読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『古典酒場 特別編集 熊本 酒援酒場 VOL.1』 熊本の美味しいお酒と酒場を満喫して「酒縁」を「酒援」に

2016-12-04 22:21:51 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂

『古典酒場 特別編集 熊本 酒援酒場 VOL.1』
発行=クラシマ・プロダクツ、発売=三栄書房(サンエイムック)、2016年


2007年に創刊し、古き良き雰囲気を保ち続ける酒場と、美味しい酒と肴、そして酒場に集う人びとが紡ぐ縁を伝えてきたムック『古典酒場』。
酒場ブームを後押しする存在として多くの酒場ファンに愛されながらも、2013年にひとまず休刊となっていた『古典酒場』が、このたび税込定価500円のワンコインで買える特別編という形で帰ってきました。テーマは「熊本の酒と酒場」。4月に起こった熊本地震から立ち上がろうとしている熊本を、呑むことで支援しようではないか、という思いのもとで企画されたものです。
同誌の編集長である倉嶋紀和子さんは、他ならぬ熊本のご出身。今回刊行された特別編『熊本 酒援酒場』は、呑むことを通じて少しでも、故郷である熊本が復興へと向かっていけたら、という倉嶋さんの願いがしっかりと感じられる一冊に仕上がっております。

前半のメインとなる特集は、熊本県内にある9ヶ所の日本酒蔵の探訪特集。球磨焼酎で名高い熊本ですが、実はさまざまな銘酒を生み出している日本酒どころでもあるのです。その上、いずれの蔵元も江戸から昭和初期にかけて創業した歴史あるところばかり。
熊本市内にある蔵元「瑞鷹」は、空襲の時ですら崩れなかったという由緒ある酒蔵が、地震により倒壊寸前となってしまっていました。にもかかわらず、地震から9日後の時点で、今年の仕込みに使う酒米の仕入れ量を決めていたのだとか。
「農家さんたちも、これから作付けが始まりますから、決まっていないと困っちゃいますもんね」というのが、その理由でした。酒米への想いの深さと、それを育む農家さんとの結びつきを大事にするその姿勢、見上げたものだなあと感銘を受けました。

254年もの長い歴史を持つ、阿蘇郡高森町の蔵元「山村酒造」。ここが醸している「れいざん」は、わたしも9月に熊本を訪れたおりに賞味して、そのスッキリとした呑み口に魅了されました。
地震が起こったあと、山村酒造には東北の酒蔵さんたちから、東日本大震災の経験を踏まえての対処法について連絡が入ったほか、九州の酒蔵さんたちからも支援の声が届いたといいます。地震により周囲との交通の要所が遮断される中で、他の地域と繋がっているという実感が心の拠り所だったとか。

熊本を代表する日本酒ブランドである「美少年」。2008年の事故米をめぐる一連の騒動によりイメージダウンを蒙り、蔵主や蔵人も変わった「美少年」が再出発の場所に選んだのが、菊池市にある小学校だった校舎の建物でした。廊下に沿って一直線に並んだ室の配置が、酒造りのラインにもぴったり合うのだとか。なるほど。
かつて世間を騒がせた「美少年」ブランドを敢えて復活させた理由を語った、製造責任者のことばが実に印象的でした。

「海外のお客様たちにも愛されていたブランドです。なのに、一度ダメになったからそれで全部ダメという現在の風潮は違うんじゃないかと思うんです。苦しい努力をしながら再生をしていく。その姿を、かつてのファンの方々に見ていただくことに意味があるんじゃないかと」

その「美少年」も、震災により仕込み用のタンクが全て倒壊するというダメージを受けました。しかし、そのような中で来季に向けての酒造りに意欲を燃やしているという姿勢は、震災をはじめとするさまざまな困難から立ち上がり、復興と再生に向かおうとしている熊本全体の象徴のようにも思えました。

