私は音楽が好きで、20年来行きつけのジャズ喫茶がある。
その店は嫌煙権などどこ吹く風で、客が込み始めると煙でモウモウだ。私はタバコをやめて1年半ほどになるので、かなり煙い。すごく苦しい。
だけどほかの客に「タバコを吸うな」なんて言うつもりは、もちろんない。
理由はジャズ喫茶だからだ。ジャズとタバコと酒の縁は歴史的に深い。実際、私自身もその店で、誰構うことなくタバコを20年近く吸ってきた。「ここでは吸わないでください」なんて言われることなど想像もしたことがない。
別に店主が「ウチでは嫌煙権は認めません」などと宣言してるわけでもなんでもない。その店ではタバコを吸うのが常識だというだけだ。だから私は煙いのをガマンしながら、今日もせっせと店に通うのである。
果たしてあの店で「オレを殺す気か! お前らタバコを吸うな」と言い出す人は今後、出てくるのだろうか?
『自分の首を絞める喫煙者』(NATROMの日記)というブログ記事を読み、ふとそんなことを思った。
この記事は、禁煙ではない集合住宅のロビーで喫煙し咎められた人を指し、「非喫煙者と共存しようという態度がまった見られない」(原文のまま)という。
だけど共存する意思がないのは、喫煙者も非喫煙者もまったく同じじゃないだろうか?
【関連エントリ】
『タバコをやめて初めてわかったこと』
その店は嫌煙権などどこ吹く風で、客が込み始めると煙でモウモウだ。私はタバコをやめて1年半ほどになるので、かなり煙い。すごく苦しい。
だけどほかの客に「タバコを吸うな」なんて言うつもりは、もちろんない。
理由はジャズ喫茶だからだ。ジャズとタバコと酒の縁は歴史的に深い。実際、私自身もその店で、誰構うことなくタバコを20年近く吸ってきた。「ここでは吸わないでください」なんて言われることなど想像もしたことがない。
別に店主が「ウチでは嫌煙権は認めません」などと宣言してるわけでもなんでもない。その店ではタバコを吸うのが常識だというだけだ。だから私は煙いのをガマンしながら、今日もせっせと店に通うのである。
果たしてあの店で「オレを殺す気か! お前らタバコを吸うな」と言い出す人は今後、出てくるのだろうか?
『自分の首を絞める喫煙者』(NATROMの日記)というブログ記事を読み、ふとそんなことを思った。
この記事は、禁煙ではない集合住宅のロビーで喫煙し咎められた人を指し、「非喫煙者と共存しようという態度がまった見られない」(原文のまま)という。
だけど共存する意思がないのは、喫煙者も非喫煙者もまったく同じじゃないだろうか?
【関連エントリ】
『タバコをやめて初めてわかったこと』
暴走行為も痴漢も法が禁止しているコトなので、
マナーが規律する喫煙行為とはちょっと違うかな?と思います。
道路交通法(に関連する政令)だったり、各自治体の迷惑防止条例だったり。
法の方が強いルールで、マナーは極めて弱いルールですよね。
法規範の序列として。
詭弁と分かった上でおっしゃっているんですよね。
そのつもりで、嘘も方便、と書きました。
子供のいたずらを注意するとき、「そんな悪いことしてるとお巡りさんが来て逮捕されて牢屋に入れられるよ」みたいに言ったりするのと近い
禁煙でない場所で「あの・・・禁煙ですけど」という虚偽の申告をすることが「気遣い」だというのはちょっと・・・どうなんでしょう?
見る人によっては、「相手を気遣う気持ちで言ったことならば、例え事実と違う事を言ったとしても許されるのだ」という風に捉えられかねませんよね。
私も、老婦人が全く気遣いをしていないようには思えません。
一応「あの…、煙草は禁止ですけど」と言っていますから。
#気遣いがなければ、もっと、厳しい言い方になるかと。
まあ、ロビーにおいて喫煙禁止という規則はなかったようですから、(一応)的外れな指摘だったわけですが。
とはいえ、どこまで気遣いをすればよいのやら。
上の方と同様、この喫煙者の方には、どのように気遣っても無駄だろうと思いますが。
「私は煙草が嫌いだからここで吸わないでほしい!」
が本音としても、それをストレートに言うより、
『嘘も方便』で「ここは禁煙ですよ」と言った方が、
角が立たないのではないか、と思ってみたり。
つまり、老婦人は「気遣い」をしているからこそ、
そういう言い方をしたのかもしれない。
まあ、この喫煙者には何をどう気遣ったとしても、
全く無駄だっただろうと思えるけれど。
ジャズ喫茶に未成年が入るのはどう考えるのかな?
