時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

テロ政党自民・維新の党

2015-02-26 22:09:05 | 日本政治
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民族差別をあおるヘイトスピーチは
自由や民主主義と相いれず、健全な市民社会と両立しません。

日本共産党はヘイトスピーチを根絶するために
「立法措置を含めて、政治が断固たる立場にたつ」(第3回中央委員会総会)ことを求めています。


具体的には3点が大切だと考えています。


第一に、人種差別禁止の理念を明確にした特別法の制定をめざすことです。

この間、京都の朝鮮学校に対する「在日特権を許さない市民の会」によるヘイトデモが、
国連の人種差別撤廃条約にいう「人種差別」に該当するとした判決が、
2014年、最高裁で確定されました。

同年8月には、国連の人種差別撤廃委員会が日本政府に対し、
ヘイトスピーチ根絶へ法的措置を含む毅然(きぜん)とした対応をとるよう勧告しました。


日本共産党は、憲法で保障された基本的人権を全面的に擁護するとともに、
それに抵触しない法整備にむけて積極的に対応します。

立法措置については「言論・結社・表現の自由」との関係や、
「市民運動の弾圧に悪用されないか」との懸念もあります。

法律の条文をよく検討・吟味し、「差別」の恣意(しい)的解釈を許さないこと、
刑事罰を設けないこと、市民運動規制などへの濫用(らんよう)を防ぐことなどが必要と考えます。


第二に、ヘイトスピーチを繰り返す団体や
極右勢力と政権与党幹部との癒着がヘイトスピーチの温床になっています。


安倍政権がこうした関係を反省してきっぱり手を切り、ヘイトスピーチに毅然と対処するよう求めます。


第三に、地方自治体がヘイトスピーチに毅然として対応し、適切な対応をとることを求めます。


この間も、自治体がヘイトデモを行う団体に公園や公的施設の使用を認めてこなかった例があります。
特定の団体が開催するからというだけでなく、利用者市民の安全を考慮し、
また、会館の使用条例に照らして集会が明らかに「公序良俗」を害する恐れがあると確認したからです。


現行法・条例も最大限活用し、ヘイトスピーチを世論と運動で包囲し追い詰めていくことが大切です。

(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-02-25/2015022504_02_0.html)
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最近、ヘイトスピーチのような極端な差別表現をする団体を非難しながら、
彼らと全く同じ主張をしている右翼集団・活動家をよく見かける。


安倍晋三などは、その筆頭で、慰安婦否定、歴史改竄、
アジア諸国にはデカい態度をとりながらアメリカには尻尾を振る素晴らしい方だ。


彼が抜擢した高市早苗氏や山谷えり子氏や稲田朋美氏などの良心派の議員は、
いずれも要職に就いているが、彼らはネオナチや在特会などの人種差別主義者たちとの
つながりがあり、その発言内容も国粋的で自民党の品格の程度をよく表したものとなっている。


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在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返す
「在日特権を許さない市民の会」(在特会)幹部らとの写真が
波紋を広げている山谷えり子国家公安委員長(参院議員)が、
この在特会幹部と行動をともにしてきた関係者から献金を受け取っていたことが、わかりました。


山谷氏が支部長を務める「自民党東京都参議院比例区第八十四支部」
の政治資金収支報告書によると、2010年に617万8000円の個人献金を集めています。


このなかに、在特会幹部の活動を伝える会報(11年1月15日付)に、
「平成22年12月8日 新しくなった参議院議員会館を早速訪問」との説明付きで
在特会幹部と一緒に山谷氏と写真に写っている女性が、1月18日と6月24日に各3万円、
計6万円を献金していることが記載されています。住所は三重県で、職業欄は「無職」となっています。


この女性は、同日付会報の1面に「天長節に思う」との一文を寄せ、
「皇室在ればこそ、日本の権威が保たれている」などとのべています。


ヘイトスピーチについては、国連人権差別撤廃委員会が日本政府に対し、
規制や取り締まりを勧告するなど、国際問題になっていますが、
山谷氏は9月25日、日本外国特派員協会での記者会見で、
「在日特権については、私が答えるべきことではない」とあいまいな態度に終始しました。

ヘイト集団との密接な関係は国家公安委員長の職責にふさわしいとはいえません。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-10-04/2014100415_01_1.html
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高市早苗総務相は12日の記者会見で、
極右の「ネオナチ」政治団体「国家社会主義日本労働者党」の
山田一成代表との記念撮影に応じていた問題について問われ、
「ご迷惑がかかったとしたら、大変申し訳ない」と述べました。

迷惑の中身を明示していませんが、山田氏とのツーショット写真が
ネオナチとの関係を示すものとして海外メディアに相次いで取り上げられたことを受け、
政治不信を招いたことに反省の姿勢を示し批判を逃れようとしたもの。

山田氏の所属団体や思想・信条を知っていたわけではないとして、
写真に撮られたことは「率直に言って不可抗力であった」と正当化しました。


会見で高市氏は、同様に山田氏との記念撮影に応じた
自民党の稲田朋美政調会長や西田昌司参院議員の事務所と協力して調べたところ、
撮影を受けた時期に共通して『撃論』という雑誌のインタビュー取材を
受けていたことが判明したと述べました。


取材の同行者に山田氏が含まれていた可能性には、
「その(山田氏との)写真を見ても、それが誰か分からなかった」と述べ、
山田氏だという認識はなかったかのように説明。

インタビュアーを務めるライターや識者以外のスタッフとは
「名刺も交換していない」として、山田氏の所属団体や思想・信条について一切知らなかった、
「分かっていたら決してお会いしなかった」との説明を繰り返しました。


インタビューが掲載されている『撃論』2011年10月号で、
高市氏は日の丸・君が代の教育現場への押し付けは当然と主張し、
稲田氏は人権擁護法案は在日韓国・朝鮮人の人権に重きを置くものだと主張しています。


こうした取材を受け、自らの政治的立場を表明する機会を得ながら、
相手がどのような立場の人間であるかを確かめないということは、
政治家として通常あり得ないことです。相手が誰か知らなかったという説明で、
疑問は深まるばかりです。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-09-14/2014091402_03_1.html
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安倍晋三首相を含めて第2次安倍改造内閣の19人の閣僚のうち15人が、
日本の侵略戦争を正当化する改憲・右翼団体「日本会議」を支援するためにつくられた
「日本会議国会議員懇談会」(日本会議議連)の所属議員であることが、
本紙が入手した同議連の名簿などから明らかになりました。

