『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』
青山通著、新潮社(新潮文庫)、2020年
(親本は2013年にアルテスパブリッシングより刊行)
1966年に放送された第1作『ウルトラQ』以降、現在に至るまで新作が作られ続け、世代を超えた支持を得ている特撮テレビ番組の雄、ウルトラシリーズ。その中でもとりわけ高い人気を誇るのが、シリーズ第3作目の『ウルトラセブン』(1967〜68年、全49話)です。
ウルトラ警備隊隊員、モロボシ・ダンの名を借りて、地球を狙うさまざまな侵略宇宙人や、彼らが差し向ける怪獣と戦うウルトラセブンの活躍を描きつつ、「異なる種族同士の共生は、はたして可能なのか」というテーマを追求し続けた『ウルトラセブン』。高度なSF性と骨太なメッセージが盛り込まれた、名エピソード続出の同作を締めくくる最終話「史上最大の侵略 後編」は、今も伝説として語られています。
たび重なる侵略者との戦いで満身創痍となり、命の危機にさらされていたウルトラセブン=モロボシ・ダン。最後の戦いを前に、ダンはウルトラ警備隊の同僚で、恋人でもあったアンヌ隊員に自らの正体を明かします。その瞬間、オーケストラとピアノからなる劇的なクラシック音楽が鳴りひびき、二人の姿がシルエットとなります。そして、すがるアンヌを振り切ってダンはセブンに変身し、最後の戦いへと向かいます。苦戦したものの、辛くも勝利することができたセブンは、夜明けの空の彼方にある故郷、M78星雲へと帰っていくのです・・・。
7歳のときにこの最終話を観て衝撃を受けた、音楽関係の著述家・編集者の青山通さんは、クライマックスの場面で鳴りひびいた音楽の正体を突き止めようとします。本書はその過程を振り返りつつ、音楽の側面から『ウルトラセブン』を捉え直すという一冊です。
最終話のクライマックスに流れた、感動的な音楽の正体を突き止めようとした青山さんですが、本放送当時の1968年には現在のようにインターネットもなければ、作品を収録したビデオソフトや、作品を詳細に分析した出版物も存在しませんでした。青山さんは、買ってもらったカセットテープレコーダーで『セブン』の再放送を録音。最終話を繰り返し聴くことで「あの音楽」を深くインプットしていきます。
やがて、ふとしたことがきっかけとなり、「あの音楽」がシューマン作曲のピアノ協奏曲・第1楽章であることを知ります。レコード店でそのLPレコードを親に買ってもらい、期待に胸をふくらませながら聴いてみると、それは同じ曲でありながら、まるで似ても似つかない演奏でした。嵐のような勢いのあった『セブン』最終話のバージョンに比べて、このLP盤は「なんだか枯山水を見ているような」ゆったりとしたバージョンだったのです。
失望した青山さんは、『セブン』最終話で流れたピアノ協奏曲と同じバージョンを探し求めていきます。そしてついに、それがディヌ・リパッティのピアノと、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮による1948年録音のバージョンであることを突き止めるのです・・・。
手がかりを少しずつ手繰り寄せながら、探し求めていた演奏にたどり着くまでの、7年にわたる過程を綴っていく本書の前半は、ある種のミステリのような面白さがあって一気に読ませてくれます。
探し求めていた演奏にたどり着く過程自体も面白いのですが、その過程でクラシック音楽の本質と、その鑑賞に必要な考え方を徐々に理解していくあたりも、まことに興味深いものがありました。
最初に買ったLP盤の演奏に失望した青山さんでしたが、その体験から「クラシック音楽は、同じ曲でも演奏によってまったく違う表情となる」ということを知ります。さらに、たとえ演奏者や指揮者が同じであったとしても「同じ演奏は二度とない」ということにも気づいていきます。本書では、全部で28枚あるピアノ協奏曲のバージョンが聴き比べられていて、それぞれに異なった特徴があるということが述べられています。
