『荷風俳句集』
永井荷風著、加藤郁乎編、岩波書店(岩波文庫)、2013年
小説や随筆の分野で数多くの名作、逸品を遺した文豪・永井荷風ですが、早くから俳句にも親しみ、折々に詠み続けていました。とはいえ、それらの多くは小説や随筆の陰に隠れて、それほど注目されることもありません。
文庫オリジナルの作品集である本書『荷風俳句集』は、荷風の自選による「荷風百句」を含む俳句836句をはじめ、狂歌や小唄、端唄、漢詩、そして俳句にまつわる随筆5篇がまとめられていて、見過ごされがちな荷風の短詩型文学の世界を通覧、堪能することができる一冊となっています。収録された句や歌、漢詩のすべてには詳細な注解が付されていて、作品をより深く味わうことができるようになっています。
2013年に刊行されたあと品切れとなっていたこともあり、入手できない状態が続いていたのですが、今年夏の岩波文庫一括重版のラインナップに入ったことで、ようやく手に入れることができました。
荷風の俳句は、折々の季節感と失われゆく江戸情緒、そして隠遁生活や色街を好む頽廃趣味が、十七音という短い中に込められ、結晶化しているところがとても魅力的です。
「荷風百句」は、荷風が自ら選んだ118句が、春夏秋冬の季節ごとに収められています。それぞれの季節から、お気に入りの句を引いてみることにいたします。まずは「春之部」から。
永き日や鳩も見てゐる居合抜
「浅草画賛」の前書が付けられた一句です。居合い抜きなどの大道芸や見世物も出ていた、昔日の浅草の賑わいぶりが浮かんでくるようです。
色町や真昼しづかに猫の恋
艶麗な華やかさの夜とは対照的な、静まり返った真昼の色町の中での「猫の恋」。色っぽいけど、どこかのどかで微笑ましくもある情景が、いいですねえ。
次は「夏之部」から。
葉ざくらや人に知られぬ昼あそび
「向嶋水神の茶屋にて」という前書がついたこの句は、荷風俳句の中でもとりわけ一番のお気に入りであります。花街として賑わっていたという、向嶋(向島)の待合茶屋での芸妓との「昼あそび」を、初夏の季節感とともに詠んだこの句は、まさに荷風さんの面目躍如といえる名句です。
八文字ふむや金魚のおよぎぶり
吉原の太夫たちが「花魁道中」のときに見せる、高下駄を履いた足で円弧を描くように歩く「八文字」(はちもんじ)を、金魚が泳いでいるさまに喩えたこの句もまた、荷風さんならではの名句といえましょう。
続く「秋之部」からは、「芝口の茶屋金兵衛にて三句」との前書が付けられた、以下の三句を。
盛塩の露にとけ行く夜ごろかな
柚の香や秋もふけ行く夜の膳
秋風や鮎焼く塩のこげ加減
「金兵衛」とは新橋にあった料亭のこと。荷風さんが夕餉(夕食)をとるために通っていたお店であり、日記『断腸亭日乗』にもしばしば、その名前が出てまいります。お気に入りの料理屋で、秋の味覚に顔をほころばせている荷風さんの姿が目に浮かんでくるようであります。
そして「冬之部」。
よみさしの小本ふせたる炬燵哉
こたつで暖まりながら書物に親しむ冬の情景、読書好きの琴線に触れますねえ。
襟まきやしのぶ浮世の裏通
「浮世の裏通」で生きる人びとの姿に目を向け、作品に描き続けてきた荷風さんらしいこの句もまた、わたしの大好きな一句であります。
「荷風百句」に選ばれなかった数多くの俳句は、明治32(1899)年から昭和27(1952)年にかけての年次順に収められています。この中にも、お気に入りの句がたくさんあります。
竹夫人抱く女の手のしろき
「竹夫人」とは、竹を編んで作られた枕型の抱き籠で、暑い時期に涼をとるために使われました。どこかなまめかしい雰囲気が、いいですねえ。
冬の夜を酒屋(バア)に夜ふかす人の声
夜が長くなる冬の時期に、バーで憩う人びとが語り合う声が聞こえてきそうな一句です。
大方は無縁の墓や春の草
