旅好き人間の端くれであるわたしにとって、ここ半年あまりは本当にフラストレーションが溜まりまくりでした。「新型コロナウイルス感染拡大防止」という大義名分のもと、他県への移動が制限されたことに加え、制限が解除になったあとになってもなお、コロナへの過剰な警戒心や怯えから、旅行やレジャーを楽しむこと自体が「罪悪」やら「キケンな行為」やらであるかのようにみなされる風潮が、いまだに根強くあったりするのですから。まことにいまいましい限りであります。
・・・ところがそれは長くは続かず、線路は内陸のほうへと入っていき、あまつさえ途中には長〜いトンネルまであったりして、海の風景はあまり見えなかったのであります。そう、日南海岸沿いは平地が少ないこともあって、日南線も内陸やトンネルを走り抜ける距離が長かったりするのです。実は日南線に乗るのが今回初めてで、乗る前までずっと「日南線=海」という勝手なイメージをもっていたわたしは、ちょっと拍子抜けでありました。
そして、本町通りから一歩奥の通りに入り込むと、そこには歴史を感じさせる石垣と建物が、細い道に沿って並んでいました。同じ宮崎に住みながら、これまで一度も飫肥を訪れたことがなかったわたしは、静かな風情を漂わせたその風景にたちまち魅せられました。もっと早く、ここを訪れておけばよかったなあ・・・そう思いました。
炭火で1時間、じっくりと焼き上げてつくられる厚焼き卵。とろけるような口当たりは、まるでプリンのよう。そこから、卵のしっかりした味わいが口いっぱいに広がってきます。この美味しさにはすっかりやられました。
大手門前で入場券を購入すると、まずは城の外にある「豫章館」(よしょうかん)へ。廃藩置県により城に住めなくなった、旧藩主の伊東家が移り住んだ屋敷です。城を追い出されてやむを得ず移り住んだ屋敷とはいえ、ご当地産の銘木・飫肥杉を使って建てられた建物はなかなか立派な造りになっていて、庭も広々としております。
そしていよいよ大手門をくぐって城内へ。少し奥に進むと「しあわせ杉」と記された案内板が見えました。なんでも、4本の杉がつくる対角線の中心に立つと「幸せパワーがもらえる」んだそうな。ならば・・・と大体の見当をつけて、その中心に立ってみました。これで少しは運が良くなる・・・でしょうか。
そこからさらに奥に進むと、なにやら子どもたちの元気な声が。そのほうに目を向けると、城内にある飫肥小学校のグラウンドで、少年野球チームが練習に励んでおりました。そのさらに奥のほう、小高くなっている場所が、飫肥城の本丸があった場所です。
深閑とした杉林の中から、歴史をつくった者たちの息吹きが、子どもたちの元気な声に混じってかすかに感じられた・・・ように思えました。
そんなわけで、当初は5月のゴールデンウィークだった予定を延期して、9月の連休に予定していた熊本への旅行は、再度延期という決断をいたしました。もう本当に残念ですし、悔しくてなりません。
とはいえ、連休中どこにも出かけないままというのも実につまらないことですので、せめてもの憂さ晴らしに近場まで日帰りのお出かけをやろうと思い立ちました。そんなわけで、9月21日(月曜)に宮崎県南部の日南市へと、日帰りプチ旅行に行ってまいりました。今回はそのプチ旅行のお噂を、2回に分けてご報告することにいたします。
当日の朝、早起きして窓の外を見るとけっこう濃い霧が。わたしは身支度を整え、配車してもらったタクシーに乗り込むと、濃い霧を突っ切って宮崎駅へと向かいました。そして午前6時40分過ぎ、日南線の普通列車で日南へと出発いたしました。
たとえ目的地が近場であっても、鉄道での旅の始まりというのはやはりワクワクするもの。わたしはホッとひと息つくと、駅構内のコンビニで買った缶ビールを、朝食がわりのハムカツサンドとともにグビリと飲んだのであります。・・・もうコレは、鉄道旅をはじめるにあたっての〝儀式〟みたいなもんで(笑)。
宮崎市南部の青島を過ぎたあたりから、窓の外に海の景色が見えてきて、いやがおうにも気分が高まります。
・・・ところがそれは長くは続かず、線路は内陸のほうへと入っていき、あまつさえ途中には長〜いトンネルまであったりして、海の風景はあまり見えなかったのであります。そう、日南海岸沿いは平地が少ないこともあって、日南線も内陸やトンネルを走り抜ける距離が長かったりするのです。実は日南線に乗るのが今回初めてで、乗る前までずっと「日南線=海」という勝手なイメージをもっていたわたしは、ちょっと拍子抜けでありました。
そんなわたしのマヌケな気持ちには関係なく列車は進み、宮崎駅を出発してから1時間20分ほどで日南市の飫肥駅に到着。そこから徒歩で飫肥の中心部に向かいました。