超タカ派・改憲勢力が政権中枢に躍り出た形で、まさに「日本会議」内閣です。


2013年2月現在の役員表によると、
日本会議議連には安倍首相と麻生太郎副総理・財務相が特別顧問に就任。

高市早苗総務相、菅義偉官房長官、下村博文文部科学相が副会長、
山谷えり子国家公安委員長が政策審議会長、有村治子女性活躍担当相は政策審議会副会長を務めています。
衛藤晟一、礒崎陽輔両首相補佐官、加藤勝信官房副長官らも役員に名を連ねます。


自民党役員でも、谷垣禎一幹事長が同顧問、稲田朋美政調会長が政策審議会副会長を務め、
また茂木敏充選対委員長も議連メンバーです。



日本会議は「憲法改正をめざす国民運動」を進めるとして各地でフォーラムなどを開催。

同議連や地方議員懇談会が、地方議会で
「憲法改正の早期実現」を求める意見書を採択させる先頭にたっています。


また、日本会議は「男らしさや女らしさを否定する
男女共同参画条例が各県で制定され、子供や家庭をめぐる環境がますます悪化」
しているなどとして男女共同参画や夫婦別姓に反対。


2010年3月の「日本の国柄と家族の絆を守るためストップ!夫婦別姓」と題した集会には、
高市、山谷、有村、稲田各氏が参加して意見表明。

同11月の集会では、山谷氏が「国民世論を無視している」と夫婦別姓に反対を表明しています。


安倍内閣が憲法破壊と歴史修正を
強引に推し進める根源に、
これら極右グループの存在があります。



今年2月に米議会調査局がまとめた報告書は「日本会議」を名指しで警戒。

「安倍氏は、戦時中の行為について、
 日本は不当な批判を受けていると議論するグループと連携」とし、
 安倍政権の歴史修正の動きの背景に日本会議の存在があるとしました。



日本会議国会議員懇談会に加入する閣僚
 安倍晋三総理
 麻生太郎副総理
 高市早苗総務相
 岸田文雄外相
 下村博文文科相
 塩崎恭久厚労相
 望月義夫環境相
 江渡聡徳防衛相
 菅義偉官房長官
 竹下亘復興相
 山谷えり子公安委員長
 山口俊一沖縄・北方相
 有村治子女性活躍相
 甘利明経済再生相
 石破茂地方創生相



日本会議国会議員懇談会 

1970年代から改憲や元号法制化、夫婦別姓反対の運動を進めていた
右翼改憲団体を再編・総結集し、97年に発足したのが「日本会議」です。

「日本会議国会議員懇談会」は、「日本会議」発足の動きに呼応して同年5月に発足。

日本の侵略戦争は「アジア解放」の「正義の戦争」だったと美化する「靖国」派の歴史観に立ち、
「自主憲法制定」、天皇元首化のほか、国民に「国防の義務」を課すべきだ
などの主張を展開してきました。

自民党のほか、民主党、日本維新の会、次世代の党、
みんなの党などの国会議員が加盟。同懇談会の資料によれば、2013年2月現在、
231人の国会議員が加盟しています。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-09-06/2014090601_01_1.html
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日本会議のメンバーの中に民主党の党員もいることに注目。
民主党は極右にとっては左翼政党らしいが、実際は右翼も左翼もないまぜになった混合政党だ。


上の記事でネオナチとつながりがあるとされる稲田朋美は最近、次のような騒動を起こした。



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自民党の稲田朋美政調会長は25日のBS番組で、
安倍晋三首相が目指している「戦後70年新談話」をめぐり、

「(村山談話にある『植民地支配と侵略』など)個々のどのキーワードが入っているかどうかは、
  総理自身もいっているように、私はそういうことではないと思う」と述べました。


また日本軍「慰安婦」問題について謝罪した「河野談話」について稲田氏は、
「強制性はなかった。(韓国側と)すりあわせた形での政治的決着として談話が
できたことは確定、検証された」と述べ、「性奴隷」として強制された実態を否定しました。


稲田氏は24日にも都内で、「マスコミや野党の一部は(村山談話の)ある言葉を入れろとか、
いろいろいっているが、総理の談話だから総理に任せるべきだ」と述べました。


さらに日本の戦前の戦争指導者の責任が断罪された「東京裁判」について、
「サンフランシスコ条約11条は、(東京裁判判決の)主文は受け入れているが、
(判決)理由中の判断に拘束されるいわれはない」と述べました。

「東京裁判で思考停止になるのではなく、戦争を総括し反省する」とも述べました。
全面的な歴史偽造を推進する宣言です。


稲田氏は11日、広島県呉市で「日本会議」が建国記念の日に開いた式典でも、
「いわれなき非難に対して断固として日本の立場を示すことも、
『東京裁判』史観からの脱却につながる」などと述べていました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-02-26/2015022602_02_1.html

稲田朋美自民党政調会長の発言は、
第1回有識者会合など安倍首相の「戦後70年新談話」に向けた動きが本格化する時期に合わせ、
政権党の政策責任者として日本の侵略戦争を正当化し、
「慰安婦」制度の問題を否定する意思を強く示したもので極めて重大です。


戦後の国際政治へ日本が復帰をはたす一つの土台となったサンフランシスコ平和条約は11条で、
日本の侵略戦争とその開戦責任をはじめとする戦争犯罪を断罪した東京裁判の判決を受諾しています。

この東京裁判について稲田氏は「判決主文は受け入れたが理由中の判断に拘束されない」と述べました。


これは日本の戦争指導者への「死刑」を宣告するなどした判決の「主要部分」は受け入れるが、
その前提となる事実認定は受け入れないというもので、
日本の戦争が侵略戦争だったという事実を否定することに等しい認識を示したものです。


東京裁判判決を受け入れ、侵略戦争否定の歴史認識を示すことで
日本は国際連合中心の戦後の国際秩序に加わり、
憲法前文で確認した平和と民主主義を戦後日本政治の原点としました。

これを否定する稲田氏の発言は、安倍政権が
よりどころとする「同盟国」=アメリカとの軋轢(あつれき)も激しくすることになります。


そもそも裁判で宣告された刑は受け入れるが、
犯罪の事実の認定は認めないなどというのも、まったく成り立たない稚拙な議論です。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-02-26/2015022602_03_1.html
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自民も維新も表面的にはヘイトスピーチに反対しているが、
実際には人種差別団体と同じ主張を掲げる極右団体が中枢にいるのである。

映画『フォックスキャッチャー』感想(ネタばれあり)