「無縁の墓」とは、三ノ輪の浄閑寺にある吉原の遊女たちを葬った無縁墓のこと。引き取り手のない遊女たちの遺体を引き受け、「投げ込み寺」と呼ばれた浄閑寺を荷風さんは愛し、死後はここに葬られることを望んでいました。現在は荷風さんの詩碑と「筆塚」が建っているというこのお寺、一度訪ねてみたい場所であります。
年次順に配列された句の中には、その当時の時代の空気が詠み込まれたものもいくつか見受けられます。日本が米英に宣戦布告し、太平洋戦争が開戦した昭和16(1941)年の年末に詠まれたこの句からは、暗い時代に入っていく世の中の、息苦しい空気が伝わってきます。
門松も世をはゝ゛かりし小枝かな
日本の敗色が色濃くなってきていた昭和19(1944)年には、その後の国の行く末を見通したかのような一句が詠まれています。
亡国の調(しらべ)せはしき秋の蝉
そして昭和21(1946)年、敗戦直後の混乱の中で詠まれた次の二句からは、日本という国に対する、荷風さんの諦念のようなものが感じられてきます。
戦ひに国おとろへて牡丹かな
ほろび行く国の日永や藤の花
戦中から終戦直後に至る時期に詠まれた上の四句は、わたしの中では現在の日本のありさまとも重なるように思えてなりませんでした。現在の日本も、〝新型コロナウイルスとの戦い〟という〝戦時下〟の中で息苦しい世の中となり、さらには莫大な国富を〝コロナ対策〟という名目のもとで〝戦費〟として浪費したあげく、「おとろへて」「ほろび行く」第二の〝敗戦〟への過程にあるように感じられるがゆえに、です。
その一方で、荷風さんならではの諧謔精神が発揮された愉快な句も、そこここに見受けられます。上に引いた「亡国の調〜」と同じ昭和19年のところに仲良く並んでいた以下の三句には、思わず声を上げて笑ってしまいました。
秋高くもんぺの尻の大(おほい)なり
スカートのいよゝ短し秋のかぜ
スカートの内またねらふ藪蚊哉
戦時下にあってもなお、人を喰ったようなユーモアと諧謔精神を忘れていなかったところもまた、荷風さんの魅力なのであります。
本書の編者である俳人の加藤郁乎氏は、荷風の俳句について「みずから恃(たの)むところ高き散木荷風には文事淫事を問わず市井人事のことごとくが四季とりどりの句となり得た」と、巻末の解説文の中で書いています。本書に収められた句の数々を読むと、そのことがよく納得できました。
「写真と俳句」の章では、荷風自らが撮影した写真に、俳句や狂歌、漢詩などを組み合わせた33点が収められています。
「物くへば夜半にも残る暑(あつさ)かな」の句に添えられているのは、〝牛めし〟や〝やきとり〟と書かれた暖簾を下げた露店の写真。「行雁や ふか川 くらき 二十日月」の句には、蒸気舟が煙を上げている深川万年橋の光景を捉えた写真。「秋晴やおしろい焼の顔の皺」の句には、小説『濹東綺譚』の舞台ともなった色街・玉の井の入り口の写真・・・。どこかの待合茶屋と思しき一室の窓際に腰掛けている、和服姿の女の後ろ姿や、荷風が住んでいた麻布の「偏奇館」の内外で撮られた写真も見られます。
すでに失われてしまった、かつての東京の風景をとどめた荷風の写真はそれ自体が味わい深いのですが、それらの風景写真と俳句などが組み合わされることで、より一層情緒をかき立ててくれます。この章の存在も、個人的には嬉しいものがございました。
荷風は漢詩、漢籍にも深い造詣がありました。そんな荷風が作った漢詩46篇も、本書には収録されているのですが、漢詩を読み慣れていない上に、漢籍についてもほとんど知らないわたしにとっては、いささか難解に感じられました。荷風が身につけていた、漢籍についての教養の深さを、ただただ思い知った次第であります。
小説や随筆とはまたひと味違った、荷風の抒情世界を味わい、堪能することができる一冊でありました。
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