読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

天領日田洋酒博物館館長・高嶋さんの超ポジティブ人生哲学に酔いしれた、5度目の日田の夜

2024-03-04 19:27:00 | 旅のお噂
2月23日から25日までの3日間、大分県へ旅行に出かけておりました。ここ10何年かずっとお邪魔している恒例の別府と、今回が3年連続5回目の訪問という、こちらもなかば恒例化してきている日田への旅でありました。
日田のほうではおりしも、2月の後半から3月いっぱいにかけて、街のさまざまな場所で雛人形が華やかに飾られる「天領日田おひなまつり」が開催中。それもあってか、江戸時代の風情ある街並みが残る豆田町界隈は、団体さん(韓国あたりからのが多いようでした)や家族連れをはじめとして、多くの観光客で賑わいを見せておりました。


(↑こちらの雛人形は、豆田町にある「日本丸館」に展示されていたもの)

江戸の風情が残る街並みを歩く楽しさを満喫できるのもさることながら、水に恵まれた日田は日本酒の蔵元が3軒あるのをはじめとして、麦焼酎「いいちこ」の醸造所やサッポロビールの工場、梅のリキュールの製造所が揃っていて、酒好きにとってはまさに天国、聖地といってもいい場所でもあります。なので、そちらのほうも大いに満喫させていただきました。・・・厚労省が最近これ見よがしに出してきた、おせっかい極まりない「飲酒ガイドライン」なんぞ知ったこっちゃございませぬわ。ぬはははははははははは。
(↑日田の飲食店ではメインとなっている、サッポロ黒ラベルの生ビール)

(↑豆田町にある日本酒の老舗「薫長」の酒蔵に併設されたカフェコーナーで呑める利き酒セット。左から、香りも味も華やかな「大吟醸 瑞華」、キレがあって呑み飽きない「薫長 特別純米」、どっしりした味わいの「雄町 火入れ」)

そんな酒好き天国の日田を象徴するようなスポットが、「天領日田洋酒博物館」。NHK連続テレビ小説『マッサン』のモデルであったニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝氏の手になるポットスチル(ウイスキーの蒸留窯)をはじめとする、洋酒とその関連グッズ4万点以上もの驚愕のコレクションを収蔵、展示している、酒好き洋酒好き垂涎の個人運営によるミュージアムです。訪問するのは昨年に続き2回目であります。
この博物館については、昨年訪ねたときに当ブログに記事を綴りましたので、詳しいことはそちら↓に譲ることといたします。



この圧巻、驚愕のコレクションを築きあげたのが、館長である高嶋甲子郎さんであります。

上の写真からもよ〜くおわかりのように(笑)、高嶋さんはとても気さくで明るく楽しいお方であります。そしてなにより、根っからのポジティブ人間。もうポジティブが服着て歩いて、美味しそうにお酒を飲んでいるというようなお方で(笑)。そのポジティブさで、会った人をたちまちトリコにしてしまうような、オーラというか磁力を強烈に発しておられます。今回日田を訪れたのも、この高嶋さんと再会したいがためであったと言っても過言ではございません。
1年前とまったく変わることなく、気さくでポジティブな高嶋さんと再会できた嬉しさを噛み締めつつ、博物館に展示されている洋酒コレクションの数々を観覧。二度目の観覧でありますが、その質量ともに圧巻のコレクションにはあらためて、ため息のつき通しでありました。
展示の内容が微妙に変わっていることに気づくと、高嶋さんは「1年のあいだにさらにたくさんコレクションが増えました!」とおっしゃいます。どのくらい増えたんですか?と尋ねると、「え〜と、う〜ん、まあ、たくさん増えました」とのお答え。どうやらご本人にも、正確な数が把握しきれないくらい「たくさん」増えたようです(笑)。

夜に入り、市内の海鮮居酒屋で一杯やったあと、こんどは博物館に併設されているバー「k t,s museum Bar」へ。博物館の館長から、バーのマスターに変わった高嶋さんが作る「マッサンハイボール」や、定番ウイスキーの水割り、さらに今ではお値打ちもののウイスキー「竹鶴」をストレートで傾けつつ、高嶋さんやカウンターで隣り合わせたお客さんたちとの会話を楽しみました。
この夜は嬉しいことに、福岡から来られたという方によるジャズの「投げ銭ライブ」が行われ、雰囲気たっぷりのサックスの生演奏が、ウイスキーの美味しさをさらに引き立て、より一層気分良く酔うことができました。


この夜、高嶋さんから聞いたお話の中でひときわ強い印象を受けたのが、高嶋さんの人生における一大転機となった出来事にまつわるエピソードでありました。
(以下、お酒に酔いつつお聞きしたお話ということで、細部には記憶違いがあるやもしれませんが、どうかご容赦を・・・)

とても陽気で明るいお人柄の高嶋さんですが、その人生には大きな苦難もありました。そのひとつが、2016年4月に起こった熊本・大分地震。この時は日田も強い揺れに襲われ、それによって博物館の貴重なコレクションも相当、大きな被害を蒙ったといいます。
それに追い討ちをかけるように、同じ年の夏には当時経営していた会社とお店4つ(そのうちのひとつが、洋酒博物館の姉妹館でもあったビール博物館)が、漏電火災によって全焼してしまうという災難に見舞われてしまいます。
普通の人であれば打ちのめされ、心も折れて立ち直れなくなってしまうであろう、大きな災難であります。しかし、高嶋さんは燃えていく建物を目にしながら、こんなことを思ったというのです。

もしかすると、これは大きなチャンスなのではないか?