2015-02-26 00:17:04 | 浅学なる道(コラム)
アメリカ映画の最大の特徴として「強いアメリカ」というものが挙げられる。

わかりやすいのが鬱エンディングで有名なパニック映画『ミスト』で、
霧の中、怪物に囲まれ孤立無援となった絶望的状況を州軍が簡単に解決してしまう。

独裁→アメリカ軍介入→民主化&万事解決というイデオロギーが戯画化されているのだ。


同様にハリウッド版ゴジラでも、何かと犠牲を強いられ、時には敗北を喫する
日本版と違い、アメリカ版は特に犠牲も苦労もなく簡単にゴジラを倒してしまう。


極めつけが冒険活劇『インディ・ジョーンズ』シリーズで、
ナチスやソ連といったアメリカの敵に勝利する物語がそこでは描かれている。

2作目は一応、舞台はインドで変な宗教集団が敵になっているが、
これは見る人が見れば、ベトコンのメタファーであることにすぐに気づく。


このシリーズでは、悪役はことごとく悲惨な最期を迎えており、
2作目ではインディの活躍により邪教徒に支配された村々が解放され、
自由な社会へと生まれ変わるというわかりやすいアメリカン・ヴィクトリーが描かれている。

まさに、強いアメリカは弱者の指導者となり、正しい結果をもたらすのだ。



(http://youtu.be/M_8_o_2sc0Eより)

2月14日より公開されている映画『フォックスキャッチャー』は
弱いアメリカを描いた稀有な、それだけに価値ある作品の1つだ。


主人公であるマーク・シュルツはオリンピック・金メダリストなのだが、
これといった援助を受けることができず、貧しい暮らしを送っていた。


まず、このアメリカの勝利の象徴である金メダリストが
国に守られず、惨めな生活をしているという描き方が斬新。



上の写真を見ても、スポンサーのジョン・デュポン(右)が堂々としているのに対して
体力的に圧倒的に優位に立っているはずのマーク・シュルツ(左)はどこか情けない。


マークはアメリカの大財閥、デュポン社の御曹司(といっても中年の男性)である
ジョン・デュポンから自身が所有するチーム「フォックス・キャッチャー」に
入団することを条件に、多額の資金援助をするという誘いを受ける。


アメリカは救うべき人間を救わないとジョンは言う。


結果を出したにも関わらず、何の恩恵も受けていないマークにとって
ジョンの言葉は、深く心に響いてくるものだった。


ジョンは兄であるデイブにも入団を勧めるが、デイブは誘いを断る。
事実上の育ての親でもあり、名コーチでもある兄と離れ離れになることを
悲しみながらも、マークは恵まれた環境でトレーニングを積み、見事、国際試合で優勝する。


とまぁ、ここまではトントン拍子なのだが、
この辺からジョンがレスリングチームを作ったのは、
自分の手で強いアメリカを生み出すこと、それを母親に見せて自分を認めてもらうこと
という思いっきり個人的な理由があったからだということが次第にわかってくる。


(http://i.ytimg.com/vi/Fi1m6wdJEK4/mqdefault.jpg)

デュポンを一言で表すならば、
アメリカ版三島由紀夫である。



自分のことを「イーグル(アメリカの象徴はワシ。ちなみに中国は竜、ロシアは熊)」
と呼ばせたがり、愛国者を自称し、自分の手でアメリカに勝利をもたらすことを夢見ている。


父親を演じることに憧れ、自分が作らせたドキュメンタリー番組では
自分が選手の第二の父親であり、主導者なのだということを高らかに宣言する。


ミリタリー・マニアでもあり、部屋にはライフルや拳銃のコレクションがあり、
戦車まで揃えるほどの熱の入り様だ(おまけに機関銃が取り付けられていないと文句まで言う)


軍人?らと共に射撃訓練に興じ、時にはトレーニングルームの天井を撃ち、
周囲の注目を浴びようとする典型的な劇場型の人間。それがデュポンだ。


彼自身もレスリング大会に出場し優勝トロフィーを獲得しているが、
実は、スポンサーである彼を気遣って勝たせてもらっているだけであり、
実際には大したことがない。

よろよろと組み手をしている様子は、かなり滑稽であり、
彼が名ばかりの監督兼コーチであることが瞬時に理解できる演出になっている。


競走馬の飼育に専念する母親と対立しているが、競馬がイギリスのスポーツであることをふまえれば、
これはイギリス(元宗主国)とアメリカ(元植民地)の関係を上手く表現したものだと言えよう。


(https://www.major-j.com/upload/info/images/campaign_photo704.gif)

ほぼ素人のデュポンが監督兼コーチである点からお察しの通り、
次第にフォックスキャッチャーのメンバーは、退廃した生活を送るようになる。

デュポン自体が兄からの自立を促し、コカインを勧めるという
どこの不良だとツッコミを入れたくなる指導?をマークに行う。

(スピーチ直前で緊張している彼を元気づけるつもりだったらしいが)


結果的に半中毒者となり、髪を伸ばし、練習をさぼりがちになるマークとメンバーたち。
だが、それはマークにとっては初めての自立であり、兄への反抗だった。


ただでさえ母親に自分を認めてもらえず、苛立ちを隠せない時に
チームの自堕落な様子を見てかんしゃくを起こすデュポン。


マークに、一度は断られたデイブを再度スカウトするよう求める。

それはすでに終わったことと断るマークを殴りつけ、恩知らずの猿と罵倒し、
兄のほうを雇うべきだったと彼のプライドを傷つける言葉を吐く。


その日、マークは髪を刈り上げ、デュポンに与えられた偽りの自立を捨てる。



(http://i.ytimg.com/vi/zWNHlt3mEOk/0.jpg)

内心、いつもデイブの弟としか見られないことにコンプレックスを抱いていたマーク。

デイブにもデュポンにも敵意を見せ、自力で試合に臨もうとする。
が、案の定、コーチがいないため、思うように結果が出せない。
いろいろあって、マークはデイブと和解し、彼の指導を受けることにする。


この映画でデイブは父性と母性を表している。

親の代わりに弟を育ててきた人格者であり、
選手としてもオリンピックで金メダルを取得し、
コーチとしても的確な指導をし、選手を勝利へと導く超人でもあるデイブ。

美人の妻と可愛い子供を持つマイホーム・パパであり、
家族を守ることを何よりの喜びとする。


態度の悪い弟に対しても一度も罵声を浴びせず、
ただひたすらにデュポンと何かあったのかと心配する。


まさに完全にして完璧な父親である。
聖書、放蕩息子と検索してほしい。まさにデイブとマークは放蕩息子の親子そのものだ。
(アメリカがプロテスタントの国家であることを踏まえると、この描写はかなり興味深い)


(http://ww3.sinaimg.cn/large/9e520155jw1envnf00063j20go0b4abq.jpg)

