ETV特集『鬼の散りぎわ ~文楽・竹本住大夫 最後の舞台~』
初回放送=2014年6月21日(土)午後11時00分~11時59分、NHK・Eテレ
語り=國村隼 製作=NHK大阪放送局
人形浄瑠璃文楽で長年活躍した、人間国宝の竹本住大夫さん、89歳。
勇ましい武将から貧しい町人、老婆から生娘まで、あらゆる人物を一人で語り分ける名人にして、自他ともに厳しい稽古を課す「文楽の鬼」でもあった住大夫さんは、この春の引退公演をもって舞台生活に幕を下ろしました。
住大夫さんは一昨年前、脳梗塞により倒れ、再起を絶望視されながらも、執念のリハビリにより奇跡の復活を遂げました。そして、引退公演を自身の芸の集大成としてやり遂げるべく、最後の力を振り絞ります。
番組は、最後の舞台に挑みながらも、文楽を次の世代へとつないでいこうとする、住大夫さんの引き際の姿をみつめていきます。
文楽一筋に生きてきた住大夫さんに転機が訪れたのは、2012年7月のことでした。大阪市が突然、文楽への補助金を削減することを打ち出し、その対策に奔走していた最中でした。
「もう泣いたで、はじめは。これはもう辞めなならん、て」と、当時の思いを語る住大夫さん。その後回復はしたものの、復帰はほぼ絶望視されていました。そんな中でも住大夫さんは地道に発声練習やトレーニングを重ね、引退公演にすべてを賭けようと奮闘していました。
今年3月。まだ右半身にマヒが残る住大夫さんが発声練習に励んでいました。発語にもまだ不自由さが残っており、「ラ行が言いにくい」と言います。
発声練習とともに、1kmのウォーキングを週2回重ねていた住大夫さんは、取材者にこう語ります。
「ここまで回復したのは奇跡っていわれますがね、せやけど、もうちょっとね、上に行きたいね」
住大夫さんが引退公演に選んだ演目は『菅原伝授手習鑑』。菅原道真の失脚を題材にしたこの演目は、住大夫さんが長年かけて磨き上げてきた愛着のあるものでした。住大夫さんが語るのは、その山場である“桜丸切腹の段”。
浄瑠璃において、「音」がいかに大切なのかを、住大夫さんは熱っぽく語ります。
「『音』で伝えたらお客さんに伝わって、泣いたり、笑うたりしはる」
会場の隅々にまで届くような、豊かな声量とメリハリを取り戻すことができるのか。それが、住大夫さんの課題でした。
大正13年、“お初天神”のそばで生まれた住大夫さん。父は、文楽で初の人間国宝となった六世・竹本住大夫でした。住大夫さんは、その父のもとで日常的に浄瑠璃に接し続けていました。
「(父は)布団の中でも笑いの稽古をしていたし、便所の中でも浄瑠璃を語っていた」
当時の大阪では、人形浄瑠璃は庶民にとって娯楽の王座でした。日常の会話にも浄瑠璃の言葉が入っていて、それだけ庶民の間にも普及していた、と住大夫さんは当時を振り返ります。
引退公演の20日前。三味線を入れての稽古に臨む住大夫さんは、いつになく弱気になっていました。いざ稽古に入っても腹に力が入らずに声が伸びず、息も長く続きません。「ああしんど」「息が続かへん」と、その口からも弱音がこぼれます。
「ああやろうこうやろうと、そんなこと思ってたらあかん。そんなもんと違う、これは」と、台本を叩きながらもどかしい気持ちをぶつける住大夫さん。そして、弱々しい声でこう言います。
「情けないわ、ほんまに、情けないわ。こんな浄瑠璃語ったら」
住大夫さんは、89歳の体に鞭打ってトレーニングに励むことにしました。腹の力を取り戻し、伸びやかな声を出すためのトレーニングでした。住大夫さんは言います。
「舞台出たら息を出して声をぶつけるぐらいじゃないと、お客さんは感動しない」
先輩から代々受け継がれてきた芸を、次の世代へと引き継いでいこうとする住大夫さんは、引退公演の稽古と並行して、3人の弟子へ稽古をつけていました。
浄瑠璃歴30年の中堅どころの弟子に、住大夫さんは厳しく稽古をつけます。特に厳しく注意をするのは、やはり音遣いのことでした。
「音が高い!なんで音上げんねん。しっかりせえ!」
弟子を叱り飛ばす住大夫さんのものすごい気迫。恐ろしくなるほどの鋭い眼光。額から汗を流しながら、必死に師匠の要求に応えようとする弟子。真剣勝負の稽古は、みっちり1時間半に及びました。
