しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

茂平の漁船数(昭和20年)

2019年09月05日 | 市町村史
昭和20年8月1日の漁船数が8隻となっている。
少なすぎる。軍に徴用されたのだろうか。




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明治初期の茂平の道路地図

2019年09月05日 | 市町村史
江戸時代の末期か、明治の初めの地図。


備中国小田郡茂平村
戸長1人
総代4人
の名前が地図に記されている。



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占有海面指定に関する件

2019年09月05日 | 市町村史
昭和20年4月20日
岡山県土木部長
岡山県警察部長
から
城見村長に占有海面指定に関する件が届いている。

呉鎮守府長官から、軍事上必要だから色塗りの場所を航海するなという命令書。
津之下の飛行場は既に運用中だし、軍で必要ならもっと早く発令があって(いいものではないが)いて不思議でない。




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赤紙・白紙

2019年09月05日 | 市町村史
赤紙・白紙

おば(父の妹)は「白紙をもらって児島に行った」と言っていた。
勤労奉仕のことを(赤紙に対して)白紙と呼んでいたようだ。

その時のおばの通達が残っている。

おばの仕事は「朝行くのも夜星、仕事からの帰りも夜星」で、泣きながらの日々だったと語っていた。




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戦死電報

2019年09月05日 | 市町村史
戦死電報

戦死電