「未成年はジャズ喫茶を楽しんではいけない」
こういう結論になるのかな?
以下の14の州が、包括的な禁煙法を制定しており、職場、レストラン、バー、ビンゴホール、ボーリング場、
ナイトクラブ、公共交通機関などが禁煙となっている。
カリフォルニア(1998年)、デラウェア(2002年)、ニューヨーク(2003年)、コネチカット(2003年)、
メーン(2004年)、マサチューセッツ(2004年)、ロードアイランド(2004年)、モンタナ(2005年)、
バーモント(2005年)、ワシントン(2005年)、ニュージャージー(2006年)、ユタ(2006年3月18日に成立、
2009年までに段階的に施行)、コロラド(2006年)、ハワイ(2006年7月10日に成立、11月16日に施行)
『すみませんが暴走を止めていただけないでしょうか』と被害者も共存を考えるべきです。
電車で痴漢を見ても『止めろ』と怒鳴ってはいけません。
『すみませんが痴漢を止めていただけないでしょうか』と被害者も共存を考えるべきです。
ジャズがお好きなのですか?
確かにあの時間は、有意義ですよね。
私も煙いのをガマンして店に通っています。
それではまた。
むしろ、JAZZ喫茶が少なくなっているので、あんな有意義な時間あとどれくらい堪能できるのか不安です。
まとめレスで失礼します。
■yoccさん
> 過去の喫煙者・非喫煙者間での権力のバランスが崩れ、
> 非喫煙者のほうにそのバランスがだーっと崩れていったのがここ最近の話です。
確かにその通りですね。ひと昔前は、一定の年齢になるとタバコを吸うのが一般的でした。
ところが近年、タバコの害や吸わない人の権利がクローズアップされ、
「ひょっとしたら吸わないのが正しいんじゃないか?」って考える人が増えましたね。
> 現状、そのバランスは安定しておらず、双方、どの程度自分らが譲歩すべきなのか、
> あるいは権利を主張すべきなのか分かっていない。あるいは、いまの不安定なバランスのうちに、
> できるだけ大きな権利を自らの側に確保したいという心理が働く……
> そういった状況であるために、双方に共存意思がないように見えるんじゃないでしょうか。
なるほど、これも鋭い分析です。まだどちらが正しいのか、社会的なコンセンサスが完全に取れてない。確定してない。
だからどっちがどれだけ権利を主張する、または譲歩するのが正当なのか分からない、と。
あるいはまた、だから固まってない今のうちに自分の側に有利になる要素をかき集めておこう、と。
喫煙者、非喫煙者双方とも、そう考えてものを言ったり、行動している。
だから外側から見ると、両陣営が自分の都合ばかり主張しているように見える、というのがおっしゃる主旨ですね。
> バランスがある程度妥当なところで定まって線引きがされればもう少し平和になると思いますけどね。
具体的にいえば、例えば喫煙は8割方はダメだが、2割くらいは認めてもいいんじゃないか? とかですかね。(数字の配分は単なる一例です)
そんな感じで「どこに線を引くのか」について社会全体の合意が形成されれば、
不毛な言い争いはなくなり平和になる、って話ですね。
興味深い考察、ありがとうございました。
■桜井純一郎さん
> また、喫煙行為は非喫煙者に対して不快になることも多々あるでしょうが、
> 非喫煙行為(行為とは言えませんが)は喫煙者に対して不快になることがあまりないと考えます。
確かにおっしゃる通りなのですが……例えば引用した記事の例のように、禁煙ではないのに「ロビーは禁煙だ」と虚偽の言い立てをされ、相手に対する気遣いのない表現で「吸うな」と言われると人間なら誰でも不快になる気がします。
> そもそもの一件は、「行為を不快に思い文句を言った」のですよ。
> 言い方に対する配慮は必要でしょうが、それを「互いに気遣うのは当然」と同列に並べるのは、
> やはり議論にのせるには不十分な前提条件だと思います。
私は言い方に対する配慮こそが大切だと思います。
