『本よむ幸せ』
福原義春著、求龍堂、2013年
大手化粧品メーカー・資生堂の名誉会長であり、経済人きっての読書家であり文化人でもある福原義春さんが、これまでに読んできた多くの本の中から103冊を選び、それぞれの読みどころを滋味たっぷりの語り口で綴った一冊です。
本書を読もうと思ったきっかけは、松岡正剛さんのブックナビゲーションサイト「千夜千冊」をもとに編集された『千夜千冊エディション 感ビジネス』(角川ソフィア文庫)に収録されていた、福原さんの著書『猫と小石とディアギレフ』(集英社)の紹介を読んだことでした。
この本には、福原さんが選んだ100冊の本が記録されているそうで、松岡さんがそれについて「こんな一〇〇冊を選べる企業人は、いや文化人は、いま日本に福原さんたった一人ではあるまいか」とまで述べているのを読み、是非ともそのラインナップが知りたいと思ったのですが、残念なことに『猫と小石と〜』は現在品切れ。そこで、代わりに何かないだろうかと著者検索して見つけたのが『本よむ幸せ』だった・・・というわけです。
『本よむ幸せ』でまず目を見張らされるのは、取り上げられた書物のジャンルの幅広さです。
カエサル『ガリア戦記』や司馬遷『史記』、鴨長明『方丈記』といった古典から、ジャック・ヒギンズ『鷲は舞い降りた』やアガサ・クリスティ『オリエント急行の殺人』などの冒険ものやミステリー、野村胡堂『銭形平次捕物控』などの時代小説、ジョージ・ガモフ『生命の国のトムキンス』などの自然科学書、ロラン・バルト『表徴の帝国』などの思想書、フィリップ・コトラー『非営利組織のマーケティング戦略』などのビジネス系の本、さらには馬場のぼるのロングセラー絵本『11ぴきのねこ』・・・。
さらに、小林信彦『ちはやぶる奥の細道』のような軽妙なパロディ小説や、映画の名セリフをイラストとともに紹介している和田誠『お楽しみはこれからだ』や、実在した飛行機の失敗作と失敗の原因を挙げていく、岡部ださく『世界の駄っ作機』といった楽しく読める本も何冊か選ばれていて、なんだか嬉しいものがありました。バラエティに富んだラインナップを眺めているだけでも、福原さんが偏りのない旺盛な好奇心の持ち主であるということが伝わってきます。
幅広いジャンルの本を読んでいることについて、福原さんは本書に収められているインタビューで、このように語っておられます。
「ぼくは本というのは、さあ読みましょうと言って難しい本ばかりを選んで読むのではなくて、ウフフと笑える本も楽しむべきじゃないかなと思うのです。同時に、難しくても大事だと思えば、逃げないで読んだほうがいいと思う。バランスを取ることは大切ですね。
例えば食べ物でも、おいしいからってスナック菓子ばかり食べていたら骨ができないし、好き嫌いを言っていたらちゃんとした体にならない。頭、つまり知能だって同じだと思います。だからたまには噛み切れないと思ってもあえて固いものを食べてみるとか、苦手でもちょっと頑張って試してみると、案外身につくものだと思うのです」
面白おかしい本ばかり読むのもいささか物足りないことではありますが、かといって難しい本ばかり読んでいるというのも、バランスが良くないことではそう変わりはありません。まして、特定の考え方に偏った本ばかりを読むことは、バランスが良くないどころか有害ですらあるでしょう。
幅広くいろいろなジャンルの本を楽しみながら、さまざまに異なる価値観や考え方に接することはとても大事だと思いますので、福原さんの読書観にはとても共感できますし、見習わなければならないなあとも思うのです。
ジャンルの幅広さに加え、本のチョイスにも並々ならぬこだわりが感じられます。ファーブルの本では、誰もが頭に浮かべる『昆虫記』ではなく『植物記』のほうを取り上げておりますし、いまも多くのビジネスマンに愛読されているドラッカーの本では、よく知られている『マネジメント』などではなく、ダイエー創業者である中内㓛との往復書簡集である『挑戦の時』『創生の時』をチョイスしています。こういうあたりにも、「ううむさすがだなあ」と唸らされます。
選りすぐられた103冊のラインナップにも目を見張りますが、その一冊一冊の読みどころを掬いとりつつ展開される福原さんの語り口が、また実に魅力的なのです。
「全ての遊びは人間の文化の源泉である。或いは文化の目的が究極の遊びであるのかも知れない」と語るのはバスの中での出来事を、99通りの異なる表現で書き分けるレーモン・クノーの『文体練習』の項。
