当山の霊界施餓鬼一粒萬福法要は、葬儀であると、
多くの故人様がおっしゃられます。
最近は、何もかもが簡略されて呆れるばかり、
これで死者は往くところ往けません。
それを手抜きというのです。
宗旨、宗派と超えてご供養されていただいてりますので、
多くの故人様がこのようなお経があるのかと、
驚かれ、感激されます。
山主が霊界で神仏や故人様とお逢いしている間は、
眠っているような姿のまま、お経を上げておられます。
また、深い瞑想状態に入り、お経を上げれない状態の場合もございます。
しばらくしてまた、私共と同じようにお経を唱和しだすということを
ご供養中に何度か繰り返しております。
この間に霊界に於いて
仏様ならびに故人様とお逢いされ、
会話をされているのだそうです。
信者様皆様を始め私、貞観は、
やはり、水行一万日成満の行者 山主 寳顕師は、
凄い方であると誰もの認めているのです。
当山の霊界施餓鬼一粒萬福法要ほど、
故人様にとって生前の業をはかせる供養は他にありませんので、
咽喉から手が出るほどお願いしたい供養なのです。
故人様を思い出す。
夢に故人様が出て来られる。
故人様が話題に上がる話をする又は、聞くなどは、
故人様が供養を求めているサインでございます。
故人様が山主に胸の内をお話されるということ自体が、
業をはかせることになるのだそうです。
だから、とても有り難いと……
南無大師遍照金剛