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宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【閑古堂の気まぐれ名画座】『羅生門』 今の時代だからこそ大いに刺さる、人間のエゴイズムについての鋭い洞察

2023-08-08 06:53:00 | 映画のお噂

『羅生門』(1950年 日本)
監督:黒澤明
製作:箕浦甚吾
企画:本木荘二郎
原作:芥川龍之介「薮の中」「羅生門」
脚本:黒澤明、橋本忍
撮影:宮川一夫
音楽:早坂文雄
出演者:三船敏郎、京マチ子、志村喬、森雅之、千秋実、上田吉二郎、本間文子、加東大介
DVD発売元:KADOKAWA


戦乱が続くなかですっかり荒れ果てていた、京の羅生門。そこで雨宿りをしていた木こりと旅の法師は、あとからやってきた下人に対して、自分たちが経験した不可解な話を語り始める。多襄丸という山賊が旅の夫妻を襲い、妻を犯された上に夫が殺されるという事件が起こったのだが、当事者の3人が証言した事件の経過はどれも違っていて、いったい何が真実であるのかわからない、というのだった・・・。

巨匠・黒澤明監督が、芥川龍之介の短篇小説「藪の中」と「羅生門」をもとに作り上げたミステリー調の時代劇映画で、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞と、アカデミー賞の名誉賞を受賞し、黒澤明の名を世界に知らしめた、まさしく不朽の名作です。テレビ放送と劇場での鑑賞に続き、今回のDVD鑑賞で3回目の鑑賞となります。
語り手によって違う様相を見せる一つの出来事を、多角的に描いていく手法は、あらためて観ても実に斬新でした。光と影を効果的に用いた撮影監督・宮川一夫氏による美しい映像も素晴らしく、唸らされました。
そしてキャスト陣。野生味あふれる多襄丸を演じた三船敏郎さんや、苦悩する(あるいは、どこか酷薄な感じの性格も見せる)武士の夫を演じた森雅之さんも素晴らしかったのですが、それぞれの話の中でまったく違うキャラを演じ分けている、京マチ子さんの卓越した芝居には、ただただ圧倒されるばかりでした。殺された夫の霊が、巫女の口を借りて「証言」するという設定も、なかなかユニークです。
自分の都合のいいように物事を語り、自らのメンツや「正しさ」を守ろうとする登場人物たち。それを通してあぶり出される人間のエゴイズムについての鋭い洞察は、今もなお全く古びることなく、有効性も失なわれていないと思いました。いやむしろ、偏った「正しさ」を振り回しては、それに反する(と決めつけた)他者を否定する風潮がまかり通っている「今」の時代だからこそ、大いに刺さるものがありました。
とりわけ、今回の鑑賞では上田吉二郎さんが演じた下人に対して、妙に共感するところ大でありました。それまでは、いかにも露悪的な態度と口ぶりの下人に、「こいつなんだかイヤミったらしい奴だなあ」と反感を持ったものでしたが、今回は逆に「そうそう、こいつの言う通りじゃねえか」と頷けたのです。露悪的でひねくれた人物であるからこそ、身も蓋もない世の中や人間の本質が見えていた・・・ということなのかもしれません。


「一体正しい人間なんているのかい?みんな自分でそう思ってるだけじゃねえのか?」

「人間というやつは自分の都合の悪いことは忘れちまう。都合のいい嘘を本当だと思ってやがんだ。その方が楽だからな」


千秋実さん演じる僧侶に向かって、下人が投げつけていた上のセリフは、今の世の中でもそっくり当てはまることじゃないのかと、つくづく思いました。
そのことを踏まえれば、志村喬さん演じる木こりが羅生門に捨てられていた赤ん坊を育てようと決意するラストは、いくらか理想主義的であるようにも思えてなりませんでした。決して理想主義やきれいごとで終わらないのが人の世の現実なのであって、あえて突き放したような終わりかたをしても良かったのではないか、と。
しかしそう思う一方で、愛おしげに赤ん坊を抱きかかえ、雨が上がって光が差してきた外へと歩み出していく木こりを捉えていくラストシーンに感銘を覚えたのも、また確かであります。黒澤監督がこのラストシーンに込めた、「人間を信じられなくなっては生きていけない」というメッセージもまた、もうひとつの人の世の現実であるから、なのかもしれません・・・。
観るたびに違った印象と感慨を抱かせてくれるというところもまた、『羅生門』が名作たるゆえん、といえましょうか。


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