過日、『スターウォーズ 最後のジェダイ』を見に行きました。前回の『フォースの覚醒』が今一つだったので、迷ったのですが、これまで見ているので…、ということで行きました。内容は、『帝国の逆襲』に酷似しています。前作も第一作との共通点があったのに、今回も…。少々残念ですが、それはそれで内容はそれなりに面白かったですよ。でも、スノークが簡単に死にすぎるなとか、レンはいつルークのもとから戻ったんだ、など疑問はありますが、まあいいでしょう。でも、ルーカス制作のものに比べると、なんだかなあ、と思ってしまいますねえ。
ということで、今回はフルトヴェングラーのモーツァルト。この演奏は、よくよく考えてみると、そんなに残ってないですね。フルトヴェングラーは、モーツァルトを好んでないのですかね。交響曲は第39番・第40番、ピアノ協奏曲第20、22番。十三管楽器、アイネクライネ。それにフィガロ、ドンジョヴァンニ、魔笛、くらいしかないです。もっとも、同曲異演盤は多いですが…。それはそれで残念ですねえ。その中から、ピアノ協奏曲第20番ハ短調K466です。フルトヴェングラー指揮BPO。ピアノはイヴォンヌ・ルフェビュール(CDではレフェビール)。1954年5月15日ルガーノでのライブです。
ルガーノは、南スイスに位置し、毎年春の音楽祭ではアルゲリッチによるプロジェクトでも有名ですね。フルトヴェングラー最後のBPOとの演奏旅行のテアトロ・アポロにおけるライブとなります。この日は、ベートーヴェンの田園とこの曲が演奏されたのでしょうかね。フルトヴェングラーの逝去の半年前です。ピアノのイヴォンヌ・ルフェビュールは、1898年フランスに生まれ1986年逝去。ハスキルなどと同世代です。私はあまりこの人は聴いたことなかったです。実際録音も多くないですし、最晩年の1970年代にいくつかの録音がありますね。
そして、このCDはOTAKEN RECORDSのもの。このレーベルは一枚2500円前後が多いのですが、たまに半額以下で出ているものもあり、それで今回3枚ほど買いました。白レーベル非売品見本盤からの復刻ですが、音は非常にいいです。気になるノイズもなく、自然な音がとてもいい。最近の板起こしのCD、OTAKEN、GRANDSLAM、オーパス蔵などは、音が実によくなっていますね。この復刻の原盤などはいったいどこから見つけてくるんでしょうねえ。いやいやビックリです。
まずはやはりフルトヴェングラーでしょうねえ。それほどの過度な感情移入も感じないのですが、この曲の悲しみや慟哭が切実に表現されています。フルトヴェングラーにしてはそれほどの主観的で劇的な音楽ではないようにも思うのですが、それにも関わらず、この深い表情は他では絶対に聴けないものになっております。この演奏を聴いて他を聴くと、その生温さに驚きフルトヴェングラーの凄味を再確認するのでした。そんなフルトヴェングラー以上にいいのがルフェビュールのピアノです。このピアノは私にはフルトヴェングラー以上に、モーツァルトの悲しみを表しているように思います。実に切ないピアノ。この人のピアノをもっと聴いてみたくなるのでした。
第一楽章、出だしの弦がすすり泣くような響き。そしてルフェビュールのピアノも柔らかい音色。内に秘めた感情を出すことはないが、そんなものを振り切るように進む。それにオケが呼応し、ピアノの気持ちを確かめ補強するよう。ときたまピアノも明るさや希望が見え隠れするが、オケが声高ではないが否定されるようです。カデンツァは知られたベートーヴェンのものではないが、これもいいですね。第2楽章、ゆったりとしたテンポでの優しい弦に呼応するヒアノ。消え入るようなピアニッシモを織り交ぜ、津々と心に染み込んでくる。ピアノも優しく語りかける。中間部では一転して激しさが加わり、再び初めに戻ったときの安堵感もいい。そして第3楽章。一転しての毅然としたピアノがダイナミックなオケと一緒になって、スケールの大きなモーツァルトが悠然と出現する。やはりフルトヴェングラーの変幻自在の指揮に、際だった美しさがあふれるピアノ。この演奏は実に素晴らしいです。
