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『辞書には載らなかった 不採用語辞典』 「不採用語」から見えてくる時代と人びとの営み、そして辞書編纂の舞台裏

2016-07-10 20:33:45 | 本のお噂

『辞書には載らなかった 不採用語辞典』
飯間浩明著、発行=PHPエディターズ・グループ、発売=PHP研究所、2014年


ちょっと込み入った内容の本を読むときなどに「ウォーミングアップ」として読む本があります。どこからでも読み始めることができ、適当なところで中断もできて、読むとちょっと得するような知識や情報が得られるような書物です。
そんな「ウォーミングアップ」のつもりで読み始めてみたら、あまりの面白さにそのまま一気に読み切ってしまったのが、この『辞書には載らなかった不採用語辞典』であります。
著者の飯間浩明さんは、『三省堂国語辞典』(以下『三国』)の編纂者の一人。本書は辞書への収録を前提として採集されながらも、最終的には収録が見送られたことば151語を、その用例と意味、背景、そして不採用の理由をユーモア溢れる語り口で解説した辞典風の読みものです。

「はじめに」によれば、2014年に『三国』の第7版を作るにあたって飯間さんが集めたことばは、1万数千語。その半分以上を自ら「不採用」にして数千語にまで絞り込み、編集会議で提案されたそれらの何割かが、さらに不採用となってしまうのだとか。
では、不採用になったことばはムダなものなのかといえば、けっしてそんなことはないと飯間さんは言います。現在は定着していないようなことばでも、後になって広まる可能性がありますし、既存の項目の改善のために参考になる用例もあり、「気になったら、とにかく採集する」ことが、用例採集の鉄則なのだ、と。
本書で一番最初に紹介されている「アガる」は、まだ定着していない時期に採集されながらも、最終的には用例として採用されたことばの例として、あえて取り上げられております。
逆に、以前は項目として収録されていたものの削られてしまったことばも。まだ海外旅行が制限されていた時代、代議士や芸能人などが箔をつけるためにアメリカへ行く風潮をからかった「アメション」なることばは、いまや現代語として意味をなさなくなったと判断して削ったとのこと。・・・このことばは初めて知ったな、わたしも。

「意味不明」の略語である「イミフ」や、自傷行為を指す「ジショラー」、やるといいつつもなかなかやらないことを指す「やるやる詐欺」・・・。これらは確かにことばとしては面白いけれども、まだまだ辞書に収録するのは早い流行語的な言い回しかなあ、と思えます。
その一方で、これは辞書に載っていてもおかしくないのでは?というようなコトバもいくつかあって興味を引きます。ひとつ例を挙げれば「空き家」。ここでは夫や恋人のいない女性を指す品の悪い言い回しを指し(男性には使われない)、性的な意味も含まれているがゆえに、「性的な俗語はなかったことにする」という『三国』の方針で、その意味を書き加えることは見送られた、とのこと。このように、本書の至るところで辞書編纂の舞台裏を垣間見ることができ、その点でも興味深いものがありました。
辞書編纂者としての飯間さんの矜持がにじみ出ている箇所もありました。飲酒運転防止のため、酒を飲まない運転役をあらかじめ決めておくことを指す、オランダ発祥の「ボブ運動」なることば。飯間さんが教えている大学で授業を取っていた留学生から、「国語辞典に載せて、運動を広めたら」と教えられたこのことばについて飯間さんは、飲んだら運転しないルールは徹底すべきだとしながらも、「ボブ運動」は辞書に載るほど知られているとは言えないとした上で、こう述べます。

「国語辞典は何かの運動のために作るものではありません。あくまで、世の中に広まったことばを載せるのです」

毅然として述べられている、こういった飯間さんの辞書編纂者としての矜持を、わたしは実に好ましく思いました。

見慣れたコトバであっても、思いがけないような意味が付与されていることも本書は教えてくれます。例えば「フンドシ」は、駅売店の夕刊紙のかごに垂らした見出しを示す幕、を指す言い回し。また「サンライズ」は、広島や京都ではメロンパンを指す方言的コトバでもあるんだとか。
方言といえば、地域のみならず雑誌や企業、さらには家庭内における独特の「方言」的な言い回しもいくつか取り上げられているのも面白いところでした。「エレガントな」を縮めた「エレな」は、雑誌『ヴァンサンカン』を中心に使われている「雑誌方言」、「能力増強」の略である「能増」は、トヨタ自動車を発祥として自動車業界や製造業一般で使われている「企業内方言」、といった具合。
宮崎住まいの九州人の端くれとして大きな発見だったのは、「負担」「自腹」を意味する「手出し」ということばが、れっきとした九州の方言であるということでありました。わが宮崎でも、「自腹を切る」という意味で「手出し」という言い回しを普通に用いておりますので、てっきり全国的にも通じる言い回しだと思い込んでおりました。そうか、“九州語” であったのか、「手出し」って・・・。

新聞雑誌、小説、テレビ番組、映画、ネット掲示板、大学生のレポート、バスの車中での会話、さらには著者自身の日記・・・といったバラエティに富んだ用例も面白いものがありました。
お金を賭けるという意味の「握る」の用例は伊丹十三監督の映画『ミンボーの女』(1992年)の1シーン。また、ニュースで良く耳にする「疑いを確認」という言い回しの用例は、2010年にわが宮崎県を襲った口蹄疫の被害を伝えたNHKのニュース番組。ああそういえばあの頃、頻繁にそんな言い回しを耳にしたなあと、宮崎人としては苦い記憶も蘇りましたが・・・「確認」できないからこそ「疑い」なのでは、という著者の見解を読むと、確かにちょっと変な言い回しかなあ、などと思ったりもいたしました。

「ウォーミングアップ」のつもりで軽く読み始めた本書でしたが、ことばは時代や人びとの営みを鮮やかに反映する恰好の資料であることを再認識させてくれるとともに、興味深い辞書編纂の舞台裏も垣間見せてくれる好著でした。
ちょこちょこ読むうちにいろんな発見ができて得した気分になれる本書のような書物って、いいですよねえ。考えてみれば、辞書・事典という書物自体が、そういう性質を持った書物でもあるわけで。
ということで、なんだか『三省堂国語辞典』も拾い読みしてみたくなってきたわたしなのでありました。


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