結局、マークはデイブという神の愛なしに勝つことができなかった。
弟ではない自分になれなかった。それがマークの自己嫌悪と不調へとつながっていく。


ソウルオリンピックでデイブとデュポンの指導を受けながら、
結果を出せず敗北してしまうマークは二人の父親に振り回される息子のようだ。


国家や教会の掲げる愛と正義に振り回され、孤立していくアメリカ人。
本作でマークが自力で勝利するシーンはわずかワンシーンしかない。

あとはひたすら負け、負け、負けだ。
弱いアメリカをここまで描いた作品はそうはないと思う。




(http://eigakansou.com/wp-content/uploads/2015/01/foxcatcher.jpg)

フォックスキャッチャーを辞め、兄とも別れを告げ、
異種格闘技(ようするに賭け試合)で生計を立てるマーク。

それは、かつて仲間に「ああはなりたくないものだな」と侮蔑された生き方だった。


「U.S.A!U.S.A!」という歓声を受けながらリングに上がるところで物語は終わる。


結局のところ、この作品は
デュポンが示す「アメリカの愛」とデイブが示す「キリストの愛」の板挟みに悩まされ、
挫折によって、双方から解放される様をドラマティックに描写したものなのだろう。



(http://u.jimdo.com/www58/o/sd2b0ec37a12ecd48/img/i87ff6a0b309a4737/1411048038/std/image.jpg)


この作品は、シュルツを殺害するデュポンの狂気が全面的に押し出されて宣伝されているが、
実際には、気難しい人物といったぐらいの演出で、言われるほど異常性は強調されていない。


マークとデュポンの関係も、オーナーと選手以上のものではなく、
お互いに信頼しあっているわけでも、理解しあっているわけでもない。


むしろ、デュポンと絶交してからマークは彼と全く会話せず、
問題のシーンまでデュポンの影は薄い。ようするに空気だ。


誰よりも父親であることに憧れ、指導者である自分にこだわったデュポン。
それはアメリカそのものであり、彼の愛するイーグルや銃はアメリカの正義のシンボルでもある。



勝利にこだわるあまりにデイブを雇ったデュポンだが、それは父親の役割を自ら売り渡すことだった。

もはや、彼を父と慕う者はいない。マークは去った。
アメリカの夢は敗北をもって終わったのだ。


デュポンの殺害動機は本作の最大の謎の1つだが、しいて言うならば、
それはアメリカの敗北を認められない愛国者の最後のあがきだったのかもしれない。




以上が「弱いアメリカ」を描いた意欲作『フォックスキャッチャー』の感想だ。


正直、娯楽性は大してない。面白い作品ではない。
だが、アメリカの傀儡国家イラクでアメリカの敵を次々と撃ち殺す凄腕の射手を描いた
『アメリカン・スナイパー』(直球すぎるタイトルだ!)よりは本作のほうが価値がある。


日本でも弱い日本兵を描いて古参の右翼のブーイングを受けた映画、
『永遠の0』があるが、これは内容自体は逆に右傾化を促すものであり、
『フォックスキャッチャー』のように反省を迫るものになっていない。


この辺の違いが、なんだかんだで
アメリカのほうが健全な言論を発信している何よりの証拠なのかもしれない。

(アメリカ批判として有名なチョムスキーもサイードも
 アメリカ在住の人間だ。アメリカでは言論の自由は確かに約束されている。
 問題は、まともな意見が発信されても政府や社会が全力で無視していることだ)

イラン元外交官、キッシンジャーを批判する

2015-02-25 00:41:19 | リビア・ウクライナ・南米・中東
キッシンジャーというと、ノーベル平和賞を受賞し、反核を表明して以来、
すっかり平和の使者のように語られているが、ベトナム戦争を主として
数々の悪巧みに関与してきた人物であり、その本質的部分がここ数年で変化したわけではない。


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イランの元外交官のムーサヴィヤーン氏が、イランの核協議に関する
アメリカのキッシンジャー元国家安全保障担当大統領補佐官の表明を批判しました。


キッシンジャー氏は、最近、イランの核問題を解決するための核協議を非難し、
「この方法は、核兵器拡散防止からその管理の方向に向かわせる」と述べました。


ムーサヴィヤーン氏は、分析サイトでこのキッシンジャー氏の表明を批判し、

「キッシンジャー氏の概算は、核協議の現状、
 イランの核活動の歴史、そして拡散問題に対する現在の国際体制を
 限定的にしか理解していないことを示すものだ」としました。


また、
「核拡散問題の重要な点は、核軍縮を目的とする
 NPT核兵器不拡散条約の正しい理解である」と述べました。


ここ数年、NPTに署名している多くの国が、技術の点で取り決めに違反しています。

少なくともブラジル、アルゼンチン、エジプト、韓国、台湾の5カ国が
IAEA国際原子力機関への情報提供なしに、秘密裏の核活動を行っています。


核兵器保有国も、核兵器廃棄に関する多くの取り決めを無視しており、
最近ではこの兵器を向上させ、増加させています。

その一方でイランの問題に関しては明らかにダブルスタンダードをとっています。


ムーサヴィヤーン氏は、キッシンジャー氏は確実に、
日本、ブラジル、アルゼンチン、南アフリカ、ドイツ、オランダなど
核兵器を持たない複数の国がウラン濃縮の能力を保有していることを知っており、
これらの国については決して核兵器拡散国と呼んでいないとしています。



以前イランの核協議団のメンバーであったムーサヴィヤーン氏は、
「キッシンジャー氏が他者に信じさせようとしていることに反して、
 核の合意は再度イランがNPTを遵守していることを証明するだろう。
 イランとの協議国は現在イランがNPTの取り決めをこえて
 行動していることを納得している」と強調しました。

http://japanese.irib.ir/news/nuclear-power/item/
52416-%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%85%83%E5%A4
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核爆弾というのは、減らしたからといって、
燃料と作り方さえあれば、また作ることができる代物である。


つまり、日本のように原爆の材料であるウランを
原爆5000発分保有し、爆弾の作り方も知っている国は
事実上の核保有国と言っても差支えない。



上の記事にある日本についてはスルーするくせに
イランだけ攻撃するのはおかしいという主張はそういうことである。


キッシンジャーが反核を叫びだしたのは、
アメリカに匹敵するだけの通常兵器を有する国がないと思われ出した時期である。


つまり、原爆などなくても他の兵器でアメリカが他国を圧倒できるからこそ、
彼は反核に転じたわけであって、これを勘違いするとおかしなことになる。



現在の反核団体のキレが悪いのも、この点を失念したために、
結果的には、アメリカがイランや北朝鮮、中国などの核保有国を
攻撃するための口実として反核が利用されていることに気付かないためだと言えよう。

