命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

秋のお彼岸が始まりました。

2022年09月20日 18時59分07秒 | お札、お守り

今回の台風で被害に遭われた皆様には、お見舞い申し上げます。

 

貞観は昨晩から泊まりで台風に備えておりましたが、

何事もなく台風が去っていき、

今日は、寒いぐらいの朝を迎えました。

 

本日20日から26日までは秋のお彼岸です。

お彼岸の供養が始まりました。

23日は、彼岸中日です。

 

お彼岸の中日には、真西に太陽が沈むといわれており、

当山では、この夕陽を拝むと、お金が貯まる?願い事が叶うと言われております。

 

天気が良いといいのですが、結構な割合で曇りか雨。

簡単には望みが叶わないようです。

 

お彼岸中は、毎日おはぎを作ってお供えしますので、

そのあとの昼食には、必ずおはぎが出ます。

 

一週間おはぎでーす。

でも甘さ控えめなんで、毎日食べられますが、

お医者さんに怒られそうですね。

 

お墓参りに行ってくださいね。

最近では、お墓を知らない子も多いと聞きます。

これは親の責任ですよ。

 

後で、必ず後悔しますから。


命光秘流不動護摩供が厳修されました。

2022年09月18日 17時02分38秒 | お札、お守り

本日11時より、命光秘流不動護摩供が厳修されました。

 

台風の影響で足元の悪い中・・・・という書き出しで今日のブログは

書こうと思っておりましたが、台風接近といってもここ橋本は朝から

日差しが強く、全くのお天気で台風が近づいている様子もございませんでした。

 

しかし、遠方からいらっしゃる方は皆、帰りを心配されたのか

いつもに比べてご参拝の方は少のうございました。

 

そのため、山主様が「今日の火禊ぎは各自でしてもらう」と言われ

お一人お一人「火禊ぎ」をしていただきました。

                  

                 

いつもの一願成就のお札での御神示では災いに気をつける方位を

おしえていただきますが、今日の山主様より、

「今日は告げた方位を清めしてほしい。良いことがあるぞ。」と

御神示をいただきました。

 

これから台風が近づく地域の方は、

十二分に備えをし、お気をつけください。

合掌


ご先祖様の嘆き

2022年09月15日 17時50分18秒 | ひと口法話

最近では、50回忌の法要をされる家は、

少ないとお聞きしております。

 

何時の頃からでしょうか?

33回忌や50回忌を弔い上げの法要とし、

亡くなられた方は、50年経つと神様になられますので供養の必要は要らないと。

 

弔い上げ後は、先祖代々として合祀され、

一般的には一故人(いちこじん)としての供養はなくなってしまいます。

 

何もしてくれない、ほったらかしの状態であると、

ご先祖様が嘆いておられます。

 

50年経ったご先祖様が言われるのは、

「50年と言う歳月が経っただけで、どれだけの供養をしてくれたのか」と、

文句を言われるそうです。

 

お寺さんの都合や施主様の都合で、月参りがないのが当たり前の世の中。

これでは、ご先祖様から文句を言われても仕方ないがないのです。

 

一故人様の供養は、

年に一度と言う家も珍しくないようです。

 

また、年に一度どころか、

年忌しかされないという家も珍しくないと聞きます。

 

このような供養で、

亡くなられた方が満足してくださいますか?

 

「これで、神様になれるわけないやろ」

ご先祖様のお声です。


お不動様の嘆き

2022年09月14日 18時00分37秒 | ひと口法話

お不動様より

最近、脳の発達の出来ていない子供が多いのは、

50回忌の供養を終えた先祖でも不十分な供養であったり、

また、50回忌の供養を受けられる先祖は希である。



中途半端な供養のまま、年数だけが経っただけである。

 

佛の供養も不十分であり、弔い上げが全然出来ず、

ましてや霊界での神供養も全然出来ていない。


そのため、魂の成長も叶わず、不完全な状態ある。

その影響を受けるのは全部子孫(子供)である。

と申されました。



当山の山主寳顕師は、

一族のために50回忌を過ぎている先祖でも一生懸命しっかり供養を続けており、

今、信者様のご先祖様でも、

50回忌を過ぎたご先祖様の神供養を望まれる方が最近は、大変多いのです。

          

山主は、生存中にどれだけ自分の住友家一族の先祖の神の供養と、

佛の供養をできるか必死でお勤めしております。



九十歳となり、山主が分かったことは、

山主の家ですら供養が足りていないと、必死になっております。

通常の供養では、全然供養が足りていないのです。