先に不快に思った方が文句を言ってるんだから、「相手に対する配慮は必要ない」というのでは、
文句を言われた方は素直に聞く気にならないのも無理はありません。(生身の人間ですから)
タバコ問題とは、実は人間同士のコミュニケーションの問題だと私は思います。
分煙をするには、互いに相手に配慮しながら、どんな分煙の方法がベストなのか話し合う必要がありますね。
ところがそこで互いに相手を不快にさせないコミュニケーションが成立しなければ、問題は何も解決しないと思います。
そうした状態では、相変わらず互いに罵詈雑言を投げ合うだけに終わってしまうのではないでしょうか。
実のある議論するために、私は自分の考えをハッキリ述べております。
どうかお気を悪くされないでください。よろしくお願いします。
■ekkenさん
店舗を禁煙にするかどうかは、店主が決めるものですからね。
「禁煙ジャズ喫茶」ってステキです(笑)
■Unknownさん
御意。
■AWNさん
> 少なくとも大半の非喫煙者は、分煙さえできていれば、共存しないなどという愚かな選択はしないだろうと思います。
それが本当なら安心ですね。
というか私は非喫煙者ですが、記事に書いたように、現に煙でモウモウのジャズ喫茶に通っていますしね(共存)。
ここに適切な具体例、もしくは「共存」という言葉の具体的な説明があれば、ツッコミは入らないか、より「ナイスな」ツッコミが入るように思います。
少なくとも大半の非喫煙者は、分煙さえできていれば、共存しないなどという愚かな選択はしないだろうと思います。
で、私は空気読めるし、かといってタバコの煙は『絶対』吸いたくないので、上記の公共の場にはいきませんよ。
俺はジャズは嫌いじゃないけど、タバコくささには我慢できそうにもないので、行く気にならない。禁煙ジャズ喫茶ならいくかも。
>【関連エントリ】
>『タバコをやめて初めてわかったこと』
とありましたね。すいませんでした。
元の記事の結論は、実にその通りだと思います。同意します。
ただ、その提示の仕方が足りていなかったのでしょう、とは思います。
また、喫煙行為は非喫煙者に対して不快になることも多々あるでしょうが、非喫煙行為(行為とは言えませんが)は喫煙者に対して不快になることがあまりないと考えます。
不快になることに対して文句を言うことはあっても、不快にならないことに対して文句は言わないでしょう?
そもそもの一件は、「行為を不快に思い文句を言った」のですよ。言い方に対する配慮は必要でしょうが、それを「互いに気遣うのは当然」と同列に並べるのは、やはり議論にのせるには不十分な前提条件だと思います。まず、記入者(のパイプ喫いの人)が周囲に配慮しないところが発端なわけですから。
(なお、管理人さんは喫煙者なのでしょうか?まだ今回のエントリしか読んでいませんので、今までの記事で書いていましたら申し訳ありませんが)
現在は非喫煙者である管理人氏に加害者の自覚を求めてなどいません。また、管理人氏は喫煙者が加害者でありうることを認めています。
したがって、加害者と被害者が「対等に」共存する意思を求められる責任を負うべきなのかとお尋ねしました。
その結果
より大きな責任は喫煙者の方にあるという当然のことを確認できたと考えます。対等の責任を負うなどという馬鹿げたことはありえませんからね。
で、私の意見ですが。
過去の喫煙者・非喫煙者間での権力のバランスが崩れ、非喫煙者のほうにそのバランスがだーっと崩れていったのがここ最近の話です。
現状、そのバランスは安定しておらず、双方、どの程度自分らが譲歩すべきなのか、あるいは権利を主張すべきなのか分かっていない。あるいは、いまの不安定なバランスのうちに、できるだけ大きな権利を自らの側に確保したいという心理が働く……
そういった状況であるために、双方に共存意思がないように見えるんじゃないでしょうか。
バランスがある程度妥当なところで定まって線引きがされればもう少し平和になると思いますけどね。
