『ゴジラ−1.0(マイナスワン)』(2023年 日本)
監督・脚本・VFX:山崎貴
製作:市川南
エグゼクティブプロデューサー:臼井央、阿部秀司
企画・プロヂュース:山田兼司、岸田一晃
撮影:柴崎幸三
音楽:佐藤直紀、伊福部昭
出演者:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介
2023年11月11日、ワンダーアティックシネマ宮崎にて鑑賞
日本の敗色が濃厚となっていた太平洋戦争末期。大戸島の守備隊基地に、特攻作戦に従事していた敷島浩一少尉(神木隆之介)が操縦する零戦が着陸してくる。機体の不調を訴える敷島であったが、機体を調べても不具合が見当たらないことに、ベテラン整備兵の橘宗作(青木崇高)は不審を抱く。その夜、高さ15メートルに及ぶ恐竜のような生物が基地を襲う。島の言い伝えで「呉爾羅」(ゴジラ)と呼ばれていたその生物の襲撃により基地は破壊され、敷島と橘以外の整備兵たちは全滅してしまう。終戦後、辛くも生き残り、空襲で焦土と化した東京に帰ってきた敷島は、闇市で出会った大石典子(浜辺美波)と、彼女が抱えていた赤ん坊の明子とともに共同生活を始める。やがて、日米双方によって海上に敷設された機雷除去の職を得て、安定した生活を送ることができるようになった敷島たちだったが、米国によるビキニ環礁の核実験によって、さらに強大となったゴジラが東京を襲撃。戦争によってゼロからの再出発を余儀なくされた日本は、ゴジラの脅威によってさらに「マイナス」の状況へと追い込まれるのであった・・・。
シリーズ第1作『ゴジラ』(1954年)から70周年の記念作として、そして前作『シン・ゴジラ』(2016年)から7年ぶりとなるシリーズ第30作目として製作された『ゴジラ−1.0』。第1作目の公開日でもある11月3日の封切りからおよそ1週間後の11月11日、ワクワクしながら鑑賞に臨みました。期待していた以上の面白さと出来の良さで、興奮と感慨とで満たされた気分となり、劇場をあとにすることができました。
監督と脚本、そしてVFX(視覚効果)を兼任しているのは、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ(2005〜2012年)や『永遠の0』(2013年)、『STAND BY ME ドラえもん』シリーズ(共同監督、2014〜2020年)などといったヒット作を手がけてきた山崎貴監督。もともと特撮・VFXスタッフとしてキャリアをスタートさせ、監督デビュー作である『ジュブナイル』(2000年。わたしのお気に入りの作品でもあります)以降、一貫して監督や脚本とともにVFXの制作を兼任するスタイルにより、映画作りを続けている方です。
山崎監督はこれまで、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)の冒頭でゴジラを“復活”させているほか、西武園ゆうえんちのアトラクション『ゴジラ・ザ・ライド 大怪獣頂上決戦』での映像を手がけるといった実績がありました。その上、今回は第1作目(昭和20年代の末期)よりも前の時代となる敗戦直後が舞台ということもあり、一体どのような作品になっているのかと興味津々でありました。
近代兵器はもちろん自衛隊すら存在せず、武装を放棄した空白状態の日本に、もしもゴジラというとてつもない災厄が襲いかかったら・・・。山崎監督は、当時の時代状況と「ゴジラ」というファンタスティックな存在とをうまく結びつけ、そこに主人公である敷島と典子をめぐるドラマをしっかりと組み合わせることで、本作を実に見応えのあるゴジラ映画にしています。
ゴジラ生誕70周年記念というメモリアル作品にして、大ヒットした『シン・ゴジラ』のあとを受けてということもあり、山崎監督には相当なプレッシャーもあったことでしょうが、そういう中で本当によくやってくれたと、大きな拍手を贈りたい思いです。
今年4月から9月まで放映されていた、NHK連続テレビ小説『らんまん』でも共演していた
(といっても、出演のオファーと撮影は本作のほうが先だったそうですが)、主演の神木隆之介さんと浜辺美波さんの好演が光ります。とりわけ神木さんは、特攻から生き残ったことに負い目を感じ、生きることに実感を持てずにいた敷島の人物像を、しっかりと演じきっていたように思いました。その敷島とは因縁の存在となる、整備兵の橘を演じる青木崇高さんや、悪態をつきながらも敷島たちに手を差し伸べる江戸っ子気質の女性・澄子を演じる安藤サクラさんも、ドラマを引き締めてくれています。
全体としてシリアスなドラマの中で、掃海艇の艇長である秋津を演じる佐々木蔵之介さんは、巧みな芝居でユーモアとテンポを作品に与えていて、楽しませてくれました。同じく掃海艇の乗組員で、かつては技術士官だった(そして、後半の展開において大きなカギを握ることになる人物でもある)野田役・吉岡秀隆さんの飄々とした存在感も、いいですねえ。
そして、真の主役たるゴジラは、前作『シン・ゴジラ』に続きフルCGによって表現されています。これまでのゴジラらしさを踏まえたデザインでありながら、傷ついた細胞を瞬時に再生させたり、放射能火炎を吐くときに背びれが青く光りながら突き出してきたりといった、新たな生態を見せてくれます。その一方で、走行している列車を口で咥え込んだり、銀座の破壊をレポートしているラジオ放送のクルーが破壊に巻きこまれてしまったりといった、第1作目へのオマージュ的シーンを演じたりもしていて、思わずニンマリしてしまいました。
音楽の佐藤直紀さんや撮影の柴崎幸三さん、美術の上條安里さん、照明の上田なりゆきさん、エグゼクティブプロデューサーの阿部秀司さんといったメインスタッフの面々は、これまでずっと山崎作品に関わってきている常連の方々。中でも音楽の佐藤さんは、あえて感情過多なメロディを排し、無機質な中に恐怖感や荘厳さを醸し出す劇伴でドラマを盛り上げてくれます。
そしてゴジラ映画に欠かすことのできない、あの伊福部昭さん作曲のゴジラのテーマ曲も、しっかり使われております。とりわけ、ゴジラが銀座一帯を破壊する場面にこのテーマ曲が流れたときには、完成度の高いVFX映像の迫力と相まって、この上ない高揚感をもたらしてくれました。
映像の迫力もさることながら、本作の基調をなすドラマがまた、実に魅力的でありました。
「お国のため」に死ぬことが当然のように言われ続けた戦争によって心身ともに傷つき、多くのものを失ってしまった上に、ゴジラという人智をはるかに超えた存在により、極めて絶望的な状況へと追い込まれてしまった敗戦直後の人びとが、生きる希望を未来へと繋ぐために、力を合わせて立ち向かっていく・・・そんな後半の展開には、胸が熱くなりっぱなしでありました。
そんな本作のドラマには、情報統制によって煽り立てることで国民の自由な精神と生きる希望を奪い、「特攻」に象徴される、勝ち目などまるでない無謀な「死ぬための戦い」へと否応なしに駆り立て、多大なる犠牲と被害を出すこととなった、戦時中の(そして、今もなお本質的には変わっていない)日本という国のありかたへの批判的視点が含まれている(それは佐々木さん演じる秋津や、吉岡さん演じる野田のセリフに顕著に表れています)ことを見逃すべきではありません。それによって本作は、観るものに深い余韻を残してくれる作品にもなっています。
上質な空想特撮エンターテインメントと、現実の社会や時代に対する鋭い批評精神を両立させた第1作目の『ゴジラ』と、前作『シン・ゴジラ』にも匹敵するくらいの、シリーズ屈指の傑作に仕上がった『ゴジラ−1.0』、必見であります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます