以前、mixiに代表されるSNSは「好き」、「同じ」で繋がるファンクラブ志向だと書いた。
●『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』(2005年-9/21)
また同じ上記のエントリで、
(1)自分とAさんの意見がちがうこと(事実の提示)
(2)そのちがいはどこからくるのか?(理由の分析)
(3)Aさんとのちがいは自分にどんな意味があるか?(自己分析)
これらを記事にし、意見が異なるAさんにトラックバックするブログというメディアは、議論志向であると書いた。
で、この両者のちがいを「人か?」「記事か?」の切り口で、うまく説明しているエントリを見つけた。ブログ「パソコンはおもちゃ箱」の『はてなブックマークコメントについて』という記事である。
■「記事で繋がる」に初めて気づく人たち
そのエントリで筆者のMarumamekoさんは、はてなユーザ以外のネット仲間にはてなブックマークのエントリページを見せ、誤解を受けながらも理解されていく過程を書いている。
その結果、「気が合う」ことで繋がるタイプの人でも、「『人ではなく、その書いたものに反応し共鳴する』という発想に自ら気がついてくれた人もいました」とする。
またエントリ後半の分析と比喩もおもしろい。少し長くなるが引用しよう。
はてブ空間を劇場に見立てたレトリックが効いている。なるほどブックマーカーは、一夜限りの舞踏会に集う人々なのかもしれない。
■価値観やキャラで連帯するブックマーカーもいる
ただ1点だけ異論を述べるとすれば、劇場を出た観客たちは必ずしも「ハイさようなら」じゃないことだ。
記事を通してだけでなく、「あのブックマーカーの見方は面白いな」と人間の価値観やキャラクターに共鳴する。で、劇場を出たあとも常連同士が継続し、精神的に繋がっている場合もあるだろう。
(もしかしたらこの点をMarumamekoさんは、「その場限りのSNS」と表現したのかもしれないが)
だからソーシャルブックマーク(SBM)のユーザといえども、ドライに記事の中身だけで判断してるとは限らない。
たとえば「人気・注目エントリの常連(コミュニティ内の有名人)の記事だから」ブックマークしよう。あるいは自分の好きな人、仲のいい人の記事だからブクマする──。そんなケースも考えられる。
またネットユーザは空気を読み合うものだ。だから「みんながブクマしてるから自分もする」(衆愚化)って例もあるだろう。
あるいはこんな場合もありそうだ。
1. 仲のいいAさんが記事Bを取り上げ、ブクマ・コメントで否定してる
2. 自分は記事Bを面白いと思う。けど仲良しのAさんが否定してるから、記事に賛同しにくい
とすればSBMのユーザといえども、おつきあいコミュニケーションがゼロだとはいえない。
■個が確立した超人ブックマーカーたち
もっとも人間は往々にして、客観的な思考より感情に左右されやすいものだ。だから仲間同士のおつきあいがあるのは自然である。逆にそのへんがスッパリ割り切れている人は、個がかなり確立してる人だといえる。
たとえば自分は日頃から、Aさんに親近感をもっているとしよう。でもあるときAさんが書いた記事に、自分は正反対の感想を抱いた。そこで記事のブクマ・コメントで、「私はあなたの意見とちがいます」と表明するようなケースだ。
つまり「仲のよさ」に引きずられず、あくまで「記事の内容」で判断している。これってSBMのユーザ間ではよく見かける。
その意味では確かにMarumamekoさんがおっしゃる通りだ。こうした価値観は、SBMを使っている人に(100%ではないが)顕著であるといえるだろう。
■結局、いい悪いの問題じゃない
仲のよさや同じ趣味で繋がるのがいいか? 記事の内容に惹かれて繋がるのがいいか? 結局のところ、これは人により判断が分かれるものだ。
また実はこれっていい悪いの問題じゃなく、それこそ趣味の違いのような気もしないではない。
ただ私の個人的な価値観でいえば、やはり記事の中身で繋がり、人とちがうことで面白い議論が発生する世界のほうが住みやすいことは確かである。
●『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』(2005年-9/21)
また同じ上記のエントリで、
(1)自分とAさんの意見がちがうこと(事実の提示)
(2)そのちがいはどこからくるのか?(理由の分析)
(3)Aさんとのちがいは自分にどんな意味があるか?(自己分析)