■地下に眠るMさん
私のレスを再掲します。
よろしくお願いします。
> 「加害者になる可能性がちがう」点、同意します。ただしだからといって、上にも書いた通り
> 「非喫煙者は喫煙者にまったく気遣いする必要がない」ということはありませんね。
> 人間同士の常識ある大人のコミュニケーションですから、互いに気遣うのは当然です。
もし喫煙者に喫煙を止めて欲しいのならば、
喫煙者に「お前は加害者だ!自覚しろ!」と声高に叫ぶことに大した効果はありません。
彼らはニコチン中毒者です。カルト宗教の熱心な信者を想像してください。
もし問題解決をしたいならばそれに見合った方法があるのでは?という趣旨ではないのでしょうか。
単に喫煙者を罵ったりバカにしたいだけならば別ですが。
書き込み、ありがとうございます。
(記事公開から1時間以内なのに、もうコメントが2本もきてるッ)
以下、お二方へのレスです。
■NATROMさん
私が提示した論点は、「共存する意思がないのは喫煙者も非喫煙者も同じでは?」というポイントです。
「ジャズ喫茶も集合住宅のロビーも、禁煙でないならどちらも同じように喫煙が認められるべきだ」などとは書いておりません(^^; 「どこでも嫌煙権が認められるわけではない」という一例としてジャズ喫茶の話を出し、そのことにより「必要なのは喫煙者の非喫煙者に対する気遣いだけではない。双方の、双方に対する気遣いが大切だ」との論点を提示しただけです。公共の空間と一店舗では、理屈がちがうのはもちろんです。
繰り返しになりますが、私が言いたかったことは「相手への気遣い」です。たとえば(禁煙ではない)集合住宅のロビーにおける喫煙にひと言いいたければ、「すみませんが、タバコは遠慮していただけませんか?」と丁寧な言葉づかいで申し出ればいいだけですね。それが相手への気遣いです。なのに当該記事に出てくるご婦人は、「ロビーでの喫煙は禁止されている」と事実と違うことをおっしゃっているだけです。
ただし引用記事に出てくるパイプ喫煙者さんの文章に品がないことは事実です。また、このパイプ喫煙者さんの言動自体、「ちょっとどうかなあ」と思わせるものは確かにあります。そこはもちろん私も同意です。
まとめましょう。
1. 老婦人はパイプ喫煙者さんに「吸わないでください」と申し出るとき、丁寧な言葉づかいを心がけ、相手を気遣う気持ちが必要だった。
この場合、その気遣いがなかったからパイプ喫煙者さんも気分を害し、意固地な態度を取ってしまった。その結果、感情的で無意味な対立が起こっただけで、問題の解決にならなかった。
2. 一方のパイプ喫煙者さんも、老婦人から「吸うな」との申し出を受けたとき、相手を気遣い、「では吸うのをやめます」と言うべきだった。
【結論】
この場合、「共存する意思がない」のは、喫煙者も非喫煙者も同じだったのではないか?
■通りすがりさん
はい。「加害者になる可能性がちがう」点、同意します。ただしだからといって、上にも書いた通り「非喫煙者は喫煙者にまったく気遣いする必要がない」ということはありませんね。人間同士の常識ある大人のコミュニケーションですから、互いに気遣うのは当然です。
つまり私の論旨は、「この場合、共存する意思がないのは喫煙者も非喫煙者も同じだったのでは?」という点です。
上の方へのレスにも書きましたが、このケースでは相手に気遣いがないのは老婦人もパイプ喫煙者さんも同じだと思います。
【大切なポイント】
このテのタバコ問題は、往々にして感情的な言葉の応酬になりがちです。生産的な議論にならない理由は、双方に「相手への気遣い」がないからです。私が言いたかったのは、その点です。
そのほかの論点については、上の方へのレスに書きました。よろしければご覧ください。よろしくお願いします。
ジャズ喫茶は嫌なら入らなければそれで済みますが、公共施設は違います。立場は同じではありません。加害者になる可能性を持つ方が、引くのは人として当然ではないでしょうか?