NHKスペシャル 東日本大震災 『逆境からの再出発 ~高齢者を支える医師たちの挑戦~』
初回放送=10月25日(金)午後10時00分~10時49分
キャスター=鎌田靖 語り=高橋さとみ 制作=NHK仙台放送局
東日本大震災で甚大な被害を受けた東北の各地。その多くは、震災前から高齢化や医師不足といった問題を抱えていた地域でもありました。
震災は、そこに追い打ちをかけることになりました。あわせて94ヶ所の病院や診療所が全壊し、さらに震災後には働き口を求めて若い世代が流出し、高齢化は一気に加速しました。
そんな状況にある被災した地域で、いま新たな医療への模索が動き出しています。それらの動きは、超高齢化社会を迎えようとする日本の医療のあり方を先取りする試みとして、注目を集めるようになってきています。
この番組は、とてつもない逆境の中で、新たな地域医療を作り上げようとする医師たちの模索を追ったドキュメントです。
岩手県陸前高田市の県立高田病院。病棟の4階まで達した津波により、40人を超える医師や患者が亡くなり、医療機器やカルテも流されてしまいました。
当時院長だった石木幹人さんは、津波で妻を亡くしていました。さらに、残った医師や看護師の多くも、家族や友人を失っていました。そんな過酷な状況の中、残ったスタッフは震災の翌月から集まり、医療活動を再開しました。
病棟が使えなくなったスタッフが取り組んだのは、患者のもとに足を運ぶ訪問診療。患者の多くは高齢者でした。訪ねるべき患者がどこにいるかが掴みにくい中での訪問診療で見えてきたのは、医師にかかることもできないまま、生活習慣病などの持病を悪化させていた患者たちの姿でした。
震災から3ヶ月後の6月。高田病院の医師たちと、ケアマネージャーや市役所の保健師、理学療法士などの福祉関係者らが集まっての話し合いが行われました。医療と福祉のあらゆる職種が連携し、在宅の患者をサポートしていくという、地域をあげての「総力戦」が始まりました。
病院よりも住み慣れた自宅のほうがいきいきする、という高齢者に対しては、退院させた上で訪問診療によるサポートを実施しました。こちらも、福祉施設や地元開業医と密接に連携したサポートです。
石木さんは言います。
「(高齢化は)日本のどこでも一緒だし、世界を見てもそうなりかかっている。いま被災地でやっていることが、世界の標準になる可能性がある」
地域とのつながりを断ち切られた形で仮設住宅に入居し、その中で孤立している高齢者たちを支えるための医療を実践している医師もいます。
最も大きな津波被害を受けた、宮城県石巻市。その中でも最大の仮設住宅団地にある病院の院長・長純一さんは、仮設に暮らす高齢者のもとへ足を運んでは、一人につき30分にわたりじっくりと話を聞きます。体調だけでなく暮らし向きを知ることで、生活の中に病気のもとがないかどうかを探るためです。
そうしてじっくりと話を聞くことで見えてきたのは、孤立する中で追い詰められている高齢者の辛い胸の内であり、年老いた親をやはり年老いた子が介護する「老老介護」の実態でした。
医療だけでは限界がある、と長さんが医療活動ともに取り組んでいるのが、自治体の活動。高齢者同士が支え合うようなコミュニティを再生していこうとする試みです。
長さんは言います。
「患者は、病気や身体の問題だけではなく、心理的・社会的な問題も抱えたりしているので、そこをトータルに見る必要がある。被災者に対しては、現在置かれている劣悪な心理・社会状況も視野に入れなければ」
これからの医療を担っていく世代も、被災した地域で動き出した新たな模索の中で奮闘しています。
被災した直後の岩手県立高田病院に、一人の若き研修医が駆けつけてきました。当時の院長、石木幹人さんの長女である愛子さんです。消化器系の専門医を目指して盛岡の病院で研修を受けていましたが、被災して大変な状況にある父を助けたいと、高田病院にやって来たのです。
かくて、父親たちとともに、高齢者への訪問診療に奔走する日々が続いたのですが、愛子さんの気持ちは揺れていました。消化器系についての専門的な技術を学ぶことができないことで、同期の研修医と差がついていくのでは、という焦りがあったのです。