そのほかにも、伝説の刀をモチーフにしたお酒を支持する刀剣や歴史好きの若者たちが震災後も買い支えてくれたという「通潤酒造」や、保管場所を数カ所に分けるなどのリスクヘッジにより「熊本酵母」を守り抜いた「熊本県酒造研究所」、地元の玉名郡和水町を無農薬米の一大テロワールにするという夢を抱く「花の香酒造」、5月の伊勢志摩サミットの夕食会での晩餐酒にも選ばれた熊本最南端の蔵元「亀萬酒造」、昔ながらの手作業にこだわって酒造りに勤しむ「河津酒造」、熊本における純米酒復活の中心的な存在となった「千代の園酒造」が取り上げられております。
震災によって大なり小なり影響を受けながらも、しっかりと美味い酒を醸し、人びとに呑んでもらおうという気概が溢れる、それぞれの蔵元の蔵人さんたちのお言葉一つ一つに、胸の熱くなる思いがいたしました。
特集では、それぞれの蔵元を代表するお酒も紹介されているほか、蔵元オススメの地元酒場の紹介もあったりして、呑み歩きの参考にもありそうです。

呑み歩きといえば、熊本市内の繁華街にある美味しいお酒が呑める酒場や、地元のお酒の魅力を伝える酒屋さんを紹介するページもあります。これもまた、熊本呑み歩きの強〜い味方になってくれそうであります。
さらに、53年にわたって熊本の台所として食を支える、水産と青果の総合卸売市場「田崎市場」の探訪ルポも。ここでも、美味しそうな「市場めし」が食べられるお店が2軒紹介されているというのが、嬉しいですねえ。

後半のメインとなるのが、熊本城と熊本駅のあいだに広がる城下町エリア「古町」のミニ特集です。
昔をしのぶ古く趣きある建物がそこかしこに残る古町。碁盤目状の町のところどころに寺を配した、独特の「一町一寺」の町並みは、震災の少し前に放送されたNHKのテレビ番組『ブラタモリ』でも取り上げられておりました。
そんな古い建物の多くが、震災によりダメージを受けました。わたしも9月に古町を訪れたおりに、それらの傷ついた建物を目にして辛い気持ちになったものでした。それでも、貴重な町並みを残す形での復興を遂げたいという想いから、地元有志による「まち案内」が5月には再開したのだとか。
古町ミニ特集では、ご当地で長きにわたって営業を続けておられる老舗のお店も紹介されています。明治期創業のかつお節店や肥後駒下駄屋、大正初期創業のこんにゃく店、昭和初期創業の八百屋・・・。これらのお店の存在もやはり、町の長い歴史を感じさせてくれます。これもまた、次回の古町散策の参考になりそうですね。

本誌には、酒場詩人の吉田類さんと、ホフディランの小宮山雄飛さんのお二人も寄稿されていて、ともども熊本への想いを語っておられます。
吉田類さんがよくお使いになることばに「酒縁」というのがあります。文字通り、お酒を介した人と人との縁を指すことばであります。
この『熊本 酒援酒場』の中にも、熊本の蔵人さんたちと酒米を育む農家さん、そして呑み手とが紡ぐ「酒縁」を見ることができました。さらには、熊本と他の九州各県、そして東北とで紡がれた「酒縁」をも。
これらの「酒縁」が「酒援」となってさらに広がっていって、熊本の復興と再生を後押しする力になっていくことを、願ってやみません。そしてわたしも微力ながら、その「酒縁」と「酒援」に繋がっていきたいと思っております。

本誌をめぐる「酒縁」と「酒援」の話を、最後にもう二つ。
本誌に使用されている紙は、東日本大震災による大津波で甚大な被害を受けながらも、その半年後に奇跡的といえる復活劇を成し遂げた、宮城県石巻市の日本製紙石巻工場で開発された「b7バルキー」という紙だとか。震災から立ち上がった製紙工場で生まれた白さが映える紙が、復興へ立ち上がろうとする熊本のお酒と酒場を紹介した誌面を引き立てていることもまた、感慨深いものがあります。
(日本製紙石巻工場の復活劇については、佐々涼子さんがお書きになった『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』をぜひご一読を。拙ブログにも紹介記事を書かせていただきました。「【読了本】『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』 苦難を乗り越え、つながったものの重さと大切さ」
そして本誌の刊行には、発行元が出しているもう一つの雑誌『Car Goods Magazine』で関わりのあるカー用品の企業も、支援という形で関わっているといいます。本来なら相性が悪い、クルマと酒の間にある垣根を超えた企業による支援もまた、素敵な「酒援」の形ではないかと、大いに拍手したい思いがいたします。

今回刊行された『熊本 酒援酒場』は「VOL.1」とのことなので、VOL.2以降の刊行も大いに楽しみであります。

【閑古堂アーカイブス・わたしの座右の一冊】『焚き火大全』 焚き火をすることは真の文明人の証明なのだ!

