『千夜千冊エディション 情報生命』
松岡正剛著、KADOKAWA(角川ソフィア文庫)、2018年
まさしく「知の巨人」というフレーズがふさわしい方である松岡正剛さんが、2000年から続けているブックナビゲーションサイト「千夜千冊」。それをテーマごとにピックアップし、再編集した文庫版シリーズの第4巻です(昨年5月に刊行が始まり現在続刊中。今月10月には12冊目が刊行されています)。
第4巻となる本書には、情報と生命との関わりについての探究と考察がなされている、29冊の書物が取り上げられています。いわゆる「ガイア理論」を提唱したジェームズ・ラヴロック『ガイアの時代』から、遺伝子生物学の古典であるエルヴィン・シュレーディンガー『生命とは何か』やリチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』、複雑系の科学を主題とした蔵本由紀『非線形科学』や清水博『生命を捉えなおす』などなど。
科学書だけでなく、アーサー・C・クラーク『地球幼年期の終わり』や、J・G・バラード『時の声』、ブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』、フィリップ・K・ディック『ヴァリス』、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』といったSF小説がたくさんピックアップされているのも面白いところです。なかでも、ディック晩年の傑作にして問題作といえそうな『ヴァリス』をめぐる考察は、興味深いものがありました。
「ゆらぎ」「相転移」「カオス」といった、複雑系の科学を扱った書物5冊を取り上げた第3章は、貧弱なわたしのアタマではちょっと追いつかず、ただただボーゼンとしながら読み進めざるを得ませんでしたが・・・。ですが、圧倒的な「知の奔流」のなすがままに揉まれるというのも、どことなく妙に心地良く感じられたり。
本書で印象に残ったのは、はっきりとした因果関係などないはずの現象が、まるで同期的にはたらいているかのように同時におこる・・・という「シンクロニシティ」を主題にした、F・デイヴィッド・ピートのそのものズバリの書名『シンクロニシティ』を取り上げた回の一節でした。松岡さんは、シンクロニシティなる考え方の当否には留保をつけつつも、このように語ります。
「ぼくはシンクロニシティという言葉で、自分の思索を育てようとはしていない。しかしハナっからシンクロニシティのシの字も認めないという連中の仕事から何かを得たというおぼえもない。そういう連中には縁がない。ぼくはやっぱり縁側つづきでコレとアレとを考えたい」
貪欲にして柔軟な、松岡さん流の「知の作法」が現れているかのようで、なかなかシビれるお言葉だなあ・・・と思いました。
第4巻となる本書には、情報と生命との関わりについての探究と考察がなされている、29冊の書物が取り上げられています。いわゆる「ガイア理論」を提唱したジェームズ・ラヴロック『ガイアの時代』から、遺伝子生物学の古典であるエルヴィン・シュレーディンガー『生命とは何か』やリチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』、複雑系の科学を主題とした蔵本由紀『非線形科学』や清水博『生命を捉えなおす』などなど。
科学書だけでなく、アーサー・C・クラーク『地球幼年期の終わり』や、J・G・バラード『時の声』、ブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』、フィリップ・K・ディック『ヴァリス』、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』といったSF小説がたくさんピックアップされているのも面白いところです。なかでも、ディック晩年の傑作にして問題作といえそうな『ヴァリス』をめぐる考察は、興味深いものがありました。
「ゆらぎ」「相転移」「カオス」といった、複雑系の科学を扱った書物5冊を取り上げた第3章は、貧弱なわたしのアタマではちょっと追いつかず、ただただボーゼンとしながら読み進めざるを得ませんでしたが・・・。ですが、圧倒的な「知の奔流」のなすがままに揉まれるというのも、どことなく妙に心地良く感じられたり。
本書で印象に残ったのは、はっきりとした因果関係などないはずの現象が、まるで同期的にはたらいているかのように同時におこる・・・という「シンクロニシティ」を主題にした、F・デイヴィッド・ピートのそのものズバリの書名『シンクロニシティ』を取り上げた回の一節でした。松岡さんは、シンクロニシティなる考え方の当否には留保をつけつつも、このように語ります。
「ぼくはシンクロニシティという言葉で、自分の思索を育てようとはしていない。しかしハナっからシンクロニシティのシの字も認めないという連中の仕事から何かを得たというおぼえもない。そういう連中には縁がない。ぼくはやっぱり縁側つづきでコレとアレとを考えたい」
貪欲にして柔軟な、松岡さん流の「知の作法」が現れているかのようで、なかなかシビれるお言葉だなあ・・・と思いました。
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