前原さんが言ってることは、すべて正しい。かつ前原さんは私が以前、エントリー「なぜ日本では議論が生まれにくいのか? ──議論とケンカのメンタリティ」で書いたように、自分の考えをハッキリ言える人物のようだ。こういうタイプの人はマトモな議論もできるだろう。

 だけど前原さんの大きな弱点は、線が細いことだ。ひとことで言えば、知的で「正しい人」。だけど人生の機微や苦労を知らない優等生のおぼっちゃん、みたいな感じだ。

 これなら河村たかしさんのほうが、はるかに人間的な魅力がある(当時の話だ)。これは冗談ではない。ユーモアのセンスがあるかどうかは、リーダーにとって大きな要素なのだ。日本ではユーモアって重視されないが、海外、特にアメリカやイギリスでは、ユーモアがわかるかどうかが人間の器をはかる尺度になっている。

 さて、私はいま「イメージ」だけで前原さんの印象を書いた。もちろん前原さんが本当にそういう人物かどうかは知らない。だけど人間は見知らぬ人と会ったとき、まず相手から受けるイメージでその人物を認知するのがふつうだ。

 選挙になれば私と同様、有権者は最初にイメージで判断する。その次が政策である。前原さんはこの点で、見る者にあたえるファースト・インプレッションが弱い。

 民主党はこれから返り血をあびながら、敵の大将の首を取りに行かなきゃならない立場だ。前原さんはそんな修羅場で血糊にまみれたとき、はたして動揺せずに相手の首をかっ切れるのか? 

「民主党は闘う集団にならなきゃダメだ」という前原さんの問題意識は、まったく正しい。でもイメージだけで判断すれば、その前原さん自身が本当の意味で「闘える男」なのかどうかが見えない。もちろんそれは本人が実際に党代表になったとき、自分自身の行動で証明すればすむ話だが。

80年代後半のTV「朝生」で喋る菅さんはキレキレだったが……

【菅直人さん】

<出馬にあたっての菅さんの主張>

1 不幸な人をなるべく作らない「最小不幸社会」をめざす。

  (2は前原さんと同じ)

3 中央官庁を解体・再生する。

 1は、小泉流の「勝ち組優先・自由主義」に対抗したものだ。だけど岡田さんの「日本をあきらめないで」と同じく、やっぱり菅さんもネガティブな発想にもとづいている。

「輝ける未来」をめざすんじゃなく、「負ける人」を少なくしよう──。

 足し算ではなく、引き算の思想なのだ。この受身の姿勢はいかにも野党的である。政権奪取のニオイがしない。もちろん社会的なセーフティネットを作るのは大事だ。だけど菅さんは社会保障制度を作るために、党代表になるのだろうか?

 あの菅さんがしゃべるのを私が初めて見たのは、1980年代後半頃に放送された「朝まで生テレビ」だった。当時、菅さんはまだ社会民主連合(1994年に解散)にいた。

 朝ナマで菅さんが話すのを初めて見た瞬間、「この人はすごいな」と感じた。菅さんの発言はとても論理的で知性を感じさせた。そしてなによりバランス感覚が豊かだった。

 以後、「朝まで生テレビ」に菅さんが出るたびに、私は発言を注視するようになった。私のなかでは80年代後半からずっと、「注目の人物」のひとりだった。1996年に菅さんが民主党代表(2人代表制)として、第41回衆院選を迎えるまでは。

菅氏は「諸般の事情」で政権を目指さなかった

 1996年に菅さんは厚生大臣になり、薬害エイズ問題で当時の厚生省にキツイ一発を食らわせた。世間は彼の行動に快哉を叫び、人々の支持と信頼を一身に浴びた。

 ところが……。その同じ年に行われた衆院選を迎えるにあたり、菅さんはマスコミに向けてこう言った。

「今度の選挙では、政権交代は争点にしない」

 私はわが耳を疑った。当時の菅さんには、薬害エイズ問題でまさに世の中の支持が降り注いでいた。いってみれば今回の選挙における小泉さんと同じ状態だ。いまやらずにいったい、いつやるというんだろう?

 もちろんやらない理由は察するが、それではあまりにも紳士的すぎる。なにしろいますぐ動けばひょっとしたら首相になれるかもしれないのだ。

 あの発言を聞いたときの衝撃は、いまでもハッキリ覚えている。政権交代をめざして生まれた民主党の代表が、しかもわが身に張った帆に「風」をありったけ受けているのに「政権交代は争点にしない」という。「ああ、この人じゃダメだな」。私は思った。

 政治は、どう世の中にうねりを作るかが勝負だ。そのためには意思決定が大胆で速いこと、そしてなによりタイミングを見分ける目が死命を制する。あれから約10年がたったいま、もし菅さんが今回代表になったとしたら……はたしてもう一度うねりを起こせるのだろうか?

 さて、民主党はこの前原さんと菅さんの二択だ。しかも民主党は郵政民営化関連法案の対案を出せなかった失着だけでなく、いままでに何度も致命的なミスを犯している(そもそも結党時のメンバー構成自体、左右バラバラで矛盾の固まりだ)。

「民主党じゃ、いつまでたってもラチがあかない」

 無党派層の票で勝負が決まった今回の選挙では、こう考えて小泉さんに投票した人も多いだろう。コクミンはバカじゃない。いつまでも気長に待ってくれると思ったら大まちがいだ。

 サッカーでは、1試合で1人の選手に2枚のイエローカードが出れば、その選手は退場になる。結党以来、民主党に今まで出ているイエローカードの数は2枚どころじゃない。もしサッカーの試合ならとっくに退場になっていておかしくないくらいだ。

民主党(当時)は旧社会党とダブって見える

「政権交代を実現する」

 口で言うだけならだれにでもできる。

 政権交代が起きない日本というシステムの不幸は、与党に対する対抗軸がかつてはあの旧社会党、いまは民主党(当時)であることかもしれない。この2つの政党がダブって見えるのは私だけだろうか?

 想像するだけで慄然とするが……自民党・主演、民主党・助演による固着した「新・55年体制」の足音が聞こえるのは私だけだろうか?

 空耳であってほしいものだが、そうならないためにも民主党に2つだけ注文をつけておきたい。

 まず今回の選挙で自分たちはなぜ負けたのか? 敗因を徹底的にマーケティングすることだ。

 たとえば民間企業が社運をかけた商品を開発し、市場に投入したとしよう。だがその商品はまったく売れなかった。結果、会社は一気に倒産しかけてる。そこでふつうならどうするか?

 なぜその商品は売れなかったのか?

 消費者(有権者)ニーズにどうマッチしてなかったのか?

 徹底的に分析し、そのデータをもとに消費者ニーズに合った新しいコンセプトを立案するはずだ。そしてコンシューマの心に刺さる切り口を考え、次こそは売れる新商品を作ろうとするだろう。

 いったいどこの世界に「売れなかった理由」を分析もせず、社長=党首の首だけすげかえて「なんとかなるさ」とタカをくくる企業があるだろうか? もしあったとしたらその企業は早晩、市場から退場することになるだろう。

 もうひとつ、注文がある。

「リメンバー・2005」を党の合言葉にし、額縁に入れて飾っておくことだ。その額縁はもちろん、党代表の机の前にかけておくべきなのはいうまでもない。

【関連記事】



コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする