先日、18才以上に選挙権が与える公職選挙法の改正が国会で成立しました。多くの人に参政権が与えらことでいいですが、わからないのはその理由。外国がそうだからとか、若者の声を政治により反映するとか…。でもそれなら成人も18才とすべきではないか。未成年に選挙権を与えるのがどうもねえ。18才に選挙権を与えてもいいのですが、それなら18才を成人とすべきでないのかと思ってしまうのでありました。18才はもう成人として扱っていいから選挙権も与えましょうというのなら、納得がいくのですが、いかがなものでしょうか。
まあ、それはともかく、今回は久しぶりにベルリオーズ。幻想交響曲であります。ベルリオーズは六回目であり、すべてが幻想交響曲なんですね。これまで、ミュンシュ、クーベリック、クリュイタンス、ショルティ、マゼールを取り上げました。今回は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のBPOの演奏によるもの。この超有名曲、カラヤンはさすがに何回か録音しております。1954年PO・1964年BPO・1974年BPOとの三回に加えて、1970年パリ管とのビデオがあります。カラヤンの幻想とは、あまりピンとこなかったのですが、今回は1975年のBPOとの録音であります。
幻想交響曲といえば、一番有名なのはミュンシュ盤でしょうが、以前にも申しましたが、あまり好きではありません。やはりベルリオーズの色彩美が存分に堪能できる演奏がいい、ど派手ならなおいいでしょう、いうことなのですが、ミュンシュ盤がそうであるとは思わないのです。この要件にあうには、もしかしたらカラヤン?、ということで、カラヤン盤を物色していたのですが、過日、元町の中古やさんで見つけたのでありました。この演奏があったことも知りませんでしたし、このCDもあまり記憶がありませんでした。いやはやであります。
ということで、期待して聴いた演奏でありましたが、やはりカラヤンBPOの全盛期。やはりこれは凄いです。一糸乱れぬ弦の合奏、その背後で重厚で分厚い低弦が響く。そして、きらびやかで圧倒的な威力を発揮する金管。まろやかで澄んだ木管。いやはや現代のオーケストラの美がこれ以上あろうものかという演奏が展開されます。やはりこれは大したものですねえ。これだけでもう大満足してしまいます。すごいすごい。
しかし、それで言うことがないかといえば、うーん、どうでしょうか。聴いている間は実にうっとりしてしまうのです。でも、聴き終わってしまえば、はっきり言って何も残らない。と言えば大げさかもしれませんね。特にこれは、と思うのが、第4楽章の断頭台への行進。金管がテーマを歌う上げますが、これがこの演奏では、高らかに凱旋のファンファーレのようなんですねえ。うーん。この曲はそんなイメージではないと思います。また、第3楽章のイングリッシュ・ホルンとオーボエ。ここは私的には夏の野原の夕暮れでのおどろおどろしさ。そういったことでは全くなく、楽器の極上の演奏を聴かせてくれるのであります。加えて、第5楽章。ここでも悪魔が饗宴なんてまったく感じないのであります。うーん、難しいですねえ。そうは言っても、第1楽章のダイナミックで芸術家の情熱のような演奏は、なかなか凄いし、第2楽章の舞踏会のきらびやかな光景は、他では聴けないような素晴らしさなんですね。そして第3楽章でも前半部の夏の夕暮れの描写は実に見事。第5楽章でも、チューバの音色は感動するし、金管が高らかに歌い上げられるところは、大満足するほかないのですねえ。そして、鐘の音は、荘厳であります。そんなこんなで、相反する印象を述べましたが、全体的には後者の方が、断然優っておりまして、この演奏を聴く度に、大いに納得させられるのでありました。
はやり、圧倒的大多数を占める与党勢力による政治は、いろんな点でよくないことが多いのでしょうかねえ。参政権以外にも、いろんなことを思わざるを得ない昨今でございました。
(DG UCCG-4520 2009年)
まあ、それはともかく、今回は久しぶりにベルリオーズ。幻想交響曲であります。ベルリオーズは六回目であり、すべてが幻想交響曲なんですね。これまで、ミュンシュ、クーベリック、クリュイタンス、ショルティ、マゼールを取り上げました。今回は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のBPOの演奏によるもの。この超有名曲、カラヤンはさすがに何回か録音しております。1954年PO・1964年BPO・1974年BPOとの三回に加えて、1970年パリ管とのビデオがあります。カラヤンの幻想とは、あまりピンとこなかったのですが、今回は1975年のBPOとの録音であります。
幻想交響曲といえば、一番有名なのはミュンシュ盤でしょうが、以前にも申しましたが、あまり好きではありません。やはりベルリオーズの色彩美が存分に堪能できる演奏がいい、ど派手ならなおいいでしょう、いうことなのですが、ミュンシュ盤がそうであるとは思わないのです。この要件にあうには、もしかしたらカラヤン?、ということで、カラヤン盤を物色していたのですが、過日、元町の中古やさんで見つけたのでありました。この演奏があったことも知りませんでしたし、このCDもあまり記憶がありませんでした。いやはやであります。
ということで、期待して聴いた演奏でありましたが、やはりカラヤンBPOの全盛期。やはりこれは凄いです。一糸乱れぬ弦の合奏、その背後で重厚で分厚い低弦が響く。そして、きらびやかで圧倒的な威力を発揮する金管。まろやかで澄んだ木管。いやはや現代のオーケストラの美がこれ以上あろうものかという演奏が展開されます。やはりこれは大したものですねえ。これだけでもう大満足してしまいます。すごいすごい。
しかし、それで言うことがないかといえば、うーん、どうでしょうか。聴いている間は実にうっとりしてしまうのです。でも、聴き終わってしまえば、はっきり言って何も残らない。と言えば大げさかもしれませんね。特にこれは、と思うのが、第4楽章の断頭台への行進。金管がテーマを歌う上げますが、これがこの演奏では、高らかに凱旋のファンファーレのようなんですねえ。うーん。この曲はそんなイメージではないと思います。また、第3楽章のイングリッシュ・ホルンとオーボエ。ここは私的には夏の野原の夕暮れでのおどろおどろしさ。そういったことでは全くなく、楽器の極上の演奏を聴かせてくれるのであります。加えて、第5楽章。ここでも悪魔が饗宴なんてまったく感じないのであります。うーん、難しいですねえ。そうは言っても、第1楽章のダイナミックで芸術家の情熱のような演奏は、なかなか凄いし、第2楽章の舞踏会のきらびやかな光景は、他では聴けないような素晴らしさなんですね。そして第3楽章でも前半部の夏の夕暮れの描写は実に見事。第5楽章でも、チューバの音色は感動するし、金管が高らかに歌い上げられるところは、大満足するほかないのですねえ。そして、鐘の音は、荘厳であります。そんなこんなで、相反する印象を述べましたが、全体的には後者の方が、断然優っておりまして、この演奏を聴く度に、大いに納得させられるのでありました。
はやり、圧倒的大多数を占める与党勢力による政治は、いろんな点でよくないことが多いのでしょうかねえ。参政権以外にも、いろんなことを思わざるを得ない昨今でございました。
(DG UCCG-4520 2009年)
カラヤンの幻想、聴いたことないのですが良さそうですね。探してみよっ。自分はマゼール/CLE、でしょうか。アンセルメやブーレーズの新旧も捨てがたい。別に捨てるつもりはないですが。