私たちは「自分さえ幸せで楽しければ他人のことはどうでもいい」と思っている場合が多いです。
その背景にはみな心の中で、「自分はすばらしい人間だ、自分はいつも正しい、完璧だ」というわがままな
考えがあるからです。だけど、そのわがままをそのまま前面に出して生きていたら
必ず苦しみとして不幸として返ってきます。そして、不幸になっても多くの人は自分のそういった心のぶつかり合いの
結果で不幸に陥っていくことに気づきません。逆に「なぜ自分だけこんなにひどい目にあうんだろうか」などと
世の中の理不尽さに腹を立てたりするのです。
しかし、それが一番の問題点です。我々は結局、自分のした行為の結果を生きているのです。
また、私たちの幸福は自分の力だけで得られるものではありません。
すべての生命、生きとし生けるものの協力やお互いが助け合うことによって成り立っています。
ほかの人々が自分に協力してくれなかったら自分の幸福というものはあり得ません。
他人に対して、どうかこの人も幸せになってほしいという気持ちが素直にあらわれてくれば
本物の慈悲の心が芽生えたと言えるのではないでしょうか。
お釈迦様の説かれた本来の仏教である上座仏教(初期仏教)では慈悲の心を育てる「慈悲の瞑想」といわれる、やさしい心を
つくるお釈迦様の瞑想法がございます。当山でもこの「慈悲の瞑想」を信者様におすすめしています。
内容等はまた次回に掲載したいと思います。
合掌