昨日からの引き続きで今日も暑かったね~(^_^;)
まだ会社の空調切換が出来てないみたいで、社内が暑いっすわ、
サーバー室は年中20度前後で快適だけどね~、冬は寒いけど・・・
季節の変わり目は温度差激しくて体調崩し気味になりますけど、睡眠と食事さえ押さえておけば大丈夫そう、
まずは食からっすな~
チキンかあさん煮定食! 暑くても美味しいものは美味しいっす!(笑
今日は何故か女性の御独人様多かったわ~
僕の両隣も女性御独人様、大体同じくらいのお年頃(20代後半)かな?って感じだったんだけど、対照的っしたわ~
左隣の方はおもむろに腕まくりするとババーっと食べ出してた、右隣の方はチョコッと食べてはスマホ、また食べてはスマホって感じ、
なんかご飯の食べ方ってば暮らしが見えてきますよね~、
勿論、僕は左隣の方の方が好き、ご飯を大切にしてるなって感じが好印象っす~
昨日、一般のニュースサイト見てたら、残念なニュースが出てましたね、
模型のタミヤさんの社長さん、田宮昌行氏の訃報が・・・
59歳ってまだまだ、全然お若いですよね・・・・
ご冥福をお祈りいたします
たぶん、僕と同年代の男の子は子供の頃にもれなくお世話になってますよね、
どちらかというと前社長の田宮俊作氏の方がなじみは深いですけど、
僕も色々作りましたわ、1/35ミリタリーミニチュアの戦車とか、1/700のウォーターラインの戦艦、ラジコンのャ泣Vェ936とか、
探せば何処かから出て来そう(笑
中学生の頃、学校の部活は「模型工作部」ってのに入ってて、元々は木工とかする部だったんだけど、プラモデル持ち込んでジオラマとか作ってたっすな、
ちょうどバイクに興味を持ちだした頃で、1/12バイクには随分とお世話になったわ、
当時、発売されたばっかしだったのかな?
一番最初に作ったのは↓
TAMIYA 1/12 SUZUKI RGB500
その頃のWGPではM・ルッキネリが早くて、車体のカラーリングが美しかったんすよね~
だもんで↑のワークスカラーのを白青赤のガリーナカラーに塗り替えて作ってましたわ、
当時は稚拙な技術で塗り分け苦労したのは良い思い出っすな~
その後、ガリーナカラーのも売り出されてガックリした記憶も・・・(笑
当時、バイク模型は他のメーカーさんからも出てましたけど、やっぱしタミヤさんのが群を抜いて精密&リアルだったと思いますね、
まだスライド金型とかも一般化してなかった頃だから、技術的には色々と難しかったでしょうにね、
今現在の世界的に認められた国産プラモデルの地盤を作ったのは間違い無くタミヤさんですよね
他にもバンダイのガンプラとかも重要な位置づけだとは思うけど、精密模型と言えばね、
最近はパッチン組み立ての色分け済みなんて感じらしいですけど、色々と苦労しながら作るのもプラモデルの醍醐味っすわな、
もしかしたら日本の手仕事の基盤になってるのは模型製作とかからかもしれませんな~
この文化が無くならないよう、タミヤさんには引き続き頑張ってもらいたいですよね、
まだ会社の空調切換が出来てないみたいで、社内が暑いっすわ、
サーバー室は年中20度前後で快適だけどね~、冬は寒いけど・・・
季節の変わり目は温度差激しくて体調崩し気味になりますけど、睡眠と食事さえ押さえておけば大丈夫そう、
まずは食からっすな~
チキンかあさん煮定食! 暑くても美味しいものは美味しいっす!(笑
今日は何故か女性の御独人様多かったわ~
僕の両隣も女性御独人様、大体同じくらいのお年頃(20代後半)かな?って感じだったんだけど、対照的っしたわ~
左隣の方はおもむろに腕まくりするとババーっと食べ出してた、右隣の方はチョコッと食べてはスマホ、また食べてはスマホって感じ、
なんかご飯の食べ方ってば暮らしが見えてきますよね~、
勿論、僕は左隣の方の方が好き、ご飯を大切にしてるなって感じが好印象っす~
昨日、一般のニュースサイト見てたら、残念なニュースが出てましたね、
模型のタミヤさんの社長さん、田宮昌行氏の訃報が・・・
59歳ってまだまだ、全然お若いですよね・・・・
ご冥福をお祈りいたします
たぶん、僕と同年代の男の子は子供の頃にもれなくお世話になってますよね、
どちらかというと前社長の田宮俊作氏の方がなじみは深いですけど、
僕も色々作りましたわ、1/35ミリタリーミニチュアの戦車とか、1/700のウォーターラインの戦艦、ラジコンのャ泣Vェ936とか、
探せば何処かから出て来そう(笑
中学生の頃、学校の部活は「模型工作部」ってのに入ってて、元々は木工とかする部だったんだけど、プラモデル持ち込んでジオラマとか作ってたっすな、
ちょうどバイクに興味を持ちだした頃で、1/12バイクには随分とお世話になったわ、
当時、発売されたばっかしだったのかな?
一番最初に作ったのは↓
TAMIYA 1/12 SUZUKI RGB500
その頃のWGPではM・ルッキネリが早くて、車体のカラーリングが美しかったんすよね~
だもんで↑のワークスカラーのを白青赤のガリーナカラーに塗り替えて作ってましたわ、
当時は稚拙な技術で塗り分け苦労したのは良い思い出っすな~
その後、ガリーナカラーのも売り出されてガックリした記憶も・・・(笑
当時、バイク模型は他のメーカーさんからも出てましたけど、やっぱしタミヤさんのが群を抜いて精密&リアルだったと思いますね、
まだスライド金型とかも一般化してなかった頃だから、技術的には色々と難しかったでしょうにね、
今現在の世界的に認められた国産プラモデルの地盤を作ったのは間違い無くタミヤさんですよね
他にもバンダイのガンプラとかも重要な位置づけだとは思うけど、精密模型と言えばね、
最近はパッチン組み立ての色分け済みなんて感じらしいですけど、色々と苦労しながら作るのもプラモデルの醍醐味っすわな、
もしかしたら日本の手仕事の基盤になってるのは模型製作とかからかもしれませんな~
この文化が無くならないよう、タミヤさんには引き続き頑張ってもらいたいですよね、