しかし、やがて愛子さんは、患者の病気だけではなく全体に目配りをする訪問診療に、やりがいと面白さを感じるようになっていきました。そして、高田病院で働き続けることを決意するに至ります。
愛子さんは言います。
「知識や技術だけではなく、いままで学ぶことのできなかった人間性の部分を学ぶことができるのは貴重だと思う」
「もう同期との差はどうでもよくなってきた。それを別のところで埋める自信もあるし」
愛子さんは現在も、高田病院で頑張っておられます。自らが立ち上げた「健康増進外来」で、あらかじめ健康管理をすることで病気を防ごうという取り組みをしているとか。
その高田病院には、全国から若き研修医たちが続々と集まり、訪問診療のノウハウを学び続けているのです。
これまでとはまったく異なる発想の医療に取り組んでいる医師もいます。
石巻市で訪問診療専門のクリニックを開業している武藤真祐さんは、MBAの資格を持つなどの異色の経歴を経てきた医師。ITを駆使して患者の容体などの情報を複数の支援者と共有したり、テレビ電話で東京の医師と治療方針について検討したり•••といった、先進的な医療の仕組みづくりに取り組んでいるのです。
武藤さんのことば。
「東京にも困っている人はいるけれども、ここ石巻にはもっと困っている人たちがいる」
あまりにも大きな犠牲と困難がのしかかってきた東北の地で、これからの日本、さらには世界の動きを先取りした、注目すべき医療の試みが動いている、ということに、心強さと希望を感じました。
震災は、これまでの大都市目線では見えにくかった、地方をめぐるさまざまな問題を顕在化させた面があります。その中には、地方のみならず日本全体の将来にもかかわる事柄もあります。医療や高齢化の問題がまさにそうでした。
ならば、露呈され突きつけられた課題に、これまでになかったような発想や方法論を動員した「総力戦」で挑んでいくことは、被災した地域の復興を加速させることはもちろん、国のあり方全体を変えていくことにもつながっていくのではないでしょうか。
被災した地域で動き出した新たな社会づくりへの動きが、日本全体を変えていくことを望みます。
初回放送=10月25日(金)午後10時00分~10時49分
キャスター=鎌田靖 語り=高橋さとみ 制作=NHK仙台放送局
東日本大震災で甚大な被害を受けた東北の各地。その多くは、震災前から高齢化や医師不足といった問題を抱えていた地域でもありました。
震災は、そこに追い打ちをかけることになりました。あわせて94ヶ所の病院や診療所が全壊し、さらに震災後には働き口を求めて若い世代が流出し、高齢化は一気に加速しました。
そんな状況にある被災した地域で、いま新たな医療への模索が動き出しています。それらの動きは、超高齢化社会を迎えようとする日本の医療のあり方を先取りする試みとして、注目を集めるようになってきています。
この番組は、とてつもない逆境の中で、新たな地域医療を作り上げようとする医師たちの模索を追ったドキュメントです。
岩手県陸前高田市の県立高田病院。病棟の4階まで達した津波により、40人を超える医師や患者が亡くなり、医療機器やカルテも流されてしまいました。
当時院長だった石木幹人さんは、津波で妻を亡くしていました。さらに、残った医師や看護師の多くも、家族や友人を失っていました。そんな過酷な状況の中、残ったスタッフは震災の翌月から集まり、医療活動を再開しました。
病棟が使えなくなったスタッフが取り組んだのは、患者のもとに足を運ぶ訪問診療。患者の多くは高齢者でした。訪ねるべき患者がどこにいるかが掴みにくい中での訪問診療で見えてきたのは、医師にかかることもできないまま、生活習慣病などの持病を悪化させていた患者たちの姿でした。
震災から3ヶ月後の6月。高田病院の医師たちと、ケアマネージャーや市役所の保健師、理学療法士などの福祉関係者らが集まっての話し合いが行われました。医療と福祉のあらゆる職種が連携し、在宅の患者をサポートしていくという、地域をあげての「総力戦」が始まりました。
病院よりも住み慣れた自宅のほうがいきいきする、という高齢者に対しては、退院させた上で訪問診療によるサポートを実施しました。こちらも、福祉施設や地元開業医と密接に連携したサポートです。
石木さんは言います。