2016-12-04 08:30:26 | 本のお噂

『焚き火大全』
吉長成恭・関根秀樹・中川重年編、創森社、2003年


夜が長くなり、だんだんと風の冷たい時期になってきた昨今、いよいよ焚き火シーズンがやってまいりましたねえ。そんなシーズンなんぞ誰が決めた!とマナコ吊り上げながら言われてしまうと、どうもスイマセンとアタマ掻きつつ退場するしかないのですが、とにかくそういう季節なのです。
とはいえ、昨今はなかなか、焚き火をやったりするような機会にはお目にかかりませんですねえ。河原やキャンプ場であっても好き勝手に焚き火をやるというわけにはまいりませんし、自宅の庭であっても不用意に焚き火でもやろうもんなら、隣近所から眉をひそめられて苦情言われたりもしたりして。まあ、焚き火好きにはいささかやりにくい、寒風吹きすさぶ世の中ではありますなあ。
ですが、ささやかではあってもキャンプのときに焚き火をやるというのは実にいいものです。焚き火で作った料理で一杯飲むというのはこの上ないヨロコビをもたらしてくれますし、燃える火を静かに眺めていろいろ物思いにふけるというのも、また実に豊かな時間の過ごし方ではないかと思うのです。

で、焚き火というのも、ただただ火をつけて燃やすだけのことのように見えても、これはこれでなかなかどうしてずいぶんと奥が深いもので、世の焚き火好きが百人いれば、百人がそれぞれ、こだわりというか単なる好き勝手というか、まあそのようなコトを焚き火が消えやしないかと心配になるくらいに、口からツバなんぞ飛ばしながら語るというかガナるというかアジるわけなのです。やれ焚き付けにはカメヤマのローソクが一番だの、焚き火を燃やす者は火から一瞬たりとも目を離してはならぬ、さもなくば人にはあらず、とか。

とまあ、それぞれの焚き火好きがこだわりというか得手勝手を発揮する一方で、焚き火に慣れていないシロウトの人たちが、その基本から応用までをマスターするための懇切丁寧なノウハウや方法論が、あまりキチンと確立されているとは言い難かった、というシビアな現実がありました。嗚呼このままではますます、人は焚き火から遠ざかってしまう、明るく健全な焚き火の未来に向けての展望希望が見えない!という中で、今から13年前に現れた救世主ともいえる一冊が、この『焚き火大全』という本でした。現在も堂々販売継続中であります。
人類が火を使い始めた歴史から説き起こされる本書には、焚き火に関するありとあらゆる知識と知恵が盛り込まれており、「大全」の名に恥じないボリューム(A5版ハードカバーで350ページ)と内容の濃さがあります。ついでにいえば、8パーセント税込み定価3024円というのもまた「大全」の名に恥じないパワフルなものがございますが、大枚はたいて座右に置く価値は大いにあります。わたしもときおり書棚から取り出しては、興味のある項目を拾ってニヤニヤしつつ読みふけったりしておるのですよ。

焚き木の組み方や火の起こし方が詳しく書かれているのはもちろんなのですが、薪割の手順や主な樹木ごとの燃焼特性なんてのもけっこう細かく書かれていたりしていて、まことに興味深く実用性にも富んでいるんですねえ。針葉樹は薪割りが楽で着火性はよいが火持ちは悪い、広葉樹は堅くて割りにくいが火持ちはよい、だとか。なにも考えずにやみくもに木切れをポンポン放り込むだけであったワタクシなどは、なにかこう、文明開化的なオドロキを感じたものです。
マッチやライターがないときに火を起こすための、古代式「キリモミ式発火法」の図版入り手順や、雪の上や雨の中での焚き火の方法についても解説されているので、もしものときにも役に立ってくれそうですね。乾いた雪の上ならそのまま焚いてもちゃんと燃えてくれるんだとか。

