『関東大震災実況』(1923年 日本)
染色、20分
製作会社:日活向島撮影所
撮影:髙坂利光(映画では「髙阪」と表記)、伊佐山三郎
国立映画アーカイブの特設サイト「関東大震災映像デジタルアーカイブ」にて配信中
関東大震災を映像記録として残した人びとの中には、誕生してからまだ日の浅かった、草創期の映画産業を担っていた映画人たちもおりました。
現在も存続している日本最古の映画会社・日活は、関東大震災の10年近く前である1912年(明治45年/大正元年)に設立。「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助を看板スターとして、時代劇を中心に京都で映画を製作。翌1913年には、東京の向島に新たな撮影所を設け、現代劇にも手を広げました。
『関東大震災実況』は、その向島撮影所のカメラマン2人により撮影、製作された震災記録映画です。フィルムに赤や青の色が着いてはいるものの、これはカラーフィルムではなく、モノクロフィルムに着色を施した「染色」と呼ばれる手法によるものです。
「日活向島撮影所 撮影技師 髙阪利光氏 伊佐山三郎氏 決死的撮影」との触れ込みから始まる本作品ですが、前半部は『關東大震大火實況』や『関東大震災【返還映画版】』などといった、他作品でも使われていた映像が多く見られます。しかも、いくつかのカットは重複して映し出されたりもいたします。
国立映画アーカイブの「関東大震災映像デジタルアーカイブ」で公開されている震災記録映画をまとめて観ていると、別の作品で使われていた映像が他作品でも繰り返し流用され、使い回されていることに気づかされます。そのことで、当該映像のオリジナルがもともとどの作品だったのかが曖昧になっている上、映像が撮影された正確な場所や状況もわかりにくくなっており、映像が本来持っているはずの記録性が損なわれてしまっている面があることは否定できません。
そんな中にあっても、本作には注目に値する映像が含まれております。終盤に映し出される、隅田川から船に乗って撮影されたと思われる一連の映像では、崩壊した橋の鉄骨を伝ってなんとか渡ろうとする人の姿や、川面に浮かぶ無残な遺体、そして辛くも生き延びた人たちが橋の下を仮の宿としている様子などが映し出されていて、異なった角度と手法により震災直後の状況を捉えた貴重な記録となっております。
『関東大震災【伊奈精一版】』(1923年 日本)
染色、14分
撮影:伊奈精一
国立映画アーカイブの特設サイト「関東大震災映像デジタルアーカイブ」にて配信中
『関東大震災【伊奈精一版】』と名づけられたフィルムを撮影した伊奈精一なる人物もまた、戦前の日活で活躍したという劇映画の監督であります。ただし厳密には、「日活入社以前に朝日新聞のニュースカメラマンとして活動していた時期に撮影したと見られる」(上記サイトの作品解説より)とのこと。本作も、フィルムを染色する手法によって仕上げられております。
本作の前半も、他作品でも使われていた映像の流用によって構成されておりますが、フィルムの状態が比較的良好だからなのか、映像自体はけっこう鮮明に見えます。多数の死者が出た、本所被服廠跡の惨状を捉えた一連の映像では、遺体を荼毘(だび)に付しているところを間近で撮影した、衝撃的なカットも含まれております(ご覧になる際にはご注意を)。
本作で注目すべきは、横浜の被災状況を記録した後半の部分。神奈川県庁と横浜市役所の仮事務所における混乱した様子や、破壊された港の埠頭、無残に焼け落ちた車が何台も並ぶホテルを捉えた映像なども貴重な記録ですが、とりわけ目を引かれたのが、焦土と化した街と、道を行き交う人びとの姿を、移動する車から撮影した映像。この時期に、このような手法によって撮られた映像があったということに、ちょっと驚かされました。
草創期の映画人たちによって捉えられた、関東大震災の映像記録2編。いずれも、独自の手法と工夫によって捉えられた映像が印象に残る作品であります。