日本写真家協会によって「写真の日」に制定されている、一昨日の6月1日。Facebookを通じて、わが宮崎の人たちに向けて一つのイベントの呼びかけがなされました。
「6月1日の0時より、翌0時までの24時間、宮崎の記憶を写真で記録として未来に残そう」
呼びかけを行ったのは、宮崎で活躍されているプロのカメラマンの方々でした。ことさら難しく考えず、身の回りのことを記録した写真を撮影場所と時間、そしてコメントとともに特設のFacebookページへどんどん投稿してほしい、というのです。
わたくしのもとにも、やはりカメラマンをやっている高校時代の友人から、このイベントへのお誘いがございました。カメラマンでもなんでもない単なる平民であるわたくしではありますが、なかなか魅力的で面白そうな企画だと思い、及ばずながら参加させていただくことにいたしました。
最初に開設されたページでは投稿がうまく表示されない、とのことで、急遽新たなグループを設けるという展開となり、結果的に人びとからの投稿は2つのページに収まることとなりました。
(関心のある向きは、「2015年6月1日 24時間の宮崎。写真の日イベント」のFacebookページおよび、その後に開設された「2015年 写真の日イベントのグループ!」を検索の上、覗いてみてくださいませ)
わたくしも、2つのページを合わせて7枚のつたない写真を、コメントとともに投稿させていただきました。以下に、そのすべてを再録しておきます。
7時10分。ちょっと蒸し暑い朝の、大塚町の風景。
たとえば、今から10年後、20年後。この朝な夕なに見慣れた風景はどのように変わっていることでしょうか。あるいは、それほど変わらないでいるのでしょうか。
8時15分、宮崎市の糸原にて。このマークがついているってことは•••高齢者専用ガードレールということなのか(笑)。
11時55分。晴れた空の下で、大淀川河川敷はきょうも、穏やかな眺めが広がっております。•••けっこう蒸し暑くなってますけども。
13:30 宮崎市役所の近くを流れる川沿いに咲く紫陽花。だいぶ、いい色合いになってまいりました。
明日からの宮崎の週間予報は雨マークがズラリ。どうやら、梅雨入りまで秒読み段階、のようですね。
19:00 天神山公園から見た、夕暮れ時の宮崎市内。
なんか、こういう場所でこういう光景を眺めてると、なんとはなしに郷愁を感じたりするんだよなあ。
20:00 自宅にて。
最近のウチ飲み晩酌によく登場する取り合わせ。爽快感ある味と香りが、蒸し暑い時期にピッタリな「日向木挽BLUE」と、約15種類のスパイスを使った味付けがお酒をぐいぐい進ませてくれる「みやざき てげなポテトチップス」。
今夜もサケがうまいぞ~!
21:35 自宅にて。
このイベントの原型となった、1990年刊の『264時間の宮崎』の写真集を読み返しております。
パフォーマンス的な写真もいくつかはあるものの、ほとんどは何気ない街の風景や、ごく普通の人びとの姿を撮影したもの。ですが、それらの中には、今では見られなくなった光景や建物も写り込んでいたりして、なかなか貴重な記録にもなっているんですよね。
今回のこのイベントに集まった写真の数々にも、街の様子や人びとの姿が、それぞれの形で写し出されていて、見ているとすごく楽しいですし、ありのままの宮崎を捉えたいい記録にもなっているように思うのです。
楽しい企画に参加させていただくことができて、とても嬉しく思います。
この企画が、これからもずっと続いていけばいいなあ。
そう。このイベントには、原型となった試みがありました。宮崎県写真家協会が企画し、1990年から2000年までの11年間、6月1日の24時間を記録して後世に残そうと呼びかけた「264時間の宮崎」。この時もプロの写真家はもちろん、一般の方々からもさまざまな写真が寄せられました。
わたくしの手元には、その初年である1990年の6月1日を記録した写真をまとめた写真集が残っております。
撮影場所と時刻のみが記され、アトランダムに配列された数多くの写真。中にはパフォーマンス的な趣向を凝らしたものもありますが、ほとんどはなにげない街の風景や人びとの姿を、ありのままに撮影したものです。
25年の歳月を経て、あらためてこの写真集を繙いていると、今では見られなくなった風景や建物を捉えた写真や、当時の人びとの生活感を切り取った写真をそこかしこに見ることができて、まことに興趣深いものを覚えました。
特別な存在でもない、ありふれていてなにげない風景や人びとを捉えた写真が、実は後世から見れば貴重な記録ともなり得るのだ、ということを、25年前の「264時間の宮崎」の写真群は教えてくれました。