ザ・コーブでは何が訴えられているのか?その8

2015-02-24 00:31:06 | ザ・コーブ
今回の記事でとりあえず最後にしたいが、
『ザ・コーブ』に関して言えば、大変厳しい検閲がされていることが目につく。


例えば、映画ではイルカ肉がクジラ肉と表記して売られていること、
イルカ肉の中に含まれている水銀の濃度が濃いことが指摘されているが、
これはエンディングのほうで「諸説あります」との但し書きがされている。

他にも、特典には保守派で有名な御用学者のコメントがあって、
映画の内容を否定するような発言が多くされている。


これは『アンネの日記』の巻末に
ホロコースト否定論が記述されているようなものだ。



このように、映画の内容を逐一否定するコメントを付記しない限り、
DVDの発売すら危うかったという事情は、大いに問題があるのではないだろうか。


大体、この映画自体、ほとんどの映画館が「自粛」して
事実上、公開が禁じられたようなものであり、彼ら活動家が述べるように
国民がイルカビジネスの問題点や負の歴史を知る機会は著しく制限されている。


『ザ・コーブ』は単に生物保護運動の知識だけでなく、
 日本の学者や記者、役人が自発的にプロパガンダに協力していること、
 発売者側が相当、空気を読まない限り販売することすら出来ないことを
 露わにした、非常に重大な問題提起がされている作品なのである。


私は真の独裁とは国民の協力があって初めて成り立つものであり、
その独裁の度合いは途上国のそれよりも先進国のそれのほうが高いと思っている。


この映画にしても、反日映画とレッテルを貼って無視する視聴者が大半ではないだろうか?
そういうレビューが出回ることで、問題の本質がますます見えてこなくなってしまう。


これは捕鯨やイルカ漁に限らず、沖縄基地問題や歴史問題、
その他諸々の時事問題に通じることだ。

右翼を中心とした大衆が情報規制に自分から進んで参加している。
関東大震災の際には、有志が自警団を結成して、朝鮮人を殺しまわったが、
それと同じことが、今の日本では起きている。


つまり、真の独裁は民主的に行われる。


民主主義がー民主化がーと小うるさい連中もいるが、本当の問題は
真の民主主義は各人が相当な努力をして確かな知識と判断力をつけることで初めて成立する
という命題をすっ飛ばして話を進めることではないだろうか?


現代民主主義が真の民主主義とは程遠いことは感覚的にわかるはずだ。

この現代民主主義社会では大衆がプロパガンダを再生産することで、
権力者と結託しながら自らの手で自らの足を縛るような真似をする。

監視されるのではなく、監視しあう社会になっている。

都合の悪い意見や情報は禁止されることも時にあるが、それよりも重要なのは
全員によって無視と非難を行うことでそれら情報を歪め、無力化することにある。


『ザ・コーブ』を巡る言論状況をよく見てほしい。
 水族館ビジネスの問題を指摘した人間は何人いるだろうか?
 捕獲数が文字通りケタ違いに増えていることを指摘した人間は?
 政府が小国を買収している実態は?

 これら問題をガン無視して「日本人にむけた環境テロの文化破壊行動」という
 お決まりの言説がゲラ刷りされて目に入っているのが現状ではないだろうか?

『ザ・コーブ』は、そういう意味でも視聴をぜひ勧めたい映画だ。
 日本のメディアコントロールに関心がある方はぜひ観てほしい。

ザ・コーブでは何が訴えられているのか?その7

2015-02-24 00:20:49 | ザ・コーブ
鯨類保護運動が水族館ビジネスへの反対運動であることが各識者からされていない。

以下の英文は『ザ・コーブ』を撮影した市民団体のホームページに掲載されたもので、
閲覧者に向けてのテイクアクション(各々ができる抵抗運動)について述べたものだが、
そこにはイルカショーのチケットを買わないようにとの呼びかけがされている。


----------------------------------------------------------------
Take the Pledge Not to Buy a Ticket to a Dolphin Show
イルカショーのチケットを買わないよう誓ってください。

Dolphins have evolved over millions of years,
イルカは数100万年以上をかけて進化してきました。
adapting perfectly to life in the ocean.
海の生活に完全に適合してきたのです。
They are intelligent, social and self-aware,
イルカは賢く、社会的で自己認識ができます、
exhibiting evidence of a highly developed emotional sense.
高度に発展した感情があることを示す証拠があります。
Here are just a few of the issues with captivity:
これこそが監禁で問題が起きる原因になっているのです。

Captures of dolphins are traumatic and stressful
イルカを捕獲することでイルカはトラウマを植え付けられ、ストレスを感じ、
and can result in injury and death of dolphins.
結果として負傷したり死亡したりします。

The number of dolphins that die during capture operations
捕獲の最中あるいはその後まもなく死亡するイルカの数を
or shortly thereafter are never revealed in dolphinariums or
イルカ水族館やイルカと遊泳する企画を立てる者たちが公表することは決してありません。
swim-with-dolphins programs. Some facilities even claim their dolphins were
施設によっては自分たちはイルカを海から救助したのであり、
"rescued" from the ocean and cannot be released. This claim is almost invariably false.
現状では解放できないのだと主張する所さえあります。この主張はほぼいつも間違いです。

Training of dolphins is often deliberately misrepresented
しばしば、イルカの調教に関して間違った説明が、
by the captive dolphin industry to make it look
イルカを捕獲する産業によって故意に行われています。
as if dolphins perform because they like it. This isn't the case.
まるでイルカが演技が好きであるかのように説明しますが、それは間違いです。
They are performing because they have been deprived of food.
イルカが演技をするのは食べ物を取り上げられているからです。

Most captive dolphins are confined in minuscule tanks
大抵、捕らわれたイルカは小さな水槽の中に閉じ込められています。
containing chemically treated artificial seawater.
(その水槽は化学的に処理された人工の海水が注水されています)

Dolphins in a tank are severely restricted in using their highly developed sonar,
水槽の中にいるイルカは高度に発展したソナーを使う機会がかなり限定されていますが、
which is one of the most damaging aspects of captivity.
それはイルカを閉じ込めることでイルカにダメージを与える最も大きな一因になっています。

It is much like forcing a person to live in a hall of mirrors
それは、あたかも人間を無理やり鏡だらけのホールに閉じ込めて
for the rest of their life
残りの人生を生活させるようなものです。

(http://dolphinproject.org/take-action/dolphins-in-captivity)

-------------------------------------------------------------
いつものように直訳ではなく、意訳だが、大体の意味は合っていると思う。



水族館ビジネスというのは、絶対に日本の文化ではないはずだ。

にも関わらず、農水省も生物学者もこの件については一切触れずに
日本人に対する環境テロリストの凶行だと説明する。


それは鯨類研究所が農水省の天下り先だとか、
研究費のほとんどが企業や政府からの援助金で賄われているとか、
そういうレベルを超えた一種のパラノイアを感じる。


もちろん、完全に自分の保身や経済的利益を考えて動いている人間もいるだろうが、
日本人がおかしな外国人に攻撃されていると思う人間も相当数いるのではないだろうか?