そしてもちろん、焚き火における最大最高絶対王者的な楽しみである、焚き火料理についてもしっかり書かれております。かまどの作り方や、ダッチ・オーブンなどの道具の紹介、焚き火を用いたバウムクーヘンやピザの作り方なんてのも。
焚き火で料理をすることについては、こんな嬉しくなるような一文が出ております。

「野外で、しかも焚き火で料理をするなどということは、今やほとんどレジャーでしかない。しかし、焚き火で料理することのほうが、人類の歴史のなかでは、圧倒的に長い歴史を持っている。野外で焚き火料理をすることに『野生に返る』といった趣を感じる人は多いだろうが、むしろ『自然の中で人間性を再確認する』ことではないだろうか。自然の中で、太古の祖先を想いながら火を囲み、料理をし、食べる。これを焚き火料理の醍醐味、ロマンと言わずして、なんと言おう」

いやあ、ほんと、いいコトおっしゃってくれますねえ。そう、焚き火で料理を作り、焚き火を前にして食べて飲むということは、人間性回復のためにも大切なロマン溢れる営為、なのであります。ゆめゆめ、焚き火囲んで飲み食いしているヒトたちを指さして「もの好きなヒトたちだねえ」などと白眼視することがあってはなりませぬぞ。

焚き火に関する文芸作品を紹介するニクい趣向も盛り込まれております。紹介されているのは、国木田独歩や志賀直哉、池波正太郎、村上春樹、H・D・ソロー、そして焚き火といえば外すわけにはいかない椎名誠といった面々の作品であります。
そこでは、わが宮崎県出身の歌人、若山牧水の随筆『森の小径』の一節も引用されているのですが、その詳細な炎の描写が泣かせます。焚き火フェチだったんですねえ牧水さんは。

「日中の、ことによく照り澄んだ日光のもとで、始め黒い様な煙がもくもくとたち、やがてそのなかから、ちろり、ちろりと淡紅または深紅の焔があるがごとく無きがごとくに動いて来始めた時はまことに愉快である。(中略)単に赤いといふでなく、よく燃え入って来ると紫にも見え、時にはうすい青みを帯びて見ゆることがある。捉へどころのない、自由自在のあの形も微妙である」

あと、焚き火を詠みこんだ俳句も200句集められていて、よくぞこんなに集めたものだなあとアタマが下がります。選者は、東京下町についての著作などで知られるライター・編集者の坂崎重盛さん。うーんさすがだのう。その中から、ワタクシのお気に入りを三句。

神だのみせぬ浮浪者の大焚火 山下幸子

今朝も亦(また)焚火に耶蘇(やそ)の話かな 高浜虚子

夜明け待つ心相寄る野の焚火 七菜子


この本が素晴らしいのは、遊びや楽しみとしての焚き火を勧めるにとどまらず、焚き火を積極的に現代生活に取り入れることや、環境教育の一環として、さらには災害などの緊急時に焚き火を活かすことを提案していることです。それが、本書に焚き火マニア本を超えた価値を与えています。
焚き火をすると二酸化炭素が発生したり山火事の危険もあって環境には良くない、といった訳知りな俗説がまだまだはびこっているようですが、そもそも間伐もせずに放置され荒れた山林からは、折れたり枯れたりした木が分解するときに二酸化炭素がかなり発生しているんだとか。
されば、間伐材を利用することで荒れた山林の手入れにつながるだけでなく、薪ストーブとして応用すれば石油ファンヒーターの3〜5倍もの熱量を得ることができるという焚き火をやったほうが、化石燃料をムダ遣いするよりもはるかに環境にはプラスになるように思います。
そして、焚き火は自然災害で被災した人びとの心身を支える存在にもなるということを踏まえ、日常から火の取り扱いを経験し、使い慣れるためのプログラムを立てておくことの重要性も、本書は気づかせてくれます。地震や火山の噴火、豪雨といった自然災害の猛威が頻発するようになった昨今、このことはより一層、切実感をもって響いてまいります。

正しく火を使いこなすことこそ、真の文明人としての大事な知恵なのだ!ということを、本書は感じさせてくれます。そんなわけで、本書をぜひ一家に一冊常備していただくよう、焚き火を消さない程度にツバ飛ばしつつオススメ申し上げます。