読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

みやざきアートセンターで「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」をじっくりと観る

2015-07-19 21:57:57 | 宮崎のお噂
『スター・ウォーズ』やゴジラシリーズなどの映画ポスターアートや、小松左京さんや平井和正さんなどの著作のイラストを数多く手がけてこられた宮崎市在住のイラストレーター、生賴範義さん。迫力ある描写力と緻密な筆致により描かれたその作品群は、国内はもとより海外からも高く評価されています。
昨年2月に開催されて大きな反響を呼んだ、生賴さん初の大規模展「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」は、わたくしも2回にわたって観覧し、その作品世界には大いに気持ちを鷲掴みにされました(そのときに綴った拙ブログ記事はこちらです)。
あれから1年数ヶ月。2回目となる大規模展「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」が、今月(7月)の9日から、前回と同じく宮崎市のみやざきアートセンターを会場にして開催されております。昨日(18日)、わたくしも観覧してまいりました。
各時代における代表的な仕事をピックアップした前回から趣向を変え、今回は1966年から1984年までの仕事に焦点を当てたものとなっています。まさに、生賴さんがイラストレーターとしての地位を確立し、声価を高めていった時期の作品群といえるでしょう。

最初に展示されていたのが、発表を前提とせずに描かれたオリジナルの作品群でした。その中でも特に目を引いたのが、母校である鹿児島県立川内高等学校に寄贈した「我々の所産」。前回の展覧会で展示されていた横長の超大作「サンサーラ」の構図を再構成したこの作品もまた、幅3メートルに及ぶ大作です。人類と文明の過去、現在、未来を見据えたイラストを描き続けてこられた、生賴さんの真骨頂ともいえる入魂の作でした。
その一方で、アトリエのある宮崎市の自宅裏の風景を描いた作品や、近所に住む老人の肖像画といった、生賴さんとしては珍しい題材もいくつかありました。展示されている作品ではいちばん古い、1960年作の「少女像」はかなり傷んでいたということですが、修復を経てきれいに甦っておりました。

今回の展示では映画の仕事は少なめでしたが、その目玉といえるのが『マッドマックス2』(1981年)のパンフレットに折り込みで収録されていた(当初はポスター用として描かれたそうですが)イラストであります。現在公開中の最新作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に至るシリーズの世界観を決定づけ、その後の近未来SFにも大きな影響を与えた傑作です。
(以下の写真は撮影OKの場所で撮ったものです)


メル・ギブソン演じる主人公マックスをはじめとする登場人物や、カーアクション場面を組み合わせ、作品の魅力を凝縮させたイラストですが、マックスを描くときにモデルとしたのは、革ジャンを着せたご子息(現在、やはり画家として活躍されているオーライタローさん)だったとか。

続いての展示は、小松左京さんや平井和正さんの著作をはじめとする、数多くの書籍や雑誌のために描かれた作品群でした。小松さんと、今年1月に逝去された平井さんから絶大なる信頼を得ていたという生賴さん。このお二人のために描かれた作品だけでもかなりの点数があるのだとか。
シリアスなものとコミカルなものが混在する平井さんの『ウルフガイ』シリーズでは、その両極端の作風に合わせてしっかりとイラストを描き分けておられました。また小松さんの著作の表紙イラストは、書籍の装幀イラストの枠を超えるような高い芸術性が目を惹きました(とりわけ、下のチラシにも使われている『ゴルディアスの結び目』のイラストは素晴らしいものがあります)。


さらには、SFはもちろん冒険小説、ミステリ、歴史もの、戦記、ノンフィクションなどの書籍のイラスト。手がけたジャンルの幅広さにも驚かされたのですが、アクリル絵具「リキテックス」で緻密に描く普段の作風にとどまらない、表現技法の多彩さも見どころでした。中には、まるで浮世絵のような画風で描かれた時代小説のイラストもあってビックリいたしました。
1960年代終盤から70年代の初めにかけて『週刊少年マガジン』とその姉妹誌のために描かれた、メカの図解や恐竜などのイラストも見事なものでした。かつては少年向け週刊漫画雑誌の記事にも、これだけ手間をかけた高品位のイラストが使われていたのかー、と感慨しきりでありました。また、言われなければ写真としか思えない、『月刊パーゴルフ』(現在は週刊)の表紙を飾った尾崎将司さんの肖像イラストにはひたすら驚嘆のため息が。
ちょっと変わったところでは、『週刊サンケイ』臨時増刊号に掲載された、よど号ハイジャック事件を絵解きした作品。ハイジャックされた機内のようすを想像のみで描いたイラストはいささか誇張気味ではありましたが、ついつい引き込まれるような迫力に満ちておりました。こういうお仕事もされていたんだなあ。
圧倒的な質量で迫ってきた、書籍や雑誌の表紙や本文挿画、そして出版広告のために描かれたイラストの数々。それらの作品から、生賴さんが出版文化に果たされてきた功績の大きさをひしひしと感じることができ、感無量でした。

ひときわ異彩を放っていたのが、日中戦争やベトナム戦争などの報道写真をモティーフにしたオリジナル作品4点でした。
(以下の写真もチラシから撮りました)


生賴さんならではの異世界を背景にして描かれているのは、折り重なるように倒れている多くの人々の亡骸や、骸骨と化した兵士たち、墜落したヘリコプターの残骸といった、現実に起こった戦争や紛争の報道写真をもとにした無残な光景。
それらの作品からは、生まれ育った兵庫県明石市と、疎開先であった鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)で二度の空襲に遭ったという生賴さんの、戦争への強い怒りがじんじん伝わってきて、しばしその場を離れることができませんでした。
戦後70年を迎える今年ですが、各地で戦争やきな臭い動きはいまだ絶えることがありません。そんな中で、これら4作品が多くの人に鑑賞されることを願うばかりであります。

最後の展示スペースは、かつて徳間書店から刊行されていたSF雑誌『SFアドベンチャー』の表紙を飾ってきた、91人の美姫(びき)たちのイラストでありました。
(この展示スペースのみ撮影OKでした)


歴史上の、あるいは神話や伝説に登場した女性たちと、SF的なモティーフを組み合わせた作品群には、それぞれの人物に沿った趣向も凝らされていたりして楽しめました(とはいえ不勉強なもんで、まったく知らない人物も少なくなかったのがクヤシイところでしたが・・・)。生賴さんはこれらの美姫たちを描く資料として、女性が身につけるアクセサリーやハイヒール、ドレスなどの実物を多数買い揃えておられたとか(別の展示スペースでは、それらアクセサリーやハイヒールの一部も展示されておりました)。
また、1960年代末に学習研究社から出版された、家庭用医学シリーズのイラスト制作の資料として描かれた細胞組織の図解も展示されていました。それらは海外の医学書を忠実にカラーで描き写したもので、英語と日本語の書き込みもびっしり。
細部まで揺るがせにしない生賴さんの画業は、並外れた探究心に支えられていたということを再認識いたしました。

生賴さんの画業の前半を振り返った、今回の展覧会。やはり大いに圧倒され、堪能いたしました。SF的な世界観や、戦艦などのメカニックを緻密に表現することにとどまらない、生賴さんの幅広く旺盛な仕事を知ることができたことも収穫でした。
展覧会は来月(8月)の30日まで開催されます。今回もまたもう一回、足を運んで再鑑賞したいと思っております。・・・その時には、昨日買えなかった図録も買っておかなければ。
来年12月には、1985年以降の仕事を振り返る第3回目の展覧会が予定されているとか。そちらのほうにも、早々と期待をかけているわたくしであります。