80年代発のTV番組「朝生」司会者・田原氏のシナリオでそれは始まった
まず素朴な疑問がある。
2020年代にグンと台頭した石丸伸二・元安芸高田市長と玉木雄一郎・国民民主党代表、立花孝志・N党党首の3者やその支持者たちは、なぜそもそも揃いも揃って右派なんだろうか?
✳︎ご参考【現代の真相】政治に新風を吹き込むビッグ3「石丸・玉木・立花」はなぜ揃って右なのか?(すちゃらかな日常 松岡美樹)
実は、上記の記事にはあえて書かなかったが、それにはハッキリ歴史的な由来がある。
はるか日本の右傾化の源流を辿れば、実は最終的には「あるテレビ番組」に行き着く。
で、その番組から生まれた新世代右派を(いわゆる「伝統的右翼」と区別し)第一世代とすれば、第二、第三世代とすでにテレビ・ネット世代における右派はその後続々と代替わりを続け、今ではすっかり何世代かが生まれ変わっているのが現状である。
番組で田原氏は「意図的」に右派の論者をしっかり揃えた
では、その「テレビ番組」とは、いったい何か?
正体は80年代に、あのジャーナリストで評論家の田原総一朗氏が仕掛けた討論番組「朝まで生テレビ!」(1987年4月放送開始)である。
まず素朴な疑問がある。
2020年代にグンと台頭した石丸伸二・元安芸高田市長と玉木雄一郎・国民民主党代表、立花孝志・N党党首の3者やその支持者たちは、なぜそもそも揃いも揃って右派なんだろうか?
✳︎ご参考【現代の真相】政治に新風を吹き込むビッグ3「石丸・玉木・立花」はなぜ揃って右なのか?(すちゃらかな日常 松岡美樹)
実は、上記の記事にはあえて書かなかったが、それにはハッキリ歴史的な由来がある。
はるか日本の右傾化の源流を辿れば、実は最終的には「あるテレビ番組」に行き着く。
で、その番組から生まれた新世代右派を(いわゆる「伝統的右翼」と区別し)第一世代とすれば、第二、第三世代とすでにテレビ・ネット世代における右派はその後続々と代替わりを続け、今ではすっかり何世代かが生まれ変わっているのが現状である。
番組で田原氏は「意図的」に右派の論者をしっかり揃えた
では、その「テレビ番組」とは、いったい何か?
正体は80年代に、あのジャーナリストで評論家の田原総一朗氏が仕掛けた討論番組「朝まで生テレビ!」(1987年4月放送開始)である。
現在では同番組は「BS朝日」に引っ越しているが、当時は放送開始からずっと地上波の「テレビ朝日」で金曜・翌日未明までの深夜帯に放送された。
田原氏はあの番組で左派の言論人と対抗させる形で、抜け目なくしっかり右派の論客を揃えていた。
田原氏はあの番組で左派の言論人と対抗させる形で、抜け目なくしっかり右派の論客を揃えていた。
例えば当時、メインパネリストとしてレギュラーだった評論家・保守思想家の西部邁氏(元・東大教授)と映画監督・大島渚氏という両雄を左右に従えた。
そのほか、東大教授(当時)の舛添要一氏や故・西尾幹二氏(元・電気通信大学名誉教授、元・新しい歴史教科書をつくる会会長)、また「右」の革新者である故・鈴木邦男氏(民族主義団体「一水会」創設者)、大物の故・野村秋介氏(新右翼、民族派活動家。のち朝日新聞に乗り込み1993年に拳銃自死)、ら、それまでテレビなどの一般マスコミには絶対に、呼ばれなかった右派の大物言論人らを積極的に招いた。
そのほか、東大教授(当時)の舛添要一氏や故・西尾幹二氏(元・電気通信大学名誉教授、元・新しい歴史教科書をつくる会会長)、また「右」の革新者である故・鈴木邦男氏(民族主義団体「一水会」創設者)、大物の故・野村秋介氏(新右翼、民族派活動家。のち朝日新聞に乗り込み1993年に拳銃自死)、ら、それまでテレビなどの一般マスコミには絶対に、呼ばれなかった右派の大物言論人らを積極的に招いた。
そんな彼らが発火点となり、かくて日本で初めて「右傾化の波」を巻き起こしたわけである。
巧妙な演出で左派の「穴」を突かせた司会者・田原氏
あの(左派だけでなく)右寄りの論者をスキなく配置した常連出演者の陣容を見れば、司会者・田原氏の狙いはハナから明らかだった。
おそらく「すっかり左に偏った今の世の中に、一発、風穴を開けてやろう」てな狙いだったのだろう。
そんなわけで番組の基本的な演出は、こんなふうだった。
まず「左」の論者にいかにも「正論」に見える持論(つまりこれが当時のすっかり左に偏ったスタンダードな「世論」だ)を語らせる。
で、次に「右」の論者に、ツッコミを入れさせるのだ。
つまり左の論者の論理に潜む根本的な矛盾点(これがイコール、当時の日本社会が抱える「根本的な論理矛盾」)を突かせて叩かせるーー。
そんな番組進行だった。