この演奏、特に第一楽章では人の声が聞こえるのです。トスカニーニやグールドのような唸り越えは、フルトヴェングラーの演奏ではあまり聞こえたことはないように思うのですが、ルフェビュールの声でしょうか。
(OTAKEN TKC-366 2015年)
ということで、今回はフルトヴェングラーのモーツァルト。この演奏は、よくよく考えてみると、そんなに残ってないですね。フルトヴェングラーは、モーツァルトを好んでないのですかね。交響曲は第39番・第40番、ピアノ協奏曲第20、22番。十三管楽器、アイネクライネ。それにフィガロ、ドンジョヴァンニ、魔笛、くらいしかないです。もっとも、同曲異演盤は多いですが…。それはそれで残念ですねえ。その中から、ピアノ協奏曲第20番ハ短調K466です。フルトヴェングラー指揮BPO。ピアノはイヴォンヌ・ルフェビュール(CDではレフェビール)。1954年5月15日ルガーノでのライブです。
ルガーノは、南スイスに位置し、毎年春の音楽祭ではアルゲリッチによるプロジェクトでも有名ですね。フルトヴェングラー最後のBPOとの演奏旅行のテアトロ・アポロにおけるライブとなります。この日は、ベートーヴェンの田園とこの曲が演奏されたのでしょうかね。フルトヴェングラーの逝去の半年前です。ピアノのイヴォンヌ・ルフェビュールは、1898年フランスに生まれ1986年逝去。ハスキルなどと同世代です。私はあまりこの人は聴いたことなかったです。実際録音も多くないですし、最晩年の1970年代にいくつかの録音がありますね。
そして、このCDはOTAKEN RECORDSのもの。このレーベルは一枚2500円前後が多いのですが、たまに半額以下で出ているものもあり、それで今回3枚ほど買いました。白レーベル非売品見本盤からの復刻ですが、音は非常にいいです。気になるノイズもなく、自然な音がとてもいい。最近の板起こしのCD、OTAKEN、GRANDSLAM、オーパス蔵などは、音が実によくなっていますね。この復刻の原盤などはいったいどこから見つけてくるんでしょうねえ。いやいやビックリです。
まずはやはりフルトヴェングラーでしょうねえ。それほどの過度な感情移入も感じないのですが、この曲の悲しみや慟哭が切実に表現されています。フルトヴェングラーにしてはそれほどの主観的で劇的な音楽ではないようにも思うのですが、それにも関わらず、この深い表情は他では絶対に聴けないものになっております。この演奏を聴いて他を聴くと、その生温さに驚きフルトヴェングラーの凄味を再確認するのでした。そんなフルトヴェングラー以上にいいのがルフェビュールのピアノです。このピアノは私にはフルトヴェングラー以上に、モーツァルトの悲しみを表しているように思います。実に切ないピアノ。この人のピアノをもっと聴いてみたくなるのでした。
第一楽章、出だしの弦がすすり泣くような響き。そしてルフェビュールのピアノも柔らかい音色。内に秘めた感情を出すことはないが、そんなものを振り切るように進む。それにオケが呼応し、ピアノの気持ちを確かめ補強するよう。ときたまピアノも明るさや希望が見え隠れするが、オケが声高ではないが否定されるようです。カデンツァは知られたベートーヴェンのものではないが、これもいいですね。第2楽章、ゆったりとしたテンポでの優しい弦に呼応するヒアノ。消え入るようなピアニッシモを織り交ぜ、津々と心に染み込んでくる。ピアノも優しく語りかける。中間部では一転して激しさが加わり、再び初めに戻ったときの安堵感もいい。そして第3楽章。一転しての毅然としたピアノがダイナミックなオケと一緒になって、スケールの大きなモーツァルトが悠然と出現する。やはりフルトヴェングラーの変幻自在の指揮に、際だった美しさがあふれるピアノ。この演奏は実に素晴らしいです。
この演奏、特に第一楽章では人の声が聞こえるのです。トスカニーニやグールドのような唸り越えは、フルトヴェングラーの演奏ではあまり聞こえたことはないように思うのですが、ルフェビュールの声でしょうか。
(OTAKEN TKC-366 2015年)
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