過去に大きな功績をあげた人たちは皆、それぞれ大きな苦難に直面しながらも、それをチャンスに変えることで成果を残すことができた。だから、自分もこれをチャンスと捉えなければ・・・。それが、そのときの高嶋さんの真意でした。
同時に、こういうことも頭に浮かんだといいます。これは、亡くなった父親やご先祖さまが、自分の身を守るために起こしてくれたのではないか?」と。
当時の高嶋さんは、博物館とともに経営していた4つの会社やお店の運営のために、夜もろくに寝ることのない日々を送っていたそうです。そんな中で起こったこの災難は、「このままではお前は死ぬぞ」という、亡きお父さんやご先祖さまからの警告だったのでは・・・高嶋さんはそう受け止めたといいます。

火災という大きな災難に遭ってもなお、周囲に対してはつとめて明るく振る舞っていた高嶋さんに、多くの友人知人からさまざまな形での支援が寄せられました。取引先の金融機関に至っては、博物館の建設によって生じた負債を大幅に圧縮してくれたのだとか。
そんな多くの人たちの厚意に接した高嶋さんは、当時について「人生で一番泣いた時期でした」と振り返ります。そして、めいっぱい号泣したあと、

これからは絶対、人には泣き顔は見せない!

と決意したといい、こう続けました。

ここから必ずV字回復して、助けてくれた人たちに恩返ししたい!と決心しました。それが今でも、わたしの生きるモチベーションになってるんですよ

高嶋さんの明るく楽しいお人柄は、大きな苦難に直面しながらも、それをチャンスと捉えて前向きに乗り越えるという経験に裏打ちされたものだったんだなあ・・・。お話を伺いながら、わたしはいつしか涙ぐんでおりました。高嶋さんがそれに気づかれたかどうかはわかりませんが・・・。

それにしても、日中は博物館の館長として活動したあと、夜にはバーのマスターのお仕事もこなすというのはなかなか大変なのでは?とわたしが訊くと、高嶋さんは「夜は4時間しか寝ませんけど、もうそれで充分なんですよ」とお答えになり、こうおっしゃいました。

人生には限りがありますから、1分たりともムダにしたくはないんです

そして、こうもおっしゃったのです。

今のところは、まだ自分の理想の2〜3割くらいしか実現していないんですよ。だから、残りの実現のためにまだまだ、いろんなことをやりたいと思ってます!!

わたしと同じ50代前半という歳にあってもなお、自分の求める理想を実現するために、時間を惜しんで動いている、アクティブかつパワフルな高嶋さん。そのお話を聞いていると、仕事の疲れをイイワケにしつつ、ついついダラけて時間をムダにしてしまっているオノレが情けなく思えてきたのでありました・・・。

高嶋さんは口癖のごとく、ご自分のことを「もうアホタレですわ」などと自嘲するようにおっしゃいます。ですが、端から見れば「アホタレ」「バカ」などと言われるくらい物事に熱中し、それを極めることが大きな価値を生むのだということを、高嶋さんは教えてくれているように思うのです。
わたしのような凡人は、何かをやろうとしてもあれやこれやと、いろいろな考えを小賢しくこねくり回すばかりで、結局は自分のやるべきことも、やりたいことも何ひとつなし得ないまんま終わってしまう・・・というのがオチであります。ハンパな「知識」やら「世間体」やらに囚われている、凡人ならではのカナシサでありましょう。
いや、コトはわたし一人に限りません。小賢しいリクツを振り回しているくせに、そのじつ権威にはからきし弱いばかりでたいして役にも立たない「知識人」や「知識人もどき」。同調圧力や足の引っ張り合いで成り立つ「世間体」。何をやるにも横並びでしか判断できない、主体性なき「メダカ民族」(文末の注を参照)的習性。そして、他者が大切にしている楽しみや生き甲斐に対して、「不要不急」なる粗雑かつ野蛮なレッテルを一方的に貼り、否定して恥じない風潮・・・。そんなことどもが蔓延ることで、わが祖国ニッポンは活力を失って衰退し、ダメダメになってしまったのではありますまいか。
(思えば、4年近くにもわたってダラダラと続き、社会に多大なる混乱と損失をもたらす結果となった、新型コロナウイルスをめぐる不毛な莫迦騒ぎもまた、そんな衰退するダメダメなニッポンに相応しい事象ではございました・・・)
わたしを含めた衰退ニッポンに生きる人間が学ぶべきは、「アカデミズム」という名の学者ムラの中でヌクヌクとアグラをかいているばかりなのに、態度だけは妙にエラソーな「専門家」や「知識人」にあらず。自分の「好き」を「アホタレ」なくらいにとことん極めることで価値を生み出す熱意と、逆境をチャンスに変えて成功へとつなげる前向きな行動力を持ちながらも、決して偉ぶることもない気さくなお人柄で、いろいろな人たちへの感謝の気持ちをモチベーションにし続けておられる、高嶋さんの超ポジティブな人生哲学にこそ学ぶべきではないのか・・・。
ウイスキーの心地いい酔いに包まれたアタマの隅で、わたしはぼんやりとそんなことを考えていたのでありました。

ということで、今回の自分へのお土産は、洋酒博物館の物販コーナーで買ってきたオリジナルのTシャツであります。シンプルなデザインでなかなかカッコいいですねえ。



なんだかんだ言っても、来年もまた高嶋さん会いたさに、日田へと足を運ぶことになりそうだなあ。


(注)元朝日新聞記者のジャーナリスト・本多勝一氏がよく使っておられた、周囲に合わせるばかりの主体性なき日本人の横並び体質を指したコトバ。それにしても、とっくに「卒業」したハズだった本多氏のコトバを、よもやこのようなカタチで引っ張り出してくることになるとはなあ・・・(しみじみ)。