翻って、今回の「写真の日イベント」。ここに集まった多くの写真も、なにげない街や自然の風景、身の回りの人たちをありのままに写し取ったものが大半でしたが、それぞれの写真から、2015年6月1日現在の宮崎と、そこに生きる人たちの息吹きがいきいきと感じられて、こちらもまた興趣の尽きないものがありました。さらに、それらの写真に添えられた皆さんのコメントからも、それぞれの方々の生活感や思いが滲んでいて、目を通しながら幾度も顔がほころんでくるような思いがいたしました。
プロのカメラマンはもちろん、さまざまな属性を持った方々がたくさん参加したことで、視点も多様でバラエティに富んだものとなり、拡がりをもった形で「宮崎の現在」を知ることができたように思います。
Facebookにおける「友だち」でもなければ、とりたてて接点がある方々でもないけれど、「宮崎の1日を写真で残そう」という思いのもとに集まった、たくさんの方々による多様な視点や思いに触れることができた、ということは、このイベントに参加することで得られた収穫でした。
ヘタをすれば単なる「リア充自慢」や、「おかしなデマばなしの拡散ツール」に傾きがちなFacebookではありますが(まあ、他のSNSもそうなのかもしれませんが)、こういう使い方をすれば大いに「活きてくる」のかもしれないな、という思いも持ったりいたしました。
フィルム撮影が主体であった、かつての「264時間の宮崎」の頃からすると、写真を撮る手段も変化してきております。デジタルカメラの普及はもとより、ケータイやスマートフォン、タブレットといったツールの進歩によって、誰もが気軽に写真を楽しむことができるようになりました(実のところ、今回わたくしが投稿した写真も、すべてiPadで撮影したものです)。
撮影するツールの変化によって多様化した視点と個性で記録された、一つの地域とそこに生きる人たちの息吹きを捉えた写真をまとめ、後世に伝えていくことはとても面白く、かつ意義深いものがあるように思います。
この「写真の日イベント」、来年以降も続けていくのだとか。また、2015年6月1日の写真記録は、こちらのホームページにまとめられるとのことで、楽しみであります。
このイベントが多くの宮崎の方々に知られていくことで、さらに多様な視点による「宮崎のいま」を記録した写真が集成され、後世に向けての貴重な財産となっていくことを、願ってやみません。
「6月1日の0時より、翌0時までの24時間、宮崎の記憶を写真で記録として未来に残そう」
呼びかけを行ったのは、宮崎で活躍されているプロのカメラマンの方々でした。ことさら難しく考えず、身の回りのことを記録した写真を撮影場所と時間、そしてコメントとともに特設のFacebookページへどんどん投稿してほしい、というのです。
わたくしのもとにも、やはりカメラマンをやっている高校時代の友人から、このイベントへのお誘いがございました。カメラマンでもなんでもない単なる平民であるわたくしではありますが、なかなか魅力的で面白そうな企画だと思い、及ばずながら参加させていただくことにいたしました。
最初に開設されたページでは投稿がうまく表示されない、とのことで、急遽新たなグループを設けるという展開となり、結果的に人びとからの投稿は2つのページに収まることとなりました。
(関心のある向きは、「2015年6月1日 24時間の宮崎。写真の日イベント」のFacebookページおよび、その後に開設された「2015年 写真の日イベントのグループ!」を検索の上、覗いてみてくださいませ)
わたくしも、2つのページを合わせて7枚のつたない写真を、コメントとともに投稿させていただきました。以下に、そのすべてを再録しておきます。
7時10分。ちょっと蒸し暑い朝の、大塚町の風景。
たとえば、今から10年後、20年後。この朝な夕なに見慣れた風景はどのように変わっていることでしょうか。あるいは、それほど変わらないでいるのでしょうか。
8時15分、宮崎市の糸原にて。このマークがついているってことは•••高齢者専用ガードレールということなのか(笑)。
11時55分。晴れた空の下で、大淀川河川敷はきょうも、穏やかな眺めが広がっております。•••けっこう蒸し暑くなってますけども。
13:30 宮崎市役所の近くを流れる川沿いに咲く紫陽花。だいぶ、いい色合いになってまいりました。
明日からの宮崎の週間予報は雨マークがズラリ。どうやら、梅雨入りまで秒読み段階、のようですね。
19:00 天神山公園から見た、夕暮れ時の宮崎市内。
なんか、こういう場所でこういう光景を眺めてると、なんとはなしに郷愁を感じたりするんだよなあ。
20:00 自宅にて。
最近のウチ飲み晩酌によく登場する取り合わせ。爽快感ある味と香りが、蒸し暑い時期にピッタリな「日向木挽BLUE」と、約15種類のスパイスを使った味付けがお酒をぐいぐい進ませてくれる「みやざき てげなポテトチップス」。
今夜もサケがうまいぞ~!
