今季ペナントレースも終了しました。マリーンズ、59勝81敗3分の5位。最下位だった去年は、54勝87敗2分ですから、若干良かった。前半は5割前後だったのが、後半は石川・ボルシンガーが離脱・不調で、負けが込みましたね。9月以降は負けばかり。やっと中村・井上が中核打者として独り立ちしたが、貧打戦は克服できず、投手も有吉、酒居、二木など頑張るが、安定感がない。中継ぎもコマ不足。やはり、大がかりな補強がないとAクラスは望めませんね。はやり、親会社の交代も必要かも…。ドラフトも大事ですが、中核を打てる外人も欲しいでねえ。
そんなことで、これ以上はぼやきになるので置いといて…。今回は、シューベルトのピアノ・ソナタ。ルドルフ・ゼルキンの演奏。ゼルキンのシューベルトは、あのSONYの白い激安BOXがあります。5枚組で2500円ほど。ピアノ・ソナタでは、第15,20,21番のセッション録音があります。他にも、D.935の即興曲、楽興の時、ます、ピアノ三重奏曲第2番などが収められています。私は。このBOX、持っていません。このBOXの発売前にSONYから出た3曲のピアノ・ソナタと即興曲が収めれた2枚組を買いまして、これでピアノ・ソナタは全部あるので、まあこれでいいかと思ったのでありました。まあ微妙ですね。BOXを買えば良かったと思っているは事実です…。また、もう少したくさんゼルキンには録音を残してほしかったですね、シューベルト。
これらのシューベルトの演奏の中から、ピアノ・ソナタ第20番イ長調D.959です。シューベルトの最晩年で、死の二か月前の1828年9月に書かれた3つのピアノ・ソナタのうちのひとつ。死後の1838年にウィーンのディアベリ社から「シーベルト最後の作品、3つの大ソナタ」として出版された。40分ほどを要するまさに大ソナタですねえ。たいそう明るく希望すら感じさせる曲であり、死が目前に迫ったときの作品とは思えないような曲であります。ゼルキンのこの曲の録音は、1966年2月16~18日、ニューヨークでの録音です。
ゼルキンのピアノは、なかなか渋い。ゴツゴツした音色に固さが一杯の表情。強弱のつけ方も技術的にも凄いなと思うし、弱音での表現が実に心に染み込む。そして、なかなか音楽がスムーズには流れず、ところどころに瘤のようなものがあったり、流れに淀みがあったり、そんな印象を持ちます(晩年の演奏では、その傾向が増幅されます)。それらがゼルキンによる音楽に、深みや陰影、愉悦感などを与えてくれております。特に、私的にはこんな演奏は嫌いではありません。音楽に思索的な表情を加え、それに固さが厳しさに結びついていく。こんな演奏は、シューベルトの音楽には、相応しいかどうかはわかりませんが。ただ、この演奏にとっぷり浸かると、他の演奏が軟弱というか、ゆるく感じてしまいますねえ。
第1楽章。和音の力強さをゼルキンのピアノがうまく表現している。多少流れのよどみが気になるところもあるが、それが重厚さに繋がる。強弱も弱音での表現が演奏のアクセントにもなり、表情に深みを与えます。第2楽章、三部形式の援徐楽章。哀愁を帯びた主題がじっくり歌われる。切実な泣きの音。それを5回繰り返し、その表情に違いで悲しみが深まる。それを第2部では明快なピアノで払拭しようとする。そして再現部では再び4回繰り返され、その表現の違いが非常にゼルキン、巧いです。悲痛な淵に沈みます。第3楽章スケルツォ。躍動感あふれ小気味のいいスケルツォ。トリオではゆったりとしたピアノが味わい深い。再現部では、トリオとの対比がうまい。そして第4楽章。冒頭の主題は、ピアノ・ソナタ第4番の緩徐楽章から転用されるが、親しみやすく、朗々と歌われる。終楽章で、これまでのいろいろなことを精算しようとするような明快さや表現の深さ、それらがとてもいい。セルキンのピアノには一転の曇りも感じないようであるが、そのように一筋縄でいかないところも随所に散りばめながら、であります。
