『俗語発掘記 消えたことば辞典』
米川明彦著、講談社(講談社選書メチエ)、2016年
ことば、というのは生きものなんだなあ、ということをあらためて感じます。時代の流れとともにさまざまなことばが生まれ、消えていくとともに、ずーっと変わらないように見えながらも形を変化させたり、別の用法や意味合いを与えられたりすることばがあったりもいたします。
時代の流れをもっともよく体現していることばの代表といえるのが「俗語」です。きちんとした場所ではあまり使われない、文字通り「俗っぽいことば」であるからこそ、そのときどきの時代の価値観を強く反映させた、面白いことばが次々と生み出されては消えていきました。
明治から平成の世にかけて生み出され、一世を風靡しながらも、時代の流れとともに賞味期限が切れてすたれ、忘れ去られた(もしくは忘れ去られようとしている)ことばを五十音順に取り上げ、辞典風に綴ったのが、この『俗語発掘記 消えたことば辞典』です。
著者の米川明彦さんは、6300もの俗語を収録・解説した『日本俗語大辞典』や、さまざまな業界で独自に使われていることばを集めた『集団語辞典』(ともに東京堂出版)などなど、俗語に関する書物を数多く上梓しておられる、まさに俗語研究のスペシャリストです。本書は、それぞれの俗語がどのような背景で生まれ、世に広まり、そして消えていったのかを、豊富な文献から引いた用例とともに解説していきます。
「モダンガール」「アベック」「よろめき」といった古いものから、「アッシー君」「三高」「チョベリバ」といった割と新しいところまで。さまざまな「死語」が取り上げられている中で「あれ?」と思ったのが「ちゃりんこ」。今でも自転車を指すことばとしてよく使ってるけどなあ、と思いつつ読んでみると、ここでの「ちゃりんこ」は子供のスリを意味する犯罪者隠語で、転じて浮浪児や不良少年を指していたのだとか。ナルホド、それは初めて知りました。ちなみに、自転車の意味として使われるようになったのは1970年代の半ばからだそうです。
同じように、元の意味とはまったく違う意味で使われるようになったことばが「MMK」。かつては「もててもてて困る」の頭文字をとって生まれた、戦前の海軍士官の隠語だったのが、90年代になって女子高生の間で「まじムカツク切れる」や「まじムカツク殺す」といった意味で使われたそうな。同じことばなのになんという意味の違い・・・。
1979年、江川卓氏が「空白の一日」経て阪神から巨人へ移籍した事件から生まれた、だだをこねたりゴリ押ししたりすることを意味する「江川る」を紹介した項目では、このテの「人名+る」による造語法が戦前からあったことが語られます。古いところでは、1911年に日本で公開されてヒットしたフランスの怪盗映画の主人公・ジゴマの名をとって生まれた「ジゴマる」(悪いいたずらをするという意味)があるほか、イプセンの『人形の家』の主人公ノラから生まれた「ノラる」(妻が夫を脅すために家出をすること)なんてのも。
このように別のことばに「る」をつけて動詞化する「ることば」には、けっこう古い歴史と豊富な語があるそうで、「退治する」を縮めた「退治る」や、日本酒の「剣菱」を飲むことを指した「けんびる」などは、江戸時代の洒落本や滑稽本に登場することばだといいます。江戸時代は出版文化が盛んであったことに加え、職業が分化してそれぞれの集団社会特有の言い方がなされるようになったことで、明治以前では一番多く俗語が生まれた時代であった、とか。
明治以降、さまざまな外来語が入ってくると、「テニる」(テニスをする)や「デパる」(デパートに行く)といった「外来語+る」ことばが、昭和初期のモダニズムの時代を中心にして大量に生まれています。中等・高等教育の普及・拡大に加え、近代化を背景に「娯楽の手段」として生み出されたという「ることば」。そのほとんどはすでに忘れ去られ「死語」と化しております。今でも使われ、辞書にも掲載されているのは、大正時代に生まれた「サボる」をはじめ10語程度。
「ることば」という造語法から生み出されたことばからも、時代の移り変わりが見えてくるということが、本書を読むとよくわかります。
時代の移り変わりを如実に感じる俗語といえるのが、男と女をめぐることばの数々でしょう。
人間の要素が三分、化け物の要素が七分という意味を込めた、醜い顔の女性を嘲った表現である「人三化七」(にんさんばけしち)なる明治時代生まれのことばの次に紹介されているのが、定年退職後に妻に頼り切って離れないダメ夫を揶揄した「ぬれ落ち葉」。