これらを記事にし、意見が異なるAさんにトラックバックするブログというメディアは、議論志向であると書いた。
で、この両者のちがいを「人か?」「記事か?」の切り口で、うまく説明しているエントリを見つけた。ブログ「パソコンはおもちゃ箱」の『はてなブックマークコメントについて』という記事である。
■「記事で繋がる」に初めて気づく人たち
そのエントリで筆者のMarumamekoさんは、はてなユーザ以外のネット仲間にはてなブックマークのエントリページを見せ、誤解を受けながらも理解されていく過程を書いている。
その結果、「気が合う」ことで繋がるタイプの人でも、「『人ではなく、その書いたものに反応し共鳴する』という発想に自ら気がついてくれた人もいました」とする。
ソーシャルブックマークを使ったことがない、もしくは関心が無いネットユーザーは得てして“ネットの交流”すなわちネットで気が合う(意見が合う・趣味志向が合う)人との交流という発想なのですが、日頃から人と繋がるだけではなく記事で繋がることがネットがオープンになっていくのに大事だと考えている私にとっては、これは今後ある程度の期待を繋ぐことができそうなうれしい出来事でした。
●パソコンはおもちゃ箱『はてなブックマークコメントについて』
またエントリ後半の分析と比喩もおもしろい。少し長くなるが引用しよう。
はてブのコメント欄は同じ記事をブックマークした同士でのその場限りのSNSみたいな感じが面白いと感じています。そう、たとえるなら劇場やコンサート会場での一体感みたいな感じ。制作者に対してだったり作品に対してだったりの感想・批評を、観客が劇場を出ながらブツブツ言っているのを聞く感じ。一緒に感動(じゃない場合もあるけど)を共有して盛り上がっても、劇場を出れば別に観客同士が繋がっているわけでもなくて会場を出たらハイさよなら…という感じ。
はてブ空間を劇場に見立てたレトリックが効いている。なるほどブックマーカーは、一夜限りの舞踏会に集う人々なのかもしれない。
■価値観やキャラで連帯するブックマーカーもいる
ただ1点だけ異論を述べるとすれば、劇場を出た観客たちは必ずしも「ハイさようなら」じゃないことだ。
記事を通してだけでなく、「あのブックマーカーの見方は面白いな」と人間の価値観やキャラクターに共鳴する。で、劇場を出たあとも常連同士が継続し、精神的に繋がっている場合もあるだろう。
(もしかしたらこの点をMarumamekoさんは、「その場限りのSNS」と表現したのかもしれないが)
だからソーシャルブックマーク(SBM)のユーザといえども、ドライに記事の中身だけで判断してるとは限らない。
たとえば「人気・注目エントリの常連(コミュニティ内の有名人)の記事だから」ブックマークしよう。あるいは自分の好きな人、仲のいい人の記事だからブクマする──。そんなケースも考えられる。
またネットユーザは空気を読み合うものだ。だから「みんながブクマしてるから自分もする」(衆愚化)って例もあるだろう。
あるいはこんな場合もありそうだ。
1. 仲のいいAさんが記事Bを取り上げ、ブクマ・コメントで否定してる
2. 自分は記事Bを面白いと思う。けど仲良しのAさんが否定してるから、記事に賛同しにくい
とすればSBMのユーザといえども、おつきあいコミュニケーションがゼロだとはいえない。
■個が確立した超人ブックマーカーたち
もっとも人間は往々にして、客観的な思考より感情に左右されやすいものだ。だから仲間同士のおつきあいがあるのは自然である。逆にそのへんがスッパリ割り切れている人は、個がかなり確立してる人だといえる。
たとえば自分は日頃から、Aさんに親近感をもっているとしよう。でもあるときAさんが書いた記事に、自分は正反対の感想を抱いた。そこで記事のブクマ・コメントで、「私はあなたの意見とちがいます」と表明するようなケースだ。
つまり「仲のよさ」に引きずられず、あくまで「記事の内容」で判断している。これってSBMのユーザ間ではよく見かける。
その意味では確かにMarumamekoさんがおっしゃる通りだ。こうした価値観は、SBMを使っている人に(100%ではないが)顕著であるといえるだろう。
■結局、いい悪いの問題じゃない
仲のよさや同じ趣味で繋がるのがいいか? 記事の内容に惹かれて繋がるのがいいか? 結局のところ、これは人により判断が分かれるものだ。
また実はこれっていい悪いの問題じゃなく、それこそ趣味の違いのような気もしないではない。
ただ私の個人的な価値観でいえば、やはり記事の中身で繋がり、人とちがうことで面白い議論が発生する世界のほうが住みやすいことは確かである。