今日のライオンズに敗北で、CSも終わりました。残るは、カープとホークスの日本シリーズであります。それもそれですが、やはりドラフトとFAが気になるところです。秋も深まる今日この頃であります。
(SONY SICC1570-1 2012年)
そんなことで、これ以上はぼやきになるので置いといて…。今回は、シューベルトのピアノ・ソナタ。ルドルフ・ゼルキンの演奏。ゼルキンのシューベルトは、あのSONYの白い激安BOXがあります。5枚組で2500円ほど。ピアノ・ソナタでは、第15,20,21番のセッション録音があります。他にも、D.935の即興曲、楽興の時、ます、ピアノ三重奏曲第2番などが収められています。私は。このBOX、持っていません。このBOXの発売前にSONYから出た3曲のピアノ・ソナタと即興曲が収めれた2枚組を買いまして、これでピアノ・ソナタは全部あるので、まあこれでいいかと思ったのでありました。まあ微妙ですね。BOXを買えば良かったと思っているは事実です…。また、もう少したくさんゼルキンには録音を残してほしかったですね、シューベルト。
これらのシューベルトの演奏の中から、ピアノ・ソナタ第20番イ長調D.959です。シューベルトの最晩年で、死の二か月前の1828年9月に書かれた3つのピアノ・ソナタのうちのひとつ。死後の1838年にウィーンのディアベリ社から「シーベルト最後の作品、3つの大ソナタ」として出版された。40分ほどを要するまさに大ソナタですねえ。たいそう明るく希望すら感じさせる曲であり、死が目前に迫ったときの作品とは思えないような曲であります。ゼルキンのこの曲の録音は、1966年2月16~18日、ニューヨークでの録音です。
ゼルキンのピアノは、なかなか渋い。ゴツゴツした音色に固さが一杯の表情。強弱のつけ方も技術的にも凄いなと思うし、弱音での表現が実に心に染み込む。そして、なかなか音楽がスムーズには流れず、ところどころに瘤のようなものがあったり、流れに淀みがあったり、そんな印象を持ちます(晩年の演奏では、その傾向が増幅されます)。それらがゼルキンによる音楽に、深みや陰影、愉悦感などを与えてくれております。特に、私的にはこんな演奏は嫌いではありません。音楽に思索的な表情を加え、それに固さが厳しさに結びついていく。こんな演奏は、シューベルトの音楽には、相応しいかどうかはわかりませんが。ただ、この演奏にとっぷり浸かると、他の演奏が軟弱というか、ゆるく感じてしまいますねえ。
第1楽章。和音の力強さをゼルキンのピアノがうまく表現している。多少流れのよどみが気になるところもあるが、それが重厚さに繋がる。強弱も弱音での表現が演奏のアクセントにもなり、表情に深みを与えます。第2楽章、三部形式の援徐楽章。哀愁を帯びた主題がじっくり歌われる。切実な泣きの音。それを5回繰り返し、その表情に違いで悲しみが深まる。それを第2部では明快なピアノで払拭しようとする。そして再現部では再び4回繰り返され、その表現の違いが非常にゼルキン、巧いです。悲痛な淵に沈みます。第3楽章スケルツォ。躍動感あふれ小気味のいいスケルツォ。トリオではゆったりとしたピアノが味わい深い。再現部では、トリオとの対比がうまい。そして第4楽章。冒頭の主題は、ピアノ・ソナタ第4番の緩徐楽章から転用されるが、親しみやすく、朗々と歌われる。終楽章で、これまでのいろいろなことを精算しようとするような明快さや表現の深さ、それらがとてもいい。セルキンのピアノには一転の曇りも感じないようであるが、そのように一筋縄でいかないところも随所に散りばめながら、であります。
今日のライオンズに敗北で、CSも終わりました。残るは、カープとホークスの日本シリーズであります。それもそれですが、やはりドラフトとFAが気になるところです。秋も深まる今日この頃であります。
(SONY SICC1570-1 2012年)
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