男性があからさまに女性を卑罵した表現と、家のことを妻に任せっきりにしながら威張り、いい気になっている夫に「ノー」を突きつけたことばとの対比は、男と女をめぐるそれぞれの時代のありようと移り変わりを強く感じます。
本書から見えてくるのは、時代の移り変わりだけではありません。俗語によって発揮された、それぞれの時代の日本人による巧みな洒落っ気、ユーモア精神にも感心させられたりいたします。
饅頭を外国語のごとく言い表した「オストアンデル」の項目。ここには昭和初期に多く造られたという、実に多くの「外国語もどき」が紹介されているのですが、どれも遊びごころが溢れていてまことに楽しいのです。とりわけ「アリヨール」(=砂糖)や「シリニシーク」(=かかあ天下)、「デルトマーケル」(=弱い力士)などにはけっこう笑いました。
1970年代の終わり頃に流行した、話の中身がないことを表した「話がピーマン」の項目で紹介されている、数々の「話が〜」表現にも傑作が多くあります。「話がセロリ」は話の筋が通っていて、「話がキャベツ」は話が込み入っている、「話がメニコン」は話がよく分かる、「話がショットガン」は話があっちこっちに飛ぶ、「話が水戸黄門」は話が変わりばえしない、そしてアニメ『宇宙戦艦ヤマト』からきた「話がヤマト」は話が長い・・・。
平成生まれのことばにも傑作が。歌手の安室奈美恵さんのようなファッションを真似た「アムラー」をもじって、アムラーにまったくなりきれていない女子をからかって表した「アララー」や、キムタクこと木村拓哉さんを真似ながらもまったく似ていない男子を表した「キムタコ」も、なかなか上手い言い回しです。たった一文字変えただけで、正反対のズッコケ感たっぷりな意味合いにしているのですから。
本書で紹介されていることばの中で、個人的にニンマリしてしまったのが、骨と皮ばかりにやせた人をからかって言った「骨皮筋右衛門」(ほねかわすじえもん)。子どもの頃はガリガリにやせていたわたしも、親戚などからよくこう言われていたものです(本書の著者、米川先生も小学生の頃そう呼ばれていたそうな)。それから幾星霜、体型も若干変わってしまい、誰からもそんなことを言われなくなって久しいのですが・・・。
「骨皮筋右衛門」ということばで時代の移り変わりのみならず、図らずもオノレ自身の移り変わりにも思いを馳せた次第でありました。
巻末の「解説」では、俗語の定義や特徴をはじめ、俗語がどのような経緯で発生して広まり、消滅していくのかを言語学的な観点から類型化し、考察しております。
ここでは、インターネットや携帯電話、スマートフォンなどの普及により生まれて、広まっている現在の若者語の数々も取り上げられております。(笑)を意味する「Wまたはw」、グダグダを意味する「gdgd」といった頭文字表現。TwitterやLINEなどのSNSから生まれた「リプ」「ファボ」「飯テロ」「バカッター」「既読スルー」「リア充」といった独特の言語表現・・・。これらのネットやSNS独特のことばもまた、現代という時代を映し出す鏡のようなもの、なのでしょう。
改まった場ではおおっぴらには使うことのできない、一段低いものに見られがちな俗語の数々。しかしそこからは、大文字の歴史文献からは知ることのできないその時代その時代の素顔と、ことばを通して発揮される巧みなユーモア精神や洒落っ気が生き生きと伝わってまいります。
近現代の世相風俗がことばから見えてくる、楽しくて興味をそそる一冊であります。
【関連オススメ本】
『【難解】死語辞典』
別冊宝島編集部編、宝島社(宝島SUGOI文庫)、2014年
(親本は2013年に宝島社より刊行)
こちらは昭和戦後から平成にかけての、新しめの「死語」たちを網羅した(なので、けっこう懐かしいことばも多く載っている)一冊です。60代から30代の年代ごとによく使われる「死語」を、類似語や派生語も合わせて簡潔に紹介。それらのことばが使われたときのベストな対処法や、会話式の用例解説、最新語による言い換え例などもあり、オジサンたちとのコミュニケーションにも役に立つ、かもです。
『辞書には載らなかった 不採用語辞典』
飯間浩明著、PHP研究所、2014年
辞書への収録を前提に収集されながらも、最終的には収録を見送られた「不採用語」の数々を、『三省堂国語辞典』の編纂者が軽妙な語り口で解説した一冊です。辞書への収録が見送られたことばからも(不採用となった理由も含めて)時代のありようが見えてきます。拙ブログに綴ったレビューはこちらです。現在は残念なことに版元品切れのようですが・・・。