読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

倉敷・2年半ぶりの浪漫紀行(その1) 久しぶりの美観地区は、圧倒的な人の波だった

2022-05-09 20:21:00 | 旅のお噂
3年ぶりに、全国各地が大いに賑わったゴールデンウィーク。皆さまはどうお過ごしでしたでしょうか。
わたしは先週の3日から5日にかけて、岡山県の倉敷市に出かけてまいりました。訪ねるのは2年半ぶり3回目。大好きな街での楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいましたが、久しぶりの倉敷はまた、楽しくて大切な思い出をたくさん与えてくれました。
2年半ぶりの倉敷での旅のお噂、これから何回かに分けてお伝えすることといたします。どうかお付き合いのほどを。

最初に倉敷を訪れたのは、いまから4年前の2018年秋でした。
その年の7月はじめに起こった西日本豪雨で、倉敷の北西に位置する真備町は大きな被害を受け、51人もの尊い命が失われました。そのことにも心が痛みましたが、直接的な被害がほとんどなかった美観地区までが、観光客の大幅な減少に直面しているという話が、さらにわたしの気持ちを揺さぶりました。
大変な状況にある倉敷へ、この機会に応援の意味を込めて訪ねてみよう・・・そう考えたわたしは、その年の11月上旬の連休を使って、初めて倉敷の美観地区を訪れました。その頃には災害直後の混乱もすでに落ち着き、美観地区は多くの観光客で賑わっておりましたが、初めて目にする風情あふれる街並みと、接してくださった地元の方々の温かさで、たちまちこの街に魅了されてしまいました。
一度きりの訪問で終わるのは寂しいということで、さっそく翌年の2019年晩秋に2回目の訪問。これでさらに倉敷の魅力の虜になったわたしは、さらに翌年の2020年にも出かけるつもりでした。それを阻んだのが、「コロナ禍」ならぬコロナ騒ぎ禍でした。
「コロナ対策」という錦の御旗のもと、飲食やレジャーなどなど、あらゆる人間的な楽しみが奪われたコロナ騒ぎ禍ですが、なかでも県をまたいでの旅行は「感染拡大の元凶だ」といわんばかりに白眼視されるありさま。その上、繰り返される「緊急事態宣言」だの「まん延防止等重点措置」によって、ここ2年は旅行すること自体が難しくなることとなりました。旅が好きな人間にとっては「最悪」としか言いようのない2年間が、ただただ虚しく過ぎていきました。

そして2022年の春。社会の趨勢はようやく、「感染対策はしつつも社会をキチンと回していこう」という流れとなってきました。こんどのゴールデンウィークには旅行ができそうだということで、久しぶりとなる倉敷への訪問を5月の3日から5日までの、2泊3日の日程で計画いたしました。
計画はしたものの、本当に実現できるのかどうか、直前まで気を揉んでおりました。が、仕事を3連休の前後で片づけられるという私的要因と、政府が「今年のGWは行動制限をかけない」という姿勢を鮮明にしたという公的要因とで、めでたく予定どおり旅行を楽しめる運びとなりました。
そもそもわたし自身、すでに3回目のワクチン接種を済ませながらも、これといった副反応もなかった(3回目のあと、ちょっとだけ倦怠感を覚えた程度)身であります。今さら何を恐れる必要がありましょうか(笑)。まあ、そんなこんなで堂々と、大手を振って倉敷へと出かける環境が整ったのであります。

そして迎えた出発当日、5月3日の朝。午前5時半というかなり早い出発でしたが、寝過ごすこともなく、無事に宮崎駅を出発する博多行きの高速バス「スーパーフェニックス号」に乗車することができました(もっとも、前の晩は案の定ソワソワしてなかなか寝つけず、いささか寝不足気味ではございましたが・・・)。まずは高速バスで博多駅へ行き、そこから新幹線と在来線を乗り継いで倉敷に入るというわけなのです。
日が昇って外が明るくなっていく中、2台編成の「スーパーフェニックス号」はスルスルと、博多へ向けて動き出しました。宮崎の市街地を離れ、高速道に移ったところで出発を祝し、コンビニで朝食として買ったシューマイとサンドイッチをお供に、缶ビールをプチンと開けて飲みはじめました。・・・ハイ、旅に出るときには欠かせない〝儀式〟でございます(笑)。