被害妄想に囚われた学者や記者がそれなりにいるような気がするのである。


そういう今だからこそ、彼らのホームページを見て、
とりあえず、どういう動機で活動しているのかを理解することが求められている。
そう私は思うのである。

ザ・コーブでは何が訴えられているのか?その6

2015-02-23 00:39:32 | ザ・コーブ
『ザ・コーブ』は鯨類捕獲についての問題点を色々と指摘してくれる作品であり、
 それだけに各賞を受賞したのは納得のいくものだと思われる。


これについて、同作を非難する声を拾うと、
「日本が」「日本人が」「日本の文化が」とひたすらJapanを強調したものばかりで、
申し訳ないが、建設的な意見とは、とてもじゃないが思えない。


捕鯨についてあまり賛意していないはずの勝川俊雄教授まで
次のような見解を示している(以下、引用元は全てhttp://katukawa.com/?p=3667)。



かわいいイルカちゃんを殺す悪い奴らと闘う、僕ら正義の保護団体」というシンプルなメッセージ。
「悪い奴は明らか、問題も明らか。あとは実力行使でやめさせるだけ」、ということだ。

~中略~

エンターテイメントとしても、一級だ。

世界一のビルを上る男とか、ジオラマ作成専門家とか、
いろいろな特技を持った人間が協力してミッションを行うストーリーは単純明快でアメリカン。

悪者にされた日本人にしてみれば、かなり不愉快な映画であります。
この映画によって、日本人のイメージは確実に悪くなりますね。
The Coveの内容についてはこちらのサイトが詳しいです。

~引用終わり~
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ザ・コーブでは何が訴えられているのか?その5

この映画で何が語られているのかは上の記事にまとめている。
より詳しい内容はカテゴリー「ザ・コーブ」をクリックしてほしい。


さて、勝川教授は、本作が基本的に水族館ビジネスへの反対運動が
基軸となっていることを無視して、イルカ漁の部分のみに言及している。

ザ・コーブでは何が訴えられているのか?その1

これまで述べたように、この撮影の企画者であるリック・オバリー氏は
イルカの食肉よりも、2~3年でストレス死するのを承知で
数10億の利益のためにイルカショーを開催およびイルカを売買するビジネスに反対している。


この点を無視すると、「イルカを食べるのは可哀そう」と言っている連中だと
ミスリードさせることになる。実際はそうではない。次の記事を読んでほしい。



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(太地のイルカ漁に反対する活動家のコメント)

As the annual dolphin-killing season begins at the cove at Taiji, Japan,
毎年、日本の太地町の入り江でイルカが殺される時期になると
the focus will be on the slaughter.
問題の関心は大量虐殺に向けられる。

Far less attention will be paid, however,
だが、あまり注意が向けられていないのだが、
to the fate of dolphins captured and
捕獲されたイルカは殺される一方で、世界中の
sold to marine-mammal entertainment parks worldwide.
海洋哺乳類娯楽パーク(つまり水族館)に売り飛ばされてもいるのだ。

But some activists are bringing their fight to facilities
幾人かの活動家は、生きたイルカを要求する原因となっている
that fuel demand for live dolphins.
これら施設に対する戦いを行っている。

Live dolphins are far more lucrative than dead ones.
生きたイルカは死んだイルカよりもはるかに儲かる。

Taiji fishermen can earn $150,000 or more from selling a single live animal,
太地の両氏は一匹売るたびに15万以上のドルを稼ぐ。
while one butchered for meat fetches only $500 to $600,
(食用にされたものは500ドルから600ドルぐらいしかしないのに)

an economic reality that keeps the drives in business, opponents say.
経済的現実こそ、漁を続行させているのだと反対者は言う。
(意訳:レジャー施設への販売こそイルカ漁を継続する真の目的なのだ
    と抗議者は述べている)

http://www.takepart.com/article/2014/09/12/map-shows-
where-dolphins-captured-cove-2013-were-sold

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確かに映画自体は入り江での追い込み漁を撮影したものだから、
勝川教授のように理解するのが一般的な反応だろうが、
本編をもう少し真面目に読み、活動家の言葉に耳を傾ければ、
彼らが何に対して反対しているのかを誤解しないで済んだだろうと思う。




教授は一応、日本人への攻撃ではないとフォロー(?)しているが、
それはフォローというよりは、彼らが環境テロなのだと強調するためのものになっている。



----------------------------------------------------------
保護団体は、日本人を差別して、日本のみを攻撃しているわけではないです。
彼らは、自国の様々な活動も、過激に攻撃してきました。

たとえば、自国の動物実験も、激しく攻撃しています。
カナダの大学では、環境テロリストの攻撃対象になるということで、
動物実験をする建物は、大学の地図に載せていませんでした。

15年も前の話です。当時学生だった、私は、恐ろしい人たちがいるものだと驚きました。


我々の感覚からすると、太地のように、わざわざ、見えづらいところで殺しているのを、
わざわざ盗撮しにくるのはどうかと思います。

でも、そういう理論が通じる相手ではないのです。


新薬を開発するための動物実験は、明らかに人類の福祉につながります。
実験動物は、実験のために育てられており、実験は大学の研究室のような密室で行われる。

それでも、動物の権利を侵害するのは許し難いというのが彼らの理論です。
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残念ながら、勝川教授は普段、ほかならぬ自分が批判している
マグロビジネスに対する日本政府のスタンスと同じ形を取っている。


マグロの漁獲において一番問題があるのは日本の乱獲なのだが、
メディアがあれやこれやと空気を読んで、日本は全く悪くないと報道している。


クロマグロの国際交渉を分析:日本のジャイアン外交が韓国とメキシコを力でねじ伏せた

この件について、具体的なデータをもって論証したのが上の勝川教授の記事だ。
(誤解のないように述べておくが、私は勝川教授の支持者でもある)

これと同じことがイルカ漁にも当てはまる。


それを活動家は問題視しているのだが、
彼らを環境テロとレッテルを貼り、日本への攻撃とみなすのはいかがなものか?