21:35 自宅にて。
このイベントの原型となった、1990年刊の『264時間の宮崎』の写真集を読み返しております。
パフォーマンス的な写真もいくつかはあるものの、ほとんどは何気ない街の風景や、ごく普通の人びとの姿を撮影したもの。ですが、それらの中には、今では見られなくなった光景や建物も写り込んでいたりして、なかなか貴重な記録にもなっているんですよね。
今回のこのイベントに集まった写真の数々にも、街の様子や人びとの姿が、それぞれの形で写し出されていて、見ているとすごく楽しいですし、ありのままの宮崎を捉えたいい記録にもなっているように思うのです。
楽しい企画に参加させていただくことができて、とても嬉しく思います。
この企画が、これからもずっと続いていけばいいなあ。
そう。このイベントには、原型となった試みがありました。宮崎県写真家協会が企画し、1990年から2000年までの11年間、6月1日の24時間を記録して後世に残そうと呼びかけた「264時間の宮崎」。この時もプロの写真家はもちろん、一般の方々からもさまざまな写真が寄せられました。
わたくしの手元には、その初年である1990年の6月1日を記録した写真をまとめた写真集が残っております。
撮影場所と時刻のみが記され、アトランダムに配列された数多くの写真。中にはパフォーマンス的な趣向を凝らしたものもありますが、ほとんどはなにげない街の風景や人びとの姿を、ありのままに撮影したものです。
25年の歳月を経て、あらためてこの写真集を繙いていると、今では見られなくなった風景や建物を捉えた写真や、当時の人びとの生活感を切り取った写真をそこかしこに見ることができて、まことに興趣深いものを覚えました。
特別な存在でもない、ありふれていてなにげない風景や人びとを捉えた写真が、実は後世から見れば貴重な記録ともなり得るのだ、ということを、25年前の「264時間の宮崎」の写真群は教えてくれました。
翻って、今回の「写真の日イベント」。ここに集まった多くの写真も、なにげない街や自然の風景、身の回りの人たちをありのままに写し取ったものが大半でしたが、それぞれの写真から、2015年6月1日現在の宮崎と、そこに生きる人たちの息吹きがいきいきと感じられて、こちらもまた興趣の尽きないものがありました。さらに、それらの写真に添えられた皆さんのコメントからも、それぞれの方々の生活感や思いが滲んでいて、目を通しながら幾度も顔がほころんでくるような思いがいたしました。
プロのカメラマンはもちろん、さまざまな属性を持った方々がたくさん参加したことで、視点も多様でバラエティに富んだものとなり、拡がりをもった形で「宮崎の現在」を知ることができたように思います。
Facebookにおける「友だち」でもなければ、とりたてて接点がある方々でもないけれど、「宮崎の1日を写真で残そう」という思いのもとに集まった、たくさんの方々による多様な視点や思いに触れることができた、ということは、このイベントに参加することで得られた収穫でした。
ヘタをすれば単なる「リア充自慢」や、「おかしなデマばなしの拡散ツール」に傾きがちなFacebookではありますが(まあ、他のSNSもそうなのかもしれませんが)、こういう使い方をすれば大いに「活きてくる」のかもしれないな、という思いも持ったりいたしました。
フィルム撮影が主体であった、かつての「264時間の宮崎」の頃からすると、写真を撮る手段も変化してきております。デジタルカメラの普及はもとより、ケータイやスマートフォン、タブレットといったツールの進歩によって、誰もが気軽に写真を楽しむことができるようになりました(実のところ、今回わたくしが投稿した写真も、すべてiPadで撮影したものです)。
撮影するツールの変化によって多様化した視点と個性で記録された、一つの地域とそこに生きる人たちの息吹きを捉えた写真をまとめ、後世に伝えていくことはとても面白く、かつ意義深いものがあるように思います。
この「写真の日イベント」、来年以降も続けていくのだとか。また、2015年6月1日の写真記録は、こちらのホームページにまとめられるとのことで、楽しみであります。
このイベントが多くの宮崎の方々に知られていくことで、さらに多様な視点による「宮崎のいま」を記録した写真が集成され、後世に向けての貴重な財産となっていくことを、願ってやみません。
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