当山でご供養を申し込まれる方の中には、
「主人が、お姑が、お舅が、子供が、宗教が嫌いなので内緒でお願いします」と、
言われる方がおられます。
そして、供養に反対した方がお亡くなりになり、今度は自分が供養を受ける立場になりますと
決まって言われる言葉が、
「こんな有難い供養だとは思わなかった」
「生きているうちにお寺に来たかった」
「こんな供養をしていることを言ってくれなかった」
「ご自分の知っているお寺の供養とは全然違います」
「初めて聞くお経です。」
ご自分の知っている供養ではない、命光不動尊の供養を見て聞いて驚きます。
山主の目前に現れ、
自分が霊となり、初めて供養がどれほど大事であるかを自覚するのです。
なぜ、生前に手を合わそうとしなかったのか。
また、子供や妻に手を合わすことを教えなかったのかと反省する霊の多いこと。
亡くなられた方からは、嬉しい声、驚きの声、反省の声と様々なお声を聞くそうです。
霊は、衣の色やお寺の大きさで決めていないのです。
心のこもった供養を求めております。
南無大師遍照金剛