環境問題を口実に、施設を爆破したり、関係者への暴行・殺害を企てるなら確かにテロだ。
だが、彼らはせいぜい網を切るぐらいで暴力を振るったりはしない。

近年、自国に都合のよい組織は活動団体、市民団体と表記し、
そうでない組織はテロと書く風潮があるが、鯨類保護問題も同様である。


皮肉なことだが、マグロ漁への規制を「日本の食文化への攻撃」と称して
一切の批判を許さない頑迷な論者と大差ないレベルの意見を氏は述べている。


このカテゴリーの初めにも書いたが、鯨類保護運動を考察する上で大事なのは、
彼らが「Industry(産業)」に対して批判しているのだという認識である。



かわいそうだとか、日本への敵意だとかそういうのではなく、
膨大な利益を貪るために海洋生物を乱獲するビジネスに反対しているのだ。


確かに「牛や豚を殺すことには文句を言わないのに~」と言いたいのはわかるが、
これは反核団体に対して「銃規制は主張しないくせに~」と言っているようなものだ。
女性差別改善運動に対して「なぜ黒人差別を取り上げない!」と叱っているようなものだ。


元々イルカに愛着をもっていた人間が反対運動に加わっているのは確かだが、
それが本質ではないということを、各組織の主張から読み取ってほしいと思う。


上の勝川氏のそれでもわかるが、日本の識者は向こうの意見をよく読まずに
環境テロとレッテルを貼り、言説を歪めて伝え、日本を被害者に仕立て上げる傾向がある。


正直、教授が映画を最初から最後までよく観たのか、怪しいものである。
(映画では、一般の日本人は政府のメディアコントロールによって
 事実を知らされていないと主張されている。

 大体、日本政府&一部自治体の批判がなぜに日本人の批判になるのか?

 いつから日本政府=日本人、日本政府の批判=日本人の批判になったのか?

 その論法では勝川教授が普段述べているマグロ漁の規制も反日行為になるではないか)

確かな批判なら歓迎するが、内容を歪めて何でもかんでも反日認定するのは
近年の歴史改ざん・人種差別団体と同様の愚かな行為ではないだろうか。


・追記
 なお、勝川教授の記事は2010年のものであり、
 現在、氏が同じ見解かどうかは定かではない。

ザ・コーブでは何が訴えられているのか?その5

2015-02-23 00:14:08 | ザ・コーブ
以上、ザ・コーブについて語ってきたが、まとめると


1・水族館ビジネスへの批判
  (イルカを2~3年でストレス死させるのを承知で売りさばくショービジネス
   および年間数十億ドルもの利益を得る水族館産業への批判。
   太地町は全世界にショー用のイルカを輸出する大供給地)

2・近年のイルカの乱獲
  (50年~70年代のハンドウイルカの平均捕獲数は976頭。
   現在(撮影時)は2万3千頭にまで急増。別種のイシイルカは80年代末、
   日本近海に生存する3分の1を捕獲したため、急きょ規制がされている。

   なお、捕獲数は毎年変動するが、少なくとも1万頭以上は確実に捕獲されている)

3・警察の監視および地元民の度が過ぎた暴力的な姿勢
  (常時、監視体制。車での尾行。
   入り江近辺の立ち入り禁止←合法的な追い込み漁の撮影が不可能に)

4・日本政府の買収行為
  (カリブ諸国を買収、漁場基地を無償供与、IWCの年会費を肩代わり)


ざっと挙げるだけで、これだけのことを述べている。

これら諸事実を無視して、捕鯨は日本の伝統的な文化だ、
捕鯨に反対するのは日本の伝統的な文化を攻撃するものだ、
だから捕鯨に反対する集団は反日なのだ、白人主義者なのだと叫ぶこと。


それがどれだけバカバカしいことか……よく考えてほしい。
上で掲げた問題を捕鯨支持者が取り上げたことがあっただろうか?

彼らは「捕鯨は正義だ、だからこのままでいいのだ」としか言っていないのではないか?

捕鯨やイルカ漁を続けるためにも、現実の問題点を指摘することは重要だ。
だが、現在の研究費が水族館ビジネスや捕鯨ビジネスで利益を得る政府や
産業によって賄われている今、これらに意見することがタブー視されているのである。

だからこそ、在野の人間が代わりに現行体制の欠点を指摘しなければならないのだが、
鎌田遵氏は何を血迷ったのか、インディアン問題だけ解説すればいいものを、
無理やり捕鯨とインディアンを関連付け、いずれも白人による侵略行為とみなしてしまった。


これは同氏の今後のキャリアを思っても、研究者としての信用を無くすだけだと思う。
(まぁ、それを言えばこの件に関する御用学者全員が信用を落としているわけだが)

ザ・コーブでは何が訴えられているのか?その4

2015-02-23 00:11:15 | ザ・コーブ
国際捕鯨委員会(IWC)にはカリブ海の小国も参加しているが、
彼らは皆、日本の捕鯨維持・商業捕鯨再開に好意的な姿勢をとっている。


『ザ・コーブ』では、いずれのカリブ海諸国も
 日本によって漁場基地が無償提供されていること、
 加えてIWCの会費を日本が肩代わりしていることに触れ、
 賛成国が弱国を買収し、意のままに操っているのだと主張する。


これら漁場基地は現地にとって不要な施設であり、
映像では、なぜか鶏の飼育小屋(?)として利用されていた。


日本のODAが現地のためでなく日本の利益のために行っていることは
東南アジア研究者である故・村井吉敬&鶴見吉行氏をはじめ、
多くの識者によって指摘されているが、これもまたその一例なのだろう。


『ザ・コーブ』は、商業捕鯨が禁止され、需要もないのにも関わらず、
日本が執拗に鯨類を捕獲し、くじら肉(イルカ肉)を市場に売り捌く背景として
日本の帝国主義が関係しているのではないかと述べる。


確かに、捕鯨を語るにおいて、日本の右傾化の指摘は避けて通れないだろう。


手元にある反捕鯨本の発刊年度を見ると、
1990年代前半、つまり環境運動が注目されていた時代、
生物保護運動の本は特にバッシングされることがなかった。


出版社最大手の講談社から反捕鯨・イルカ本が売られていたなど、
今ではとても考えられないと思う。


なお、捕鯨・イルカを正当化する言説は、
岩波書店(岩波新書・現代文庫)に多くあり、
あの水産庁の元役人、小松正之が水産資源について語っていたりする。


鯨類研究所が水産庁の天下り先になっているのはよく知られた話だが、
その中でも小松は最も暴れている番犬の一人だ。


そういう人物に、乱獲について語らせるというのは、
なかなかのチャレンジャーではないだろうか?


