意思統一が必要な集団プレイ
森保ジャパンでずっと気になっていることがある。
それは相手チームの最終ラインがボールを保持してビルドアップしようとしている際のハイプレス(のハメ方)がひとつ。
そしてもうひとつは、味方が高い位置でボールを失ったときにボールを即時奪回しようとするカウンタープレス(ゲーゲンプレッシング)である。
ハイプレスやカウンタープレスは、当然ながら複数の選手が意思統一し、同じ共通認識がなければできないプレイだ。
だが森保ジャパンの試合を見ていると、大迫と南野がいるときは前からハイプレスやカウンタープレスを行い、いないときには行わない。
そして行わない場合は、高い位置でボールを失うとプレスなしで全体がリトリート(後退)している。
不思議な話だ。
当然だが、ハイプレスやカウンタープレスは大迫と南野の2人だけでやるプレイじゃない。
想像だが、これは大迫と南野に前からプレスをかける強い意識があり、ゆえに彼らが試合に出るときにはほかの選手に声をかけ、彼ら2人が自主的に指示しているのだと思われる。だから、できるのだ。
「これは草サッカーのチームなのか?」とあきれてしまう。
監督がプレー原則を示しておく必要がある
繰り返しになるが、彼ら2人だけにその意識があるだけではうまくいかない。
例えばある選手は前からプレスをかけたが、ある選手はプレスをかけずにリトリートした、なんてことになったら目も当てられない。
とすれば相手チームの最終ラインがボールを保持しているときにはハイプレスをかける(または特定の相手や特定の時間帯、点差によっては、かけない)。
また高い位置でボールを失ったらカウンタープレスする(同上)、などと、複数の選手がハイプレスやカウンタープレスを行う際の「プレー原則」(約束事)を認識しておく必要がある。
つまり大迫と南野がいれば勝手にそうなるが、いなければそうならない、というのでは困るのだ。監督が「うちのチームはこうプレーする」と、きっちりプレー原則を事前に示しておく必要がある。
自陣での組織的プレッシングにもルールがある
もちろん高い位置でプレッシングするのでなく、逆にリトリートする場合にはミドルサードまでか? それともディフェンディング・サードまで後退するのか? というような約束事にしても同じだ。
さらには引いた位置での組織的守備にも決まりごとがある。
例えば先日のメキシコ戦では、日本は攻撃時には4-2-3-1、守備時には4-4-2になる、という約束事があった。
で、初めは、日本が守備に回って組織的プレッシングの局面になれば、鈴木武蔵と鎌田が2人で横に並んでビルドアップする敵の2人のCBにプレスをかけていた。
ところが途中で数人のメンバー交代があり、武蔵と鎌田が退いて南野がワントップに入ってからは南野が敵のCBに1人だけでプレッシングしていた。
果たして「チームとして」はどちらのやり方が正しいのか?
ひとつのセオリーとして、2トップが中にポジショニングし、敵のアンカーへのパスコースを切りながらスライドする方法がある。
すなわちボールホルダーの敵CBにFWがつき、敵CBがドリブルで前進できるコースを切る。
で、もう1人のFWは、敵のアンカーをマークする。こうして敵CBの2人とアンカーの計3人を2トップでスライドしながら防ぐ方法だ。
では「チームとして」は、どちらのやり方をしようとしているのか?
判然としない。
なぜか?
