先週の末、大学時代からの友人三人とほんとに久しぶりに会いました。大学と当時住んでいた街に行って見よう!という企画を立てまして、 昼からその周辺を散策したあと大学に行って、夕方から梅田で一杯やりました。私は、大学卒業以来、まったくその周辺に行っていないわけではなかったのですが(大学には3年前まで、6年間にわたって毎週行っていました)、それほどに細かく散策したわけではないので、なかなか当時を思い出させて、いい半日でした。もううん十年もたっているのに、今だに営業されているお店なども、それなりにありましたし、また私が結婚するまで約8年間住んでいた文化住宅も健在でした。近くの理髪店のおばさんや、パンやのおじさんもいらっしゃいました。大学は、当時と比べればかなり変わっています。やたら体育関係や教室以外の施設が増えたなって思いました。いろいろな変化はあっても、「青春に心をふるわせた街」であります。
まくらはそれくらいにしまして、先日、DGから出ました「ザルツブルク祝祭大劇場開場50周年記念盤(25CD)」と入手しました。いわるゆ激安BOXですが、内容的には、ダブりもあるんですが、入手できないものや、初CD化されたものもありまして、これはなかなかスグレものでありました。お盆休みはこれを持って岡山に帰ろう、と思っておる次第であります。
この中からまず聴いたのが、1992年6月8日のシカゴ交響楽団とゲオルグ・ショルティ指揮のライブであります。ベルリオーズの幻想交響曲とリストの交響詩「前奏曲」であります。特に、ショルティの幻想は、1977年の来日公演でナマを聴いて大いに感銘を受けたのでありました。その翌日ショルティの幻想のレコードを買ってしまったのでした。そんなふうに大いに感動した演奏であったわけですが、この演奏は、それから15年後のライブとなります。ショルティ79才のときの演奏であります。まあ、私にとっては、ショルティの幻想というのは、かなり思い入れの強い演奏なんですねえ。
ショルティの演奏というのは、非常に鋭角的で、オケの力量を十二分に発揮したスキのないものって印象が強いのです。力業とか無機質的とも言われたりします。私が来日公演で受けた衝撃もシカゴ響を駆使した凄まじいばかりの破壊力でありました。こういった演奏は、嫌いではありません。むしろ好きなんではないかと思っています。そんな中で、このライブを聴いた印象は、少々異なりました。確かにシカゴ響の威力はすごい。威力ある金管は、圧倒的ですし、特に低弦などに代表される全体を通じての低音部の充実ぶりには驚かされます。この点がこの演奏のツボではないかと思います。しかし、そうは言っても、以前のようなショルティではないかな、とも思わせます。まあ、80才になろうとしているときに、いつまでも壮年期の演奏とは違って当然です。第1楽章では、それなりの情感が描写されますし、うだるような感情が聴かれます。低音部の充実による腰の座った演奏であります。第2楽章でも力というよりも、オケの技量をうまく駆使しての明瞭な演奏です。第3楽章になっても、ここでのおどろおどろしい情景をショルティらしい感覚での表現は、それほど違和感を感じませんね。そんな感覚よりも、オケの力量が印象深いんです。そして、第4楽章では、やはりやってくれますね。シカゴ響の独壇場であります。断頭台への行進、いいです。続く第5楽章でも金管が吼え、「ワルプルギスの夜の夢」を満喫。しかし、チューバによる「怒りの日」、これはすごい。チューバがこれほどこの旋律を歌い上げた例を知りませんね。うーん、最後はショルティの力業にねじ伏せられました。でも、力業ばかりではりませんね。ショルティのうまさも感じましたし、ライブといっても完成度は高いなとも感じました。加えて、幻想のあとのリストもいいです。これのほうが世評は高いです。
最近、妙にこのブログ、フランスものが多いなって思っています。うーん、珍しいことです(笑)。
(DG 477 9111 2010年 輸入盤)
まくらはそれくらいにしまして、先日、DGから出ました「ザルツブルク祝祭大劇場開場50周年記念盤(25CD)」と入手しました。いわるゆ激安BOXですが、内容的には、ダブりもあるんですが、入手できないものや、初CD化されたものもありまして、これはなかなかスグレものでありました。お盆休みはこれを持って岡山に帰ろう、と思っておる次第であります。
この中からまず聴いたのが、1992年6月8日のシカゴ交響楽団とゲオルグ・ショルティ指揮のライブであります。ベルリオーズの幻想交響曲とリストの交響詩「前奏曲」であります。特に、ショルティの幻想は、1977年の来日公演でナマを聴いて大いに感銘を受けたのでありました。その翌日ショルティの幻想のレコードを買ってしまったのでした。そんなふうに大いに感動した演奏であったわけですが、この演奏は、それから15年後のライブとなります。ショルティ79才のときの演奏であります。まあ、私にとっては、ショルティの幻想というのは、かなり思い入れの強い演奏なんですねえ。
ショルティの演奏というのは、非常に鋭角的で、オケの力量を十二分に発揮したスキのないものって印象が強いのです。力業とか無機質的とも言われたりします。私が来日公演で受けた衝撃もシカゴ響を駆使した凄まじいばかりの破壊力でありました。こういった演奏は、嫌いではありません。むしろ好きなんではないかと思っています。そんな中で、このライブを聴いた印象は、少々異なりました。確かにシカゴ響の威力はすごい。威力ある金管は、圧倒的ですし、特に低弦などに代表される全体を通じての低音部の充実ぶりには驚かされます。この点がこの演奏のツボではないかと思います。しかし、そうは言っても、以前のようなショルティではないかな、とも思わせます。まあ、80才になろうとしているときに、いつまでも壮年期の演奏とは違って当然です。第1楽章では、それなりの情感が描写されますし、うだるような感情が聴かれます。低音部の充実による腰の座った演奏であります。第2楽章でも力というよりも、オケの技量をうまく駆使しての明瞭な演奏です。第3楽章になっても、ここでのおどろおどろしい情景をショルティらしい感覚での表現は、それほど違和感を感じませんね。そんな感覚よりも、オケの力量が印象深いんです。そして、第4楽章では、やはりやってくれますね。シカゴ響の独壇場であります。断頭台への行進、いいです。続く第5楽章でも金管が吼え、「ワルプルギスの夜の夢」を満喫。しかし、チューバによる「怒りの日」、これはすごい。チューバがこれほどこの旋律を歌い上げた例を知りませんね。うーん、最後はショルティの力業にねじ伏せられました。でも、力業ばかりではりませんね。ショルティのうまさも感じましたし、ライブといっても完成度は高いなとも感じました。加えて、幻想のあとのリストもいいです。これのほうが世評は高いです。
最近、妙にこのブログ、フランスものが多いなって思っています。うーん、珍しいことです(笑)。
(DG 477 9111 2010年 輸入盤)
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