つまりこの時点で初めてテレビの視聴者は、「あれ? 自分は今までてっきりそれが正しい(つまり左の論者が番組で語る論理が正しい)と思っていたが……まちがいだったのか?」と気づくことになる仕掛けだ。
まあ、あとから考えれば、実はこれは一種の「洗脳」である。
つまりすっかり左に傾いた世の世論のバランスを取り、今度は逆に右へ寄せようとする司会者・田原氏が描いたシナリオだったのだ。
舛添要一氏の左派に対するトボけたツッコミは絶妙だった
ともあれこのやり方で番組は見事に成立し、ウケまくった。まず右派は「そうそう、オレが言いたかったのはそれなんだよ!」と賛同する。
一方、左派は、「あれ? 自分が今までもっていた考えは、実はまちがっていたのか?」と自分に疑問を持つようになる。
そんな仕掛けで、番組は当時の左翼支配の「陥穽に落ちた日本社会の基本的な矛盾点」を次々に暴き出した。
特にそんな欺瞞的な左翼論者が持つ「穴」の突き方が、バツグンにうまかったのが舛添要一氏だった。
彼は敵の手の内を(実は)完全にわかっていながら、最初はわざとトボけて相手の左傾化した話を「うんうん」と聞きながらエンエンしゃべらせる。
で、次にやおら、こう切り出す。
「あれ? でもあなたのその論理って、実はこうおかしいんじゃないですか? それ矛盾してますよね?」
こんな具合いで、見事に敵の首を取って見せるのだ。
彼のこのやり口は、実に巧妙でおもしろかった。
このテで番組に出る「左の論者」は、揃って片っ端から論破されて行った。
かくてそんな田原氏による狙い通りの「右方向への修正作用」がやがては番組を飛び出し、まるでさざ波のように世の中一帯へと浸透して行った。
かくてそんな田原氏による狙い通りの「右方向への修正作用」がやがては番組を飛び出し、まるでさざ波のように世の中一帯へと浸透して行った。
で、それがだんだん社会のデファクト・スタンダードになって行くことになる。
その後、日本は90年代以降にかけてさらに右ぶれし、やがて社会の隅々にまで右傾化が浸透した。それが今や、「右であることが当たり前」の世の中になった背景だ。
知的刺激でいっぱいだった「朝生」の議論
80年代当時、あの「朝生」が発信した議論は新鮮でまったく見たことがなく、かつ知的刺激でいっぱいだった。
その後、日本は90年代以降にかけてさらに右ぶれし、やがて社会の隅々にまで右傾化が浸透した。それが今や、「右であることが当たり前」の世の中になった背景だ。
知的刺激でいっぱいだった「朝生」の議論
80年代当時、あの「朝生」が発信した議論は新鮮でまったく見たことがなく、かつ知的刺激でいっぱいだった。
特に常連だったあの西部氏が次々に繰り出す聞いたこともないような「ひねった知的な問題提起のしかた」には、口をあんぐりさせられたものだ。
当時、戦後の日本が左翼運動にすっかり占拠された状態のなか、各家庭では判で押したようにみんなが「朝日新聞」を購読し、揃って左の人権意識に染まっていた。
それがあの「朝生」を初めて観て、後頭部をガツンと一発やられることになったわけだ。
当時、戦後の日本が左翼運動にすっかり占拠された状態のなか、各家庭では判で押したようにみんなが「朝日新聞」を購読し、揃って左の人権意識に染まっていた。
それがあの「朝生」を初めて観て、後頭部をガツンと一発やられることになったわけだ。
「世の中にはこんな思想があったのか!」と。
実際、そんな「ニューワールド」は、実にエキサイティングだった。
実際、そんな「ニューワールド」は、実にエキサイティングだった。
最後にトドメを刺したのは橋下徹・大阪市長(当時)だった
一方、こうした右傾化の波が社会全体を覆うにつれ、90年代以降の左派はすっかり退潮して行った。
特に「右」のニュースターとして期待を一身に背負い維新から台頭した橋下徹・大阪市長(当時)が、2012年に勃発した「左の巨頭・朝日との骨肉の戦い」に完全勝利を収めた。
そして最後には朝日側から謝罪を引き出した。あれで朝日に代表される「左の権威や文化」がガタ落ちし、右の完勝が確定した。
以後、今に至るも左の勢力は、もはや見る影もないのはご存知の通りである。
以後、今に至るも左の勢力は、もはや見る影もないのはご存知の通りである。
果たして今後また時代がもう一回転し、「左の世界」が来ることはあり得るのか?
個人的には唯一、そんな新しい潮流を「もはや左右の争いではなく、上流階級(既得権益層・支配者階級) vs 下層階級(一般庶民・被支配者階級)の戦い」へと昇華させようとしている、れいわ新選組の山本太郎代表には注目しているが……さてどうなるだろうか?
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