当然、監督が選手に指示してないからだ。
こうした意思統一は選手まかせでは絶対にできない。現に選手まかせだったから、ああなってしまったのだ。
指針がなければ烏合の衆だ
サッカーでは一事が万事このとおりで、複数の選手が共通認識を持ち、同じ意図に基づいて同じ方向性でプレーできなければ試合が成立しない局面が必ずある。
ところが森保ジャパンでは、これが「選手まかせ」になっている可能性が非常に高い。
致命的である。
選手個々の自覚を促し選手の自主性やインスピレーションにまかせる、といえば聞こえはいいが、裏を返せば監督の職場放棄だ。
サッカーには、選手まかせではできることとできないことがある。
このことはハッキリ認識しておくべきだ。
森保ジャパンでずっと気になっていることがある。
それは相手チームの最終ラインがボールを保持してビルドアップしようとしている際のハイプレス(のハメ方)がひとつ。
そしてもうひとつは、味方が高い位置でボールを失ったときにボールを即時奪回しようとするカウンタープレス(ゲーゲンプレッシング)である。
ハイプレスやカウンタープレスは、当然ながら複数の選手が意思統一し、同じ共通認識がなければできないプレイだ。
だが森保ジャパンの試合を見ていると、大迫と南野がいるときは前からハイプレスやカウンタープレスを行い、いないときには行わない。
そして行わない場合は、高い位置でボールを失うとプレスなしで全体がリトリート(後退)している。
不思議な話だ。
当然だが、ハイプレスやカウンタープレスは大迫と南野の2人だけでやるプレイじゃない。
想像だが、これは大迫と南野に前からプレスをかける強い意識があり、ゆえに彼らが試合に出るときにはほかの選手に声をかけ、彼ら2人が自主的に指示しているのだと思われる。だから、できるのだ。
「これは草サッカーのチームなのか?」とあきれてしまう。
監督がプレー原則を示しておく必要がある
繰り返しになるが、彼ら2人だけにその意識があるだけではうまくいかない。
例えばある選手は前からプレスをかけたが、ある選手はプレスをかけずにリトリートした、なんてことになったら目も当てられない。
とすれば相手チームの最終ラインがボールを保持しているときにはハイプレスをかける(または特定の相手や特定の時間帯、点差によっては、かけない)。
また高い位置でボールを失ったらカウンタープレスする(同上)、などと、複数の選手がハイプレスやカウンタープレスを行う際の「プレー原則」(約束事)を認識しておく必要がある。
つまり大迫と南野がいれば勝手にそうなるが、いなければそうならない、というのでは困るのだ。監督が「うちのチームはこうプレーする」と、きっちりプレー原則を事前に示しておく必要がある。
自陣での組織的プレッシングにもルールがある
もちろん高い位置でプレッシングするのでなく、逆にリトリートする場合にはミドルサードまでか? それともディフェンディング・サードまで後退するのか? というような約束事にしても同じだ。
さらには引いた位置での組織的守備にも決まりごとがある。
例えば先日のメキシコ戦では、日本は攻撃時には4-2-3-1、守備時には4-4-2になる、という約束事があった。
で、初めは、日本が守備に回って組織的プレッシングの局面になれば、鈴木武蔵と鎌田が2人で横に並んでビルドアップする敵の2人のCBにプレスをかけていた。
ところが途中で数人のメンバー交代があり、武蔵と鎌田が退いて南野がワントップに入ってからは南野が敵のCBに1人だけでプレッシングしていた。
果たして「チームとして」はどちらのやり方が正しいのか?
ひとつのセオリーとして、2トップが中にポジショニングし、敵のアンカーへのパスコースを切りながらスライドする方法がある。
すなわちボールホルダーの敵CBにFWがつき、敵CBがドリブルで前進できるコースを切る。
で、もう1人のFWは、敵のアンカーをマークする。こうして敵CBの2人とアンカーの計3人を2トップでスライドしながら防ぐ方法だ。
では「チームとして」は、どちらのやり方をしようとしているのか?
判然としない。
なぜか?
当然、監督が選手に指示してないからだ。
こうした意思統一は選手まかせでは絶対にできない。現に選手まかせだったから、ああなってしまったのだ。
指針がなければ烏合の衆だ
サッカーでは一事が万事このとおりで、複数の選手が共通認識を持ち、同じ意図に基づいて同じ方向性でプレーできなければ試合が成立しない局面が必ずある。
ところが森保ジャパンでは、これが「選手まかせ」になっている可能性が非常に高い。
致命的である。
選手個々の自覚を促し選手の自主性やインスピレーションにまかせる、といえば聞こえはいいが、裏を返せば監督の職場放棄だ。
サッカーには、選手まかせではできることとできないことがある。
このことはハッキリ認識しておくべきだ。