他にも、ジャーナリストとして名高い鎌田慧氏も
太地町を訪れ、日本文化に傷をつけようとする外国勢力に憤りを覚えているが、
これなども、日本の左翼の限界を知る好例なのかもしれない。


これまでに述べたように、捕鯨やイルカ漁に反対するのは、
文化に反対しているわけでなく、捕り過ぎに反対しているのであり、
営利目的で鯨類を虐待する水族館ビジネスに反対しているのである。


むしろ、「水族館」という近代西洋文化(自然を囲み、人間の管理下に置くシステム)
の自然への侵略・征服に加担しているのは、太地町を含めた日本の行政府のほうなのだが、
この点に関して反・反イルカ漁論者はこれといって何も言わない。それが問題なのだ。


岩波は左派系出版社ではあるが、実際にはこの程度の左であり、
国家主義(国益に反する意見は基本的には言わない)から抜け出していない。


他方、斎藤貴男氏の反捕鯨論を掲載していたりする面もあり、
率直に評価すれば、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、立ち位置がしっかりしない


別にこれは岩波に限った話ではなく、
日本のメジャーな戦後左翼、つまり反共左翼は
現在、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、右なのか左なのかハッキリせず、
自身を「中道」あるいは「リベラル」と美的表現で粉飾しながら迷走の一途を辿っている。



捕鯨問題は日本の左翼の情けなさを示すリトマス試験紙なのかもしれない。



ザ・コーブでは何が訴えられているのか?その3

2015-02-22 00:39:59 | ザ・コーブ
『ザ・コーブ』で最も見逃せない点は、日本政府が弱国を買収し、
 鯨類捕獲の支持票を稼いだり、警察が反対運動家を監視していることである。


まず、和歌山県太地町では、鯨類捕獲に関する
BBCやロンドン・タイムズをはじめとした海外メディアの取材ができないようになっている。



これと併せてテレビや新聞、雑誌、書籍における捕鯨礼賛の風潮を踏まえれば、
民主主義国家で、まさに民主的に、平和的に情報が制限されているのである。


これは捕鯨問題に限らず、時事問題を考える際に必要なことだろう。


次に、一部の漁師や警察による行為について。

日本語が通じないと思っているのか、ザ・コーブでは
「アリガトー」といって漁師らに挨拶するスタッフに対して
「帰れ帰れ」と笑顔で答えている。


他にも大声で「帰れや」とカメラの前で怒鳴りちらす若者や、
覆面パトカーの尾行など、客観的に見てあまり行儀が良いとは言えない。


鎌田遵氏は、これら映像を悪意をもって作られたかのように語っているが、
少なくともこういう行為が現実として起きたことは否めないのではないだろうか?


私も活動家が現地でミネラル・ウォーターを購入しようとしたところ、
拒否された事件があったことを知っていたが、なんというか田舎特有の
閉鎖的な空間があるのではと思わざるを得ない。



この閉鎖的な体質を最も象徴しているのが、追い込み漁の周囲が
立ち入り禁止にされ、撮影できないようになっていることだ。


追い込み漁は入り江で大量のイルカを殺害する漁である。
入り江一面がイルカの血で赤く染まる。


あまりイメージの良い光景ではない。


つまり、追い込み漁の現場が見られないように立ち入り禁止にしたことが、
逆に『ザ・コーブ』の資料的価値を高めてしまったのである。




作品の最後では水産庁の役人が漁に使うナイフは改良され、
一瞬で死ぬようにできている、だから残酷ではありませんと説明している。

スタッフは「これを見ても残酷ではないと言えるか」と赤く染まった入り江の映像を見せる。

入り江と同じほどに真っ赤な嘘をついていることが暴露されたわけだ。


このように『ザ・コーブ』は鯨類捕獲に関する日本政府の嘘デタラメや
地元の自治体・警察の行き過ぎた保守的な体質まで露わにしており、
そこもまた評価のポイントになった。

ザ・コーブでは何が訴えられているのか?その2

2015-02-22 00:10:51 | ザ・コーブ
イルカ保護運動の第2の背景として、IWCの不完全な保護体制がある。


国際捕鯨委員会と呼ばれるIWCは、イルカを保護対象に入れていない。
これは捕鯨国からの圧力があるからだ。

実は、イルカとクジラは同じ生物であり、
簡単に説明すると小さいほうをイルカ、大きいほうをクジラと呼んでいる。

そのため、市場ではクジラ肉と称してイルカの肉が売られている。

1986年以降の商業捕鯨禁止以降、
鯨肉の埋め合わせとしてイルカの捕獲量が激増した。

1957年から1970年末までのハンドウイルカの平均捕獲量は976頭だった。
それが今では2万3千頭である。


数字を見るだけでも、取り過ぎだということに気付くだろう。

~~~~~~~
追記

捕獲数にはブレがある。
映画が撮影された2008年には2万3千頭だった。
2007年時は1万3107頭、2011年は3283頭、2013年は1万6496頭が公式捕獲数となっている。

2011年は地震のせいで漁ができない地域があったためだと思われる。

(参考ページ:http://savejapandolphins.org/take-action/frequently-asked-questions)

~~~~~~~

実は、イルカ漁の制限は今から20年以上前に日本の科学者によって提唱されている。

対象となったのはイシイルカで、生物学者の試算した持続可能の捕獲数は
5000頭だったのに対して、1万以上、規制直前時では4万300頭が捕獲されていたのである。


これは日本近海を外遊するイシイルカの3分の1が殺害されたことを意味しており
そのため、科学者たちは即急の規制を訴えたのだ。

結果として最大の捕獲地だった岩手地方において規制が設けられた。

同地方ではイルカを食用として捕獲する文化があったわけだが、
他ならぬ日本人たちの乱獲によって文化の維持が危うくなったわけである。


私は「日本の文化を理解しない!」と言って鯨類の捕獲を正当化する意見を
目にするたびに「文化ならどれだけ捕ってもいいのか」と思う。


食うなとは言わない。捕り過ぎが問題なのだ。


『ザ・コーブ』でも乱獲への批判が中心となって話が進んでいる。

もちろん絶対禁止を掲げる人間も運動には参加しているだろうが、
映画自体は毎年2万3千頭が捕獲されることに対して抗議している。


商業捕鯨が禁止された当時と比べて鯨肉の需要は減った。
一石二鳥とばかりにショー用イルカの捕獲と並行して
追い込み漁がされているが、その必要はあるのだろうか?