読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【追記の上で再投稿】『聞いてチョウダイ 根アカ人生』 熊本に育てられた名優・財津一郎さんが語る、80年の泣き笑い人生

2023-10-19 20:58:00 | 本のお噂

『聞いてチョウダイ 根アカ人生』
財津一郎著、熊本日日新聞社(発売=熊日出版)、2015年


テレビ、映画、CMで幅広く活躍し続けている俳優、財津一郎さん。子どもの頃から、そのユニークな存在感に親しんでいる好きな役者さんですが、わが宮崎のおとなりである熊本のご出身で、3年前に自叙伝をお出しになっていたということを、つい最近になって知りました。
さっそく取り寄せて読んでみたその自叙伝『聞いてチョウダイ 根アカ人生』は、出身地熊本のローカル紙、熊本日日新聞の連載を書籍化したものです。熊本での少年時代、芸能界に進むきっかけとなった合唱と演劇との出逢い、喜劇王エノケン=榎本健一の演劇研究所での修業や、吉本新喜劇の劇団員生活を経て、芸能人として大成していくまでの、涙と笑いに彩られた80年近い人生が語られています。

書名には「根アカ人生」とあるものの、財津さんの人生はけっして、明るく順風満帆なだけのものではありませんでした。
太平洋戦争の頃までは地主だった家に生まれた財津さんでしたが、戦後の農地改革でほとんどの土地を手放すことになります。そして父親もシベリアへの抑留で不在だった中、母親は慣れない農作業で苦労しながら、財津さんを含む6人の子どもを育てていたといいます。
にもかかわらず、財津さんはクラスメートから「地主の子」と言われ、いじめられる日々を送っていました。そんな財津さんを救ったのが、高校時代の恩師でした。学校田に財津さんを連れ出し、共に麦踏みをしながら、恩師はこう語りかけます。

「踏まれることでさらに強い麦になりなさい。耐えて強くなった後に、必ず勝負のときが来る。きょうから根アカに生きるとぞ」

その後の人生を変えるきっかけともなった、恩師からのこの言葉の意味について、財津さんはこう語ります。

「根アカというのは、明るいとか華やかとか、そんな簡単な意味じゃないんです。ピンチのときこそ志を持て、ピンチに立たされたときの経験こそ必ず人生の財産になるという意味なんです」

その後、人生のおりおりで苦労しながらも、恩師の言葉を胸にピンチをチャンスへと変えていく財津さん。トレードマークとなった「チョウダイ」というフレーズも、吉本新喜劇の劇団員時代の極貧生活の中から生まれたものだということを、本書で初めて知りました。
妻と生まれて間もない子どもを抱えながらも、ぎりぎりの極貧生活を続けていた財津さんが、吉本新喜劇の舞台で、息子と激しくケンカする父親を演じていたときのこと。家を出て行こうとする息子に向かって、財津さんが思わず放ったセリフが「やめてチョウダイ」でした。
実生活の苦しさを重ね合わせた「心の叫び」。笑わそうとはこれっぽっちも思っていなかったにもかかわらず、会場は爆笑の渦に。ショックを受ける財津さんでしたが、笑うのは馬鹿にしているのではなくて「がんばれや」という応援なのだ、ということを理解し「チョウダイ」というフレーズを売りにすることに。結果として財津さんの知名度は急上昇し、伝説的テレビバラエティ『てなもんや三度笠』(1962〜1968年)で、その人気を不動のものとするに至ったのです。

本書には、80年近い人生の中で出逢った、さまざまな人びとのことも語られております。亡くなる直前、義足に車椅子という不自由な体を押して、舞台の上で気迫のこもった演技指導をした喜劇王エノケン。つっこみだけではない「受けの芝居」を学ばせてくれた名優・藤田まこと。芝居を通して、悪とは何か、人間とは何かといった深いテーマを教えてくれた井上ひさし。少しも偉ぶることなく、庶民的で好感の持てる青年だったという坂本九・・・。それらのエピソードのひとつひとつも、実に印象的です。
そうそう、評判となったあの「タケモトピアノ」や「こてっちゃん」などのCMの製作エピソードにも、しっかりと触れてくれておりますぞ。

財津さんが恩師から教わった、ピンチの経験を人生の財産にするという「根アカ」な生き方は、わたしたちが生きていく上でも、学ぶべきものがありそうです。
人の関係の中で生じるピンチから天変地異による災厄まで、人生にはさまざまなピンチが訪れるものです。そこで膝を屈して終わるのではなく、それらを人生の財産として活かしていくことで出逢いにも恵まれ、強くしなやかな生き方ができるのではないか・・・。財津さんの人生は、そんなことを教えてくれるように思いました。
そんな財津さんの人生を支えた教えも、芸能界に進むきっかけとなる合唱と演劇との出逢いも、いずれも熊本時代にもたらされたものでした。財津さんはまさしく、熊本という土地で育てられ、その基礎をつくった方なのだ、ということも、本書で知ることができました。

財津さんが属している「昭和九年会」。文字通り昭和9(1934)年生まれの芸能人が集まったボランティア団体のメンバーですが、それに属していた方々の多くがこの世を去っています。愛川欽也、坂上二郎、長門裕之、牧伸二、山本文郎、大橋巨泉、藤村俊二・・・。時の流れとはいえ、なんとも寂しいことです。
本書を「遺書だという思いで」語ったという財津さんですが、一方で「でもね、僕は死なないよぉ」といいつつ、こう続けます。

「ゴールはまだ早い。止まりはしないが急ぎはしない。一日一日、生きていることをかみしめ、一歩づつ歩いていくのです」

そう。財津さんにはまだまだ、お元気でいていただきたいと心から願うのです。日本の芸能界の宝ともいえるお方なのですから。


(以上、2018年7月8日アップのオリジナル記事。以下は2023年10月19日に追記)

本書『聞いてチョウダイ 根アカ人生』の中で、「僕は死なないよぉ」と語っておられた財津一郎さんでしたが、2023年10月14日に慢性心不全のため逝去されました。89歳でした。
ショックでした。「まだ死なないって言っておられたじゃないですか!」と物申したい気持ちがいたしました。ですが、最愛の妻を失い(本書には、極貧生活が続いた中で支えとなってくれた、妻への感謝の思いも綴られております)、ご自身も病と闘い続けていたということを知るに及んで、今はただ「とても寂しいのですが、どうかごゆっくりとお休みになってください」と申し上げたいと思います。
このところ、さまざまな分野において長きにわたり親しんできた方々の訃報を多く目にいたします。これを綴っているつい数日前にも、ミュージシャンの谷村新司さんの訃報を目にしたばかり。喪失感で精神的にこたえます。
ですが、こういう時にこそ、財津さんが拠りどころにしてきた「根アカ人生」哲学で喪失感を乗り越え、「一日一日、生きていることをかみしめ、一歩づつ歩いていく」ことが大事なのでしょう。本書をあらためて繰りながら、そんなことを噛み締めております。
財津一郎さん、たくさんの笑いと希望を与えてくださり、本当にありがとうございます!!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