宮崎を出発して4時間半とちょっと、予定より少しだけ遅れましたが博多バスステーションに到着。隣接する博多駅を11時少し前に発車する新幹線「のぞみ」にも、余裕をもって乗りこむことができました。思えば新幹線に乗るのもまた、2年半ぶりのことであります。

「のぞみ」が博多を出発したところで、昼食にと駅で買ってきた「やまや特駅弁」を開いて食べはじめました。
博多名物「やまや」の辛子明太子や明太からあげ、福岡のブランド鶏という「華美鶏」のチキンカツに鶏皮ぎょうざ、さらに「がめ煮」や「鶏めし」に「くらげと野菜の酢の物」(←コレがなかなかの旨さ!)などの博多の味がいろいろ詰まっていて、缶入り角ハイボールとともに美味しくいただきました。

午後1時ちょっと前、岡山駅で新幹線を降り、山陽本線の各駅停車の列車に揺られること15分。ようやく倉敷へと到着いたしました!

2年半ぶりとなる倉敷の地は、最高の青空でわたしを迎えてくれました。嬉しさが心の底から、じわじわと湧き上がってくるのを感じました。
さあ、これから倉敷の街歩きを存分に楽しむぞー!・・・でも、その前にちょいと散歩じたくを・・・ということで、倉敷駅のすぐ近くにある「ねぼけ堂」というユーモラスな名前のお菓子屋さんで、「ロールカステラ」を買い食いいたしました。
あんずのジャムが入ったカステラは、どこか懐かしい美味しさが好ましく、いい散歩じたくとなりました。



散歩じたくを済ませたところで、さっそく美観地区へと足を向けました。駅前通りを歩くこと10分ほど、倉敷川に沿って延びている美観地区の中へ入ってみると・・・そこはもう一面に圧倒的な人の波!


あの大原美術館の前も、やはり多くの観光客で鈴なり状態。過去2回訪れた時にも、けっこう多くの観光客で賑わっておりましたが、今回はそれ以上の賑やかさでありました。
ああやっぱりこの2年間、みんなここに来たかったんだろうなあ、わかるわかる・・・。そんなことを思いつつ、大原美術館の前にかかる小さな石橋「今橋」の上に立って倉敷川を眺めると、「川舟流し」の小舟が浮かんでおりました。久しぶりに倉敷を象徴する光景を目にすることができ、わたしの気持ちは高揚感MAXでありました。

大原美術館に隣接する、蔦に覆われた建物が目を惹く喫茶店「エル・グレコ」の前には、今まさに満開となったツツジが咲き誇っておりました。秋の倉敷も最高なのですが、この時期の倉敷もまたいいもんですねえ。


ビックリするほどの人の波となっていた美観地区ですが、その中でもよく見かけるのがイヌを連れた方々。観光客もいれば地元の方もおられるのでしょうが、飼い主さんに引かれてトコトコ歩いていたり、抱っこされたりしながら「散策」しているイヌさんたちがたくさんいたりして、それを目にするこちらのほうも思わず気持ちが和みます。
その中でも極めつけだったのが、こちら。↓

ご夫婦とおぼしき2人連れが、それぞれベビーカー・・・ならぬドッグカーに2頭ずつ(たぶん)乗せたうえ、さらに乗り切らないイヌさんをそれぞれ1頭、結えつけたリードに繋いで連れているという壮観ぶり。周りの皆さんもビックリなさっておられましたねえ。いやー、すごかったなあ。

美観地区から、白壁の蔵が両側に並んでいる細い路地を抜けて、江戸時代には主要な交通路として栄えていたという本町通りに入ってみると・・・そちらもまた、多くの観光客で人の波となっておりました。いやはや、すごいもんだねえ。


かつては多くの職人たちが軒を並べていたという歴史を偲ばせるような、風情ある町屋が数多く残る本町通り。その入り口あたりに、なかなかハイカラな建物が立っております。

この建物、第一合同銀行(現在の中国銀行)の倉敷支店として、大正11(1922)年に建てられたもの。いかにも昔の銀行という感じがする、重厚なルネサンス風の円柱や、窓に嵌められたステンドグラスが見事であります。
わりと最近まで銀行として営業していたようですが、このたび大原美術館の関連施設「新児島館」(仮称。「児島」とは、大原孫三郎の依頼を受けて欧州で美術品の収集にあたった画家・児島虎次郎のこと)として生まれ変わることになり、昨年(2021年)の10月に暫定開館いたしました。
その記念として館内に特別展示されているのが、現代芸術家のヤノベケンジさんが製作した「サン・シスター(リバース)」です。