「(高齢化は)日本のどこでも一緒だし、世界を見てもそうなりかかっている。いま被災地でやっていることが、世界の標準になる可能性がある」
地域とのつながりを断ち切られた形で仮設住宅に入居し、その中で孤立している高齢者たちを支えるための医療を実践している医師もいます。
最も大きな津波被害を受けた、宮城県石巻市。その中でも最大の仮設住宅団地にある病院の院長・長純一さんは、仮設に暮らす高齢者のもとへ足を運んでは、一人につき30分にわたりじっくりと話を聞きます。体調だけでなく暮らし向きを知ることで、生活の中に病気のもとがないかどうかを探るためです。
そうしてじっくりと話を聞くことで見えてきたのは、孤立する中で追い詰められている高齢者の辛い胸の内であり、年老いた親をやはり年老いた子が介護する「老老介護」の実態でした。
医療だけでは限界がある、と長さんが医療活動ともに取り組んでいるのが、自治体の活動。高齢者同士が支え合うようなコミュニティを再生していこうとする試みです。
長さんは言います。
「患者は、病気や身体の問題だけではなく、心理的・社会的な問題も抱えたりしているので、そこをトータルに見る必要がある。被災者に対しては、現在置かれている劣悪な心理・社会状況も視野に入れなければ」
これからの医療を担っていく世代も、被災した地域で動き出した新たな模索の中で奮闘しています。
被災した直後の岩手県立高田病院に、一人の若き研修医が駆けつけてきました。当時の院長、石木幹人さんの長女である愛子さんです。消化器系の専門医を目指して盛岡の病院で研修を受けていましたが、被災して大変な状況にある父を助けたいと、高田病院にやって来たのです。
かくて、父親たちとともに、高齢者への訪問診療に奔走する日々が続いたのですが、愛子さんの気持ちは揺れていました。消化器系についての専門的な技術を学ぶことができないことで、同期の研修医と差がついていくのでは、という焦りがあったのです。
しかし、やがて愛子さんは、患者の病気だけではなく全体に目配りをする訪問診療に、やりがいと面白さを感じるようになっていきました。そして、高田病院で働き続けることを決意するに至ります。
愛子さんは言います。
「知識や技術だけではなく、いままで学ぶことのできなかった人間性の部分を学ぶことができるのは貴重だと思う」
「もう同期との差はどうでもよくなってきた。それを別のところで埋める自信もあるし」
愛子さんは現在も、高田病院で頑張っておられます。自らが立ち上げた「健康増進外来」で、あらかじめ健康管理をすることで病気を防ごうという取り組みをしているとか。
その高田病院には、全国から若き研修医たちが続々と集まり、訪問診療のノウハウを学び続けているのです。
これまでとはまったく異なる発想の医療に取り組んでいる医師もいます。
石巻市で訪問診療専門のクリニックを開業している武藤真祐さんは、MBAの資格を持つなどの異色の経歴を経てきた医師。ITを駆使して患者の容体などの情報を複数の支援者と共有したり、テレビ電話で東京の医師と治療方針について検討したり•••といった、先進的な医療の仕組みづくりに取り組んでいるのです。
武藤さんのことば。
「東京にも困っている人はいるけれども、ここ石巻にはもっと困っている人たちがいる」
あまりにも大きな犠牲と困難がのしかかってきた東北の地で、これからの日本、さらには世界の動きを先取りした、注目すべき医療の試みが動いている、ということに、心強さと希望を感じました。
震災は、これまでの大都市目線では見えにくかった、地方をめぐるさまざまな問題を顕在化させた面があります。その中には、地方のみならず日本全体の将来にもかかわる事柄もあります。医療や高齢化の問題がまさにそうでした。
ならば、露呈され突きつけられた課題に、これまでになかったような発想や方法論を動員した「総力戦」で挑んでいくことは、被災した地域の復興を加速させることはもちろん、国のあり方全体を変えていくことにもつながっていくのではないでしょうか。
被災した地域で動き出した新たな社会づくりへの動きが、日本全体を変えていくことを望みます。
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