住大夫さんは、文楽の裾野を拡げようと、カルチャースクールで一般の人たちへの浄瑠璃読みの指導も行なっていました。引退に伴い、そちらのほうも辞めるということを聞かされると、涙ぐむ参加者の姿も。
しかしいざ練習に入ると、住大夫さんは一般の人たちだからといって手加減はしません。「本読みが足らん。もっと本読みをしないと」と参加者を叱り飛ばす姿は、弟子に対してよりは幾分ソフトにも見えましたが、それでもかなり厳しいものでした。こちらのほうも、エネルギッシュに2時間をこなす住大夫さんでした。
練習の終了間際。引退公演に臨む住大夫さんの体調を気遣った参加者が、もうそろそろ切り上げては、というのに対して、住大夫さんは「まだ時間あるがな」と続ける気まんまん。そんな自らの性分を、住大夫さんはこのように言います。
「やっぱり、根が(浄瑠璃)好きやねん。なんでも好きにならないかんな」
引退公演の前日。大阪の会場である国立文楽劇場で通し稽古が行われました。会場の隅々にまで声が届いているのかどうか、息はちゃんと出ているのか、一つ一つ念入りに確かめる住大夫さん。
「浄瑠璃って難しいわ。だから、一生懸命練習すんねん」
その日、満開となった自宅の前の桜の花を妻とともに眺める住大夫さん。これまで、公演の稽古などもあって、こうしてゆっくりと桜を眺めたことはなかった、と言います。
住大夫さんいわく「ええ評論家、ええ批評家」として、厳しく、そして温かく住大夫さんの芸を見てきた妻は言います。
「お稽古をしてきてくれたおかげで、ここまでこれたと思いますね」
4月。大阪での引退公演初日。
チケットは早い時期から売り切れとなり、会場は大入り満員。楽屋には、住大夫さんに別れを告げるお客が引きも切りませんでした。
共演する人形遣いの人間国宝、吉田簑助さんが楽屋を訪れます。60年、苦楽をともにしてきた住大夫さんの引退に「寂しい」と言い涙ぐむ簑助さん。住大夫さんも「寂しい•••一緒に苦労してきた仲やねん」と言い、涙ぐむのでした。
公演が始まり、やがて山場の“桜丸切腹の段”にさしかかります。住大夫さんが登場すると、会場は一際大きい万雷の拍手。そして「待ってました!」という掛け声。
声に張りを取り戻した、住大夫さん渾身の「情」に溢れた語りは悲劇を引き立たせ、観客の涙を絞ったのでした。
終幕後、舞台で挨拶した住大夫さんは、観客にこう語りました。
「ほんまにね、私ね、いい星の下に生まれましたわ」
「大阪で生まれ育った文楽を、これからもよろしくお願いします」
そして、人形を前にして「おおきに、ありがとう」と、声を詰まらせて涙したのでした。
引退公演の終了後、取材者は住大夫さんを自宅に訪ねます。
「ほっとした反面、寂しいわ」と心境を語った住大夫さん。しかし、そのあと臨んだのは弟子への稽古。文楽を次につなぐべく、弟子たちへの稽古は従前通り続けていたのです。
弟子を叱り飛ばす声も、鋭い眼光も、引退前と何も変わることはありませんでした。
「しっかりせえ!」
芸一筋に生き、芸を磨き上げてきた名人の気迫と執念に、ひたすら圧倒される思いがいたしました。
とりわけ、弟子を叱り飛ばすときの恐ろしいほどの眼光の鋭さには、鬼気迫るものすらありました。「文楽の鬼」という異名は、けっして大げさなものではありませんでした。
そこには代々受け継がれ、守ってきた芸を、次へとしっかり繋いでいこうとする強烈な意思をじんじん感じました。
長年の芸道人生に裏打ちされた、住大夫さんが語る言葉の一つ一つにも、実に味わい深く胸を打つものがありました。やはり根っこのほうで「好き」だと思う気持ちが大事なんだな、ということを教えられたように思います。
また、文楽が歌舞伎などにも強く影響を及ぼしているということも、この番組で知ることができました。300年にわたって連綿と続いてきた、文楽の底力を認識させられた次第です。
文楽という伝統芸能について、もっといろいろと知りたくなってまいりました。機会があれば、劇場でも鑑賞してみたいですね。
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