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宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

第23回宮崎映画祭観覧記 ④(最終回)黒沢清監督の、怖ろしくてせつないロマンティック・ホラーの秀作『ダゲレオタイプの女』

2017-10-02 00:00:08 | 映画のお噂
16日から9日間にわたって開催された第23回宮崎映画祭も9月24日、ついに最終日を迎えました。
最終日は、カンヌ国際映画祭などを通して海外での知名度も高い、現代日本を代表する映画作家にして、これまでの宮崎映画祭でもたびたび、ゲストとして来てくださっている黒沢清監督を迎えての特別プログラムでした。上映されたのは、黒沢監督もインタビュー出演しているドキュメンタリー『ヒッチコック/トリュフォー』と、黒沢監督がフランスで撮り上げた『ダゲレオタイプの女』の2作品です。

『ヒッチコック/トリュフォー』(2015年 アメリカ・フランス)
監督=ケント・ジョーンズ
インタビュー出演=マーティン・スコセッシ、デヴィッド・フィンチャー、ピーター・ボグダノヴィッチ、ウェス・アンダーソン、黒沢清ほか(ドキュメンタリー)

サスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコックの映画技法や映像哲学に、ヌーヴェルヴァーグの新鋭であったフランソワ・トリュフォーがインタビューで迫った書物『ヒッチコック/トリュフォー』。日本でも『定本 映画術』のタイトルで晶文社から刊行されている、この書物のもととなったインタビューの音源と、ヒッチコックから影響を受けた映画人たちのインタビューから、ヒッチコック映画のテクニックと魅力を紐解いていくドキュメンタリー作品です。もちろん、デビュー作となった『快楽の園』(1925年)から、遺作となった『ファミリー・プロット』(1976年)に至る、ヒッチコック作品の映像フッテージもふんだんに盛り込まれておりました。
サイレント映画としても観ることができる、というヒッチコックの映画。出来事を俯瞰からの映像で見つめる、いわゆる「神の視点」によるカットをはじめとして、緻密な計算による力のある映像によって作り上げられているということがよくわかり、あらためてヒッチコックの作品を観直したくなってきました。
インタビュー出演している映画監督は、『タクシー・ドライバー』(1976年)のマーティン・スコセッシや、『セブン』(1995年)のデヴィッド・フィンチャー、『ペーパー・ムーン』(1973年)のピーター・ボグダノヴィッチなどといった錚々たるメンツ。ヒッチコックと彼の『映画術』が、いかに多くの映画人に長きにわたり強い影響を及ぼしているのかが窺えて、その存在の大きさを思いました。
そして、日本の映画人として唯一登場しているのが、黒沢清監督。黒沢監督は「ヒッチコックは映画の極北だった人であり、その作品は誰も真似のできないものだと思う」といった趣旨のことを語っておられました。

『ヒッチコック/トリュフォー』の上映が終わり、休憩のために外に出ると、ロビーには宮崎空港から駆けつけてこられたばかりだったという黒沢監督の姿が。一瞬目が合って会釈してくださった黒沢監督に、わたしは深々とお辞儀してお手洗いへと向かったのでありました。あ〜、ドギマギしたわ〜。
休憩を挟んでの『ダゲレオタイプの女』の上映前に、黒沢監督の挨拶がありました。フランスで撮った作品だったためか、本作を取り上げてくれたのは東京国際映画祭とこの宮崎映画祭だけだとか。「普通の娯楽映画なので、どうか楽しんでいただけたら」という黒沢監督のお言葉のあと、上映が始まりました。

『ダゲレオタイプの女』(2016年 フランス・ベルギー・日本)
監督・脚本=黒沢清 撮影=アレクシ・カヴィルシーヌ 音楽=グレゴワール・エッツェル
出演=タハール・ラヒム、コンスタンス・ルソー、オリヴィエ・グルメ

パリの郊外にある古い屋敷に住む写真家、ステファンの助手として働くことになった青年ジャン。ステファンは、銀盤に直接画像を焼き付ける170年前の撮影技法「ダゲレオタイプ」を再現して写真を撮ることに執心していた。ステファンは娘のマリーを被写体にしてダゲレオタイプでの撮影を続けるが、それは特殊な器具により被写体を長時間にわたって拘束しながら行われる過酷なものだった。父のためにそれを受け入れつつも、いつかは自分の人生を生きることを望むマリーに、ジャンはだんだんと惹きつけられていくのだが、父娘の背後には秘められている事実が・・・。
黒沢監督がパリを舞台に、フランス人のキャストとスタッフで固めて撮りあげた、ホラー映画にしてラブストーリーでもある本作。実際に観てみると、想像以上に正統派の「怪談映画」といった仕上がりで、結構楽しめました。コケおどしのような場面を一切出さず、ひたひたと迫ってくるような緊張感と怖さを醸し出していたのはさすがでした。パリに実際に立っていたという古い屋敷も、作品の雰囲気によく合っておりました。
そしてラブストーリーとしても、「ああ・・・やっぱりこうなるしかなかったんだろうなあ・・・」という気持ちがじんじんと胸を打つ、美しくも切ない展開に魅了されるものがありました。

上映後には再び、黒沢監督を迎えてのトークショーが行われ、映画製作の舞台裏などが語られました。フランス人キャストとスタッフとの協働については、先方との言葉の壁はもちろんあったものの、「監督の望むことを実現させるのが役目であり誇りでもある」という意識が浸透していることもあって、むしろ日本よりやりやすいところがあった、とか。
また、特にそう指示したわけではなかったのに、出来上がってきた劇中音楽が思いのほかヒッチコック映画調になっていたので驚いた・・・と、はからずも表に出てしまったヒッチコック映画の影響について、苦笑いしつつ語る一幕も。ここでもまた、ヒッチコックが与え続けている影響の大きさを感じました。
トークショーの最後に、宮崎映画祭が今年度から創設した「金のはにわ賞」の監督賞が黒沢監督に授与されました。宮崎県産の杉材を使った台座の上に、馬を象ったはにわ像が乗っかったトロフィーを、黒沢監督は少々照れ臭そうにお受け取りになったのでありました。
トークショー終了後、黒沢監督は宮崎市内の別の映画館で始まった、最新作『散歩する侵略者』の舞台挨拶に向かわれたとか。わたしの好きなジャンルであるSF映画ということで、そちらのほうも観てみたいところであります。

こうして、9日間にわたって開催された第23回宮崎映画祭は幕を閉じました。
今年はしょっぱなから台風の接近に振り回されたりして、運営にあたった皆さまもいろいろご苦労があったのではとお察しいたします。ですがプログラム自体は、バラエティ豊かなラインナップでとても充実したものとなったように思います。運営にあたったスタッフの皆さま、本当にお疲れ様でした。
わたしが今回の期間中に観た映画は、全14作品中9本。ここはあと1本観てフタ桁台に乗せておけば良かったかなあ、と思わなくもないのですが、それでも大いに満足しております。
ここしばらく、じっくり映画を観ることから離れていたわたしでしたが、今回の映画祭でまた、映画の楽しさを再認識できたように思います。書物を読むことで得られる楽しさと喜びは何ものにも替え難いのですが、映画を観ることで味わえる楽しさと喜びもまた、人生を豊かで充実したものにしてくれるということを、あらためて感じることができました。
これからちょこちょこ時間をつくって、いろいろな映画を楽しんでいこうと思っております。お楽しみはこれからだ、といったところでしょうか。

来年の宮崎映画祭も、大いに楽しみにしております!