さまざまなタイプの演奏を聴き比べていく中で、はじめは「本物」と「別物」(『セブン』最終話で流れたバージョンと、それ以外のバージョン)という観点しかなかった音楽に対する評価の軸が、「テンポが速い×テンポが遅い」「テンポが厳格×テンポが自由」「巨匠的×若々しい」などといった、さまざまな「相対」の軸へと変化していきます。
青山さんはその経験から、ある曲を最初に聴くときには「可能であれば違うタイプ、それも相対軸にあるような演奏を2種類同時にインプットしたほうがいい」「そうすることで、その後の演奏に対するキャパシティが拡がり、多様なタイプをスムーズに受容できるようになる」とアドバイスします。また、「最初にあまりにも演奏家の個性が強い、独自の世界を展開している演奏を気に入ってしまう」ことには注意が必要、とも。これはとても有益なアドバイスだな、と思いました。
思えば、これは音楽はもちろんのこと、さまざまなジャンルの芸術、文化に触れるにあたっても有益な考え方ではないでしょうか。あまりにも特定の個性を持った作風に入れあげてしまうことで、それ以外の作風を持つ作品に対する評価が歪んでしまうことは、往々にして起こり得ることですから。
本書は、『セブン』最終話に流れたピアノ協奏曲の演奏にある背景にも触れています。
ピアニストであるディヌ・リパッティは、素晴らしい音楽の才能に恵まれながらも、悪性リンパ腫によって33歳という若さで夭折した人物。『セブン』最終話に使われたバージョンは死の2年前、すでに体調が悪化している中で演奏されたものだったとか。青山さんはそこに、命の危険を顧みずに最後の戦いに臨んだウルトラセブンの姿を重ね合わせます。
また、指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤンは、第二次世界大戦中のナチスへの関与を問われて受けた指揮活動の禁止が終わった直後で、捲土重来、起死回生への情熱をたぎらせていた時期だったといいます。そんなカラヤンとリパッティの演奏が相乗効果を生み、みずみずしい音の奔流を生んだのではないか、と青山さんは分析します。
音楽は、それが生み出された背景を知ることで、より味わい深く楽しむことができるのだ・・・ということを教えられました。
『ウルトラセブン』の音楽を手がけ、劇中に使った音楽の選曲も一手に担った作曲家は、冬木透さん。『セブン』以降のウルトラシリーズや、『ミラーマン』などの円谷プロ作品でも活躍された、昭和特撮世代には雲の上のような方です。「ワンダバダ、ワンダバダ・・・」の男声コーラスが印象的な、通称「ワンダバソング」も、冬木さんの手になるものです。
本書には、その冬木さんへのインタビューも盛りこまれています。それによれば、小学校に上がる前から耳にしていたクラシック音楽は「自分にとって内面的に親しみのあるものだった」といい、『セブン』の音楽を作るにあたっても、「マーラーもベートーヴェンもワーグナーも、実際に意識しました」と語っています。その発言を受けて、古典派から現代音楽にいたる幅広い作曲家を思わせる音がちりばめられていた『セブン』を1年間見たことで「クラシック音楽の200年分の音をインプットしていただいていたわけなのだ」と、青山さんは納得します。また、数あるクラシック音楽の中から、なぜシューマンのピアノ協奏曲、それもカラヤン/リパッティ盤を選んだのか、その理由についても語られています。
『ウルトラセブン』は特撮作品としてはもちろん、クラシック音楽の手引きとしても、秀逸で偉大な作品だったんだなあ・・・ということを、本書を読むことで認識することができました。
本書の後半では、音楽から見た『セブン』のオススメ作品が8話分、ピックアップされています。ウルトラシリーズでも人気のあるキャラクターの一体であるメトロン星人が登場する第8話「狙われた街」や、地球の先住民族〝ノンマルト〟を通して、異なる種族との共存を問うた第42話「ノンマルトの使者」も、音楽的な見どころのある回のようです。
『ウルトラセブン』をあらためて観直したくなるとともに、クラシック音楽への興味を喚起させてくれる、ユニークで面白い一冊でありました。