今道友信の哲学論『今道友信 わが哲学を語る』の項では、「哲学は決して高踏で難解なものではなく、身近に入口がいくらでもあり、そこからゆっくりと入って、怠ることなく魂の世話と、手入れをすることなのである」と、ついつい構えがちになる哲学との付き合いかたを説きます。
さらに、植物の遺伝の法則を述べたメンデル『雑種植物の研究』の項では、「自然科学に限らず、現場-フィールド-のデータを正しく把握し、そこに理論の裏づけを当てはめることこそ肝要なのであって、その一つの典型がここにある」と、正しいデータの把握がいかに大切なのかを述べます。そして岡倉覚三『茶の本』の項では、「この時代の人々は江戸の時代に漢学、和の学を学び、そして英語を完全にマスターしていたので、今の時代の「英語屋」とは出来が違う」と痛言するのです。これらのことばからは、それぞれの分野に関するしっかりした識見に裏打ちされた真の教養が感じられ、そのことにもまた唸らされるのです。
実に幅広い分野へ興味と関心を向ける、福原さんのバックボーンが垣間見えるのが、西脇順三郎のシュールレアリスム詩集『第三の神話』の項です。西脇さんから進呈された『第三の神話』に大きな驚きを受けたという福原さんは、「異質の文化や異種の分野を私なりの価値観でまとめることが多いのは、もしかするとシュールレアリスムのショックの影響があるのかも知れない」と語り、こう続けます。
「シュールレアリスムの文学でも絵画でも、全く無関係なものが作品の中に散らばっているようだが、作者の美意識によって統一されて一つの作品となった時に、突然その完成度が高まるのだ」
さまざまな分野に目を向け、それらから吸収したことを組み合わせて活かしていくという福原さんの根っこに、シュールレアリスムがあるということは興味深いものでした。なるほど、一見難解なように思えるシュールレアリスム作品も、異質な文化を作者の価値観によって合わせることで生まれる化学反応として捉えると、なかなか面白いかもしれないなあ。
本書によって初めてその存在を知り、大いに興味を喚起させられた書物もいろいろありました。
その一冊がローレンス・J・ピーターほか『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』。ある階層で有能さを発揮して昇進するも、ある無能なレベルに到達するとそれ以上は昇進せず、やがてあらゆるポストが無能な人間で占められるという法則について述べた上で、それに対する処方箋を提示していくというものです。そういえば、世の中のさまざまな組織にも、そのような実例がいっぱい見受けられるよなあと思い、とても興味が湧きました。1970年に刊行されたこの本、調べてみるとつい最近、2018年にも新装版が出ており、とても長きにわたり読まれているようです。
キリスト教や鉄砲の伝来、倭寇の話など、日本と海外との関わりの歴史を児童向けに語った、吉田小五郎『東西ものがたり』にも興味を引かれました。「ぼくの知識と興味のあり方を決定づけるものとなった」と福原さんが語るこの本、1940年に初刊されてからは1983年に中公文庫で再刊されたりしたものの、現在では刊行されておりません。どこかで復刊してくれないかなあ。
編集者である鶴ヶ谷真一による書物にまつわるエッセイ集『書を読んで羊を失う』や、ロンドンの古書店員との往復書簡の形式で書かれたヘレーン・ハンフ『チャリング・クロス街84番地』といった〝本に関する本〟も、なかなか楽しそうであります。
書名どおりに「本よむ幸せ」がたっぷり伝わってくる、福原さんの極上ブックレビューであります。
【関連おススメ本】
『だから人は本を読む』
福原義春著、東洋経済新報社、2009年
(2018年にリニューアル版『教養読書』が東洋経済新報社より刊行)
『本よむ幸せ』に収録されているインタビューで「人はなぜ本を読むべきなのか、どうしていろんな本を読んだ方がいいのかについて意見を言っています」と触れられているこの本は、いわば『本よむ幸せ』の姉妹本といったところです。
幼少期からの読書経験に基づき、読書によって育まれる教養が仕事を磨く上でも有益であることが熱く語られています。また、日本人の国語力が衰えている状況を憂い、良書が届きにくくなっている出版界への率直な苦言と提言も盛りこまれている後半は、刊行から10年近く経っていてもビンビンと響くものがあります。
2018年に改題・再編集の上で『教養読書』としてリニューアルされましたが、元の本にあった出版界への苦言や提言が削られているのが少々残念です。
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