作品の隣に掲げられたヤノベケンジさんからのメッセージによれば、この作品はもともと「東日本大震災による被害や苦難の日々を乗り越えることを願い、希望ある未来の姿として」2014年に制作されたものといいます。そして、今回の「新児島館」の暫定開館にあたって、「建物の『転生』と、コロナ禍によって大打撃を受けている、倉敷や大原美術館の『再生』を願い、何度でも蘇る火の鳥・不死鳥をモチーフに」装いを新たに再公開することにしたのだとか。身に纏っている衣装は、京都芸術大学の学生さんたちと、福島大学附属中学校の生徒さんたちの共同制作とのことです。
ふだんは上の画像のように、座ったままで眼を閉じて「瞑想」しているのですが、「不定期で立ち上がり覚醒する」と説明板にはありました。まあそうそううまくは「覚醒」の瞬間には立ち会えないんだろうなあ・・・とさほど期待もしないまま、館内を後にしようとしたところ、やにわに「ガタン!ウイ〜〜ン」という機械音が耳に飛びこんできました。ん?と振り返ってみると・・・いままさに「覚醒」して、閉じていた眼をパッチリと見開きながら立ち上がっているではありませんか!周りにおられた人たちからも「わ〜〜!」という驚きの声が上がっています。わたしも思わず感激してしまいました。

旅の初日からなんという幸運!今回の旅は間違いなくいいものになりそうだなあ・・・感激とともに、そんな思いが気持ちに湧き上がってきたのでありました。

旧中国銀行支店改め「新児島館」(仮称)の真向かいにも、なんだかどっしりとした存在感のある建物が。倉敷公民館であります。

これを設計したのは、倉敷生まれの建築家で、同じ年(明治42年・1909年)に生まれた大原總一郎とも親しかった浦辺鎮太郎(しずたろう)。浦辺は總一郎の意向を受けて、倉敷の歴史的な景観と調和するような公共建築物をいくつか手がけました(大原美術館の分館や倉敷市民会館、倉敷国際ホテルなども浦辺の設計)。この公民館も、周囲に建っている白壁の蔵を思わせるようなデザインで、なかなかいい感じであります。

散歩の途中、「地ビール」と記されたノボリが目に止まり、それに引き寄せられるように「倉敷屋」というお店へ。倉敷の特産であるデニム製品や和雑貨、お菓子、地酒などを売っているお店であります。さっそくそこで紙コップに注がれた地ビールを買い、店先に置かれたイスにかけて一飲み。香りとコクがしっかり感じられて、なかなか美味しゅうございました。

喉を潤したところで、本町通りの背後に聳える鶴形山の上に建つ阿知(あち)神社に参詣いたしました。


全部で180段あまりの石段を、ちょいとばかり息を切らせながら(苦笑)登った先に本殿が。今回の旅が充実したものとなるよう願ったあと、そばに建っている絵馬殿へ。そこからは、倉敷の街並みを一望することができます。天気も上々ということで、より一層いい眺めでありました。

2日後の5月5日はこどもの日。神社の境内には、大きな大きな鯉のぼりが、元気に翻っておりました。

阿智神社の入り口の向かい側には、これまた時代を感じさせる魅力的な町屋が。倉敷の地酒「万年雪」「荒走り」などを製造、販売する「森田酒造場」で、創業は明治42年。建物もさることながら、掲げられた看板にまた、長い時の流れが感じられてたまらないのであります。杉玉(酒林)が下がっているのも、醸造場らしさがあっていいですねえ。

そうだそうだ、倉敷は地酒にも美味しいのがいろいろとあるんだよなあ・・・ああ今宵の倉敷で、瀬戸内の海の幸やらをサカナに呑むサケが楽しみじゃのう・・・ぐふふふふ、じゅるる。
森田酒造場の銘柄入りの看板や酒林を見ているうちに、わたしのココロははや、夜の倉敷での呑み歩きへと思いを馳せるのでありました・・・。


                            (「その2」へつづく)