「九州の小京都」とよばれる町のひとつである飫肥は、かつて島津氏ともあい争っていた伊東氏が所領していた飫肥城のもとに築かれた城下町です。町には、城下町の歴史を物語る建物や石垣が多く残されていて、昭和52(1977)年には九州で初めて、国から「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。
広々とした国道222号線沿いの本町通りに入ると、往時を偲ばせる建物が目についてきました。
そして、本町通りから一歩奥の通りに入り込むと、そこには歴史を感じさせる石垣と建物が、細い道に沿って並んでいました。同じ宮崎に住みながら、これまで一度も飫肥を訪れたことがなかったわたしは、静かな風情を漂わせたその風景にたちまち魅せられました。もっと早く、ここを訪れておけばよかったなあ・・・そう思いました。
武家屋敷と石垣が立ち並ぶ細い道の脇には水路があって、そこには色鮮やかな錦鯉が泳いでいました。錦鯉もきれいなのですが、流れる水が澄みきっていることにも、目を見張らされました。
水面を覗き込むと、鯉たちがいかにもエサをねだるかのように口をパクパクさせながら集まってきたりして、可愛いのであります。なにかエサでもあげたくなるのですが、ここでは勝手にエサをやったりするのは一切ご法度。でも、そんな鯉たちの様子を眺めているだけで、気持ちが和みました。
やっぱりこの町に来てよかった・・・そんな思いがじわじわと、気持ちを満たしていくのを感じました。
飫肥の名物として名高いのが、厚焼き卵。SNSで飫肥に行くと言ったところ、TwitterとFacebookそれぞれの友だちから「ぜひ厚焼き卵を食べてみて」とのおススメがあったりしたので、まずはそれを賞味してみることに。わたしは、Twitter友だちから教えていただいていた本町通り沿いの厚焼き卵店「おびの茶屋」さんに入り、冷たい緑茶とともに焼きたての厚焼き卵を賞味いたしました。
炭火で1時間、じっくりと焼き上げてつくられる厚焼き卵。とろけるような口当たりは、まるでプリンのよう。そこから、卵のしっかりした味わいが口いっぱいに広がってきます。この美味しさにはすっかりやられました。
これはほんとプリンみたいな美味しさですね!と言うと、卵を焼いていた店主の男性は、「そうなんですよ、これは焼きたてよりも、冷やしてデザートみたいにして食べるともっと美味しいんですよ」とおっしゃいました。なるほど、確かにこれは冷やしていただくと、さらに違った美味しさになるのではないかと思えました。
小さいながらもよく知られているお店のようで、店内にはお店を取り上げた新聞記事などのコピーが貼られておりました。店内で賞味していると、近所にお住まいとおぼしきおばあちゃんが入ってきて、一包み買っていかれました。地元の皆さんにも親しまれているようです。
「今はもう、炭火でやっているのはウチだけになっちゃいましたね。でも、ウチはやっぱりこれでいきたいなと」と店主さん。そんな愚直なこだわりが、厚焼き卵の美味しさを一層高めているのではないかと、わたしには思えました。
すごく美味しかったです、また来ます!・・・店主さんにそう言って、わたしはお店をあとにいたしました。ほんと、ここはまた必ず立ち寄ろうと思っております。・・・というか、お土産に一包み買って帰ればよかったなあ・・・(激しく後悔中)。
厚焼き卵で散歩じたくを済ませたわたしは、いよいよ飫肥城址へと向かいました。
大手門前で入場券を購入すると、まずは城の外にある「豫章館」(よしょうかん)へ。廃藩置県により城に住めなくなった、旧藩主の伊東家が移り住んだ屋敷です。城を追い出されてやむを得ず移り住んだ屋敷とはいえ、ご当地産の銘木・飫肥杉を使って建てられた建物はなかなか立派な造りになっていて、庭も広々としております。
そしていよいよ大手門をくぐって城内へ。少し奥に進むと「しあわせ杉」と記された案内板が見えました。なんでも、4本の杉がつくる対角線の中心に立つと「幸せパワーがもらえる」んだそうな。ならば・・・と大体の見当をつけて、その中心に立ってみました。これで少しは運が良くなる・・・でしょうか。
そこからさらに奥に進むと、なにやら子どもたちの元気な声が。そのほうに目を向けると、城内にある飫肥小学校のグラウンドで、少年野球チームが練習に励んでおりました。そのさらに奥のほう、小高くなっている場所が、飫肥城の本丸があった場所です。
そこはいま、樹齢100年を越えるという杉の木が高々と聳える森になっています。その中に立つと、なんだかふっと気持ちが落ち着きました。
深閑とした杉林の中から、歴史をつくった者たちの息吹きが、子どもたちの元気な声に混じってかすかに感じられた・・・ように思えました。
(つづく)
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