「戦争をしないとどうしようもなくないですか」には、参りましたね。でも、こんな議員さんいるんですねえ。日本国憲法を何だと思っているんですかねえ。憲法改正を視野に入れてるのでしょうか。さすがに憲法改正論者の方も、ここまでの改憲は考えておられないでしょう。とは言え、この発言も本気ではないでしょうから、酒の上でのジョークだとすれば、これもまた困ったことですねえ。ご立派な代議士さんなんですからねえ。こんな問題発言が多いですね。
ということで、今回はベートーヴェンです。最近取り上げることが実に多いのです。たくさんある曲の中から、ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58であります。その昔、このジャンルでは、『皇帝』しか知らなかったときに、初めてこの4番を聴き、第1楽章の出だしで、こんな曲をベートーヴェンは書くのかと、多少驚きました。その時の演奏は、ケンプとライトナーでした。それ以来、どれほどの演奏を聴いたでしょうかね。今回は、こんな演奏もあったのか、と最近知った演奏です。「えっ、知らなかったのか?!」と思われるかも知れませんが…。
その演奏は、ルドルフ・ゼルキンのピアノと、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC響による演奏です。1944年11月26日、ニューヨークのNBCスタジオ8-Hでの録音です。このCDは、「ルドルフ・ゼルキン/コンプリート・コロンビア・アルバム・コレクション(75CD)」からの一枚。これはラジオ放送用のものですね。しかし、ゼルキンのベートーヴェンのピアノ協奏曲、どれくらい演奏が残っているんでしょうかね。まず、1955年前後のオーマンディとの全集と1962-5年にオーマンディ(1,2,4番)とバーンスタイン(1,3番)との全集。1980年初頭の小澤征爾とボストンSOとの全集。これらのスタジオ録音に加えて、クーベリック・バイエルン放響との1977年のライブがあります。また、4番だけなら、アレクサンダー・シュナイダーとマールボロ祝祭管との1974年のライブやシューリヒトなどのとのライブ盤もいくつかあります。まあ、ルービンシュタインもそうですが、1960年代前後の録音が多いんですかね。それは資本主義国家アメリカの経済力によることかもしれません。ベートーヴェンの全集が3種類あるのは他にはそういないのではないかと思います。まあ、多くの録音が残っていることはいいことですねえ。
そんなわけで、ゼルキンとトスカニーニです。まあ、最初のピアノからこの演奏の様子がわかります。もう気合入りまくりのピアノ。それにオケも呼応するかのように、まあ緊張感に満ちあふれ、シャキッとした、おおトスカニーニだ!、という演奏。進むにつれて音量も大きくなっていき、一音一音が明確であり強烈な印象を与えます。そんなトスカニーニに引っぱられるようなゼルキン。この両者の雄渾な演奏は、他ではなかなか聴けませんよねえ。ゼルキンは、まだ30台後半ですから、元気いっぱい。いやはや強烈なスケールの大きなベートーヴェンであります。こんな演奏がこの曲にあっているかどうかというと、どちらかと言えば典雅な雰囲気の曲と思うのですが、こう『皇帝』のような力入りまくりで、剛球一本。まあ、そんな議論を超越するかのような演奏でありますねえ。
第1楽章、前述のような演奏であり、できればステレオで聴きたいですね。もうところどころでエレベーターで急下降する快感です。そして明確な演奏なので、それゆえにわかりやすいし、聴きやすいし、よさも実によくわかる。第2楽章、一転して穏やかさ一杯で叙情的。とは言え、剛球一筋のオケ。そして情感あふれる演奏。ただし甘美さは感じられない。それでもピアノが心に染み込んできますねえ。そして第3楽章、一転してのいわば爆演。ここに至ると、オケの強烈さにピアノもそれ以上に応え、凄まじい感情の爆発と集中力を見せてくれます。しかし、ゼルキンもトスカニーニに負けず劣らすの熱演、やはりトスカニーニの熱気がゼルキンをより増幅させているのでしょうか。
この演奏のあとにシューベルトの「万霊節の日のための連祷」D.343とヘンデル:『エジプトのイスラエル人』より『ああ感謝せん』が、フルダ・ラシャンスカ(ソプラノ)ミッシャ・エルマン(ヴァイオリン)エマヌエル・フォイアマン(チェロ)とゼルキンのピアノで収められています。この二曲、ステキですね。特に、ヘンデルが好きです。
(Sony Classical 88985404062 2017年 輸入盤)
ということで、今回はベートーヴェンです。最近取り上げることが実に多いのです。たくさんある曲の中から、ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58であります。その昔、このジャンルでは、『皇帝』しか知らなかったときに、初めてこの4番を聴き、第1楽章の出だしで、こんな曲をベートーヴェンは書くのかと、多少驚きました。その時の演奏は、ケンプとライトナーでした。それ以来、どれほどの演奏を聴いたでしょうかね。今回は、こんな演奏もあったのか、と最近知った演奏です。「えっ、知らなかったのか?!」と思われるかも知れませんが…。
その演奏は、ルドルフ・ゼルキンのピアノと、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC響による演奏です。1944年11月26日、ニューヨークのNBCスタジオ8-Hでの録音です。このCDは、「ルドルフ・ゼルキン/コンプリート・コロンビア・アルバム・コレクション(75CD)」からの一枚。これはラジオ放送用のものですね。しかし、ゼルキンのベートーヴェンのピアノ協奏曲、どれくらい演奏が残っているんでしょうかね。まず、1955年前後のオーマンディとの全集と1962-5年にオーマンディ(1,2,4番)とバーンスタイン(1,3番)との全集。1980年初頭の小澤征爾とボストンSOとの全集。これらのスタジオ録音に加えて、クーベリック・バイエルン放響との1977年のライブがあります。また、4番だけなら、アレクサンダー・シュナイダーとマールボロ祝祭管との1974年のライブやシューリヒトなどのとのライブ盤もいくつかあります。まあ、ルービンシュタインもそうですが、1960年代前後の録音が多いんですかね。それは資本主義国家アメリカの経済力によることかもしれません。ベートーヴェンの全集が3種類あるのは他にはそういないのではないかと思います。まあ、多くの録音が残っていることはいいことですねえ。
そんなわけで、ゼルキンとトスカニーニです。まあ、最初のピアノからこの演奏の様子がわかります。もう気合入りまくりのピアノ。それにオケも呼応するかのように、まあ緊張感に満ちあふれ、シャキッとした、おおトスカニーニだ!、という演奏。進むにつれて音量も大きくなっていき、一音一音が明確であり強烈な印象を与えます。そんなトスカニーニに引っぱられるようなゼルキン。この両者の雄渾な演奏は、他ではなかなか聴けませんよねえ。ゼルキンは、まだ30台後半ですから、元気いっぱい。いやはや強烈なスケールの大きなベートーヴェンであります。こんな演奏がこの曲にあっているかどうかというと、どちらかと言えば典雅な雰囲気の曲と思うのですが、こう『皇帝』のような力入りまくりで、剛球一本。まあ、そんな議論を超越するかのような演奏でありますねえ。
第1楽章、前述のような演奏であり、できればステレオで聴きたいですね。もうところどころでエレベーターで急下降する快感です。そして明確な演奏なので、それゆえにわかりやすいし、聴きやすいし、よさも実によくわかる。第2楽章、一転して穏やかさ一杯で叙情的。とは言え、剛球一筋のオケ。そして情感あふれる演奏。ただし甘美さは感じられない。それでもピアノが心に染み込んできますねえ。そして第3楽章、一転してのいわば爆演。ここに至ると、オケの強烈さにピアノもそれ以上に応え、凄まじい感情の爆発と集中力を見せてくれます。しかし、ゼルキンもトスカニーニに負けず劣らすの熱演、やはりトスカニーニの熱気がゼルキンをより増幅させているのでしょうか。
この演奏のあとにシューベルトの「万霊節の日のための連祷」D.343とヘンデル:『エジプトのイスラエル人』より『ああ感謝せん』が、フルダ・ラシャンスカ(ソプラノ)ミッシャ・エルマン(ヴァイオリン)エマヌエル・フォイアマン(チェロ)とゼルキンのピアノで収められています。この二曲、ステキですね。特に、ヘンデルが好きです。
(Sony Classical 88985404062 2017年 輸入盤)
トスカニーニと、ゼルキンですか?珍しい、組み合わせですね。レコード会社の関係で、正規の録音というのは、あまり無いのでしょうが、ライブなどでは、あったのですね。私も、ゼルキンのCDは、色々と所有していますが、トスカニーニは、手元にありません。基本的に、モノ録音は聴かないので、そうなりますが、一時期、RCAから、シリーズで発売された時(千円盤?)、少し、集めた記憶がありますが、その後、手放してしまいました。機会がありましたら、また、聴いてみたいものです。
さて、今年、ロッテはSBに強いですね。この調子なら、Aクラスに残れる可能性も、大いにあり、ですね?
さて、マリーンズ、今日もファイターズに逆転負け。やはり選手層が薄いです。代打がいない。私的にはぜひ西岡剛を取って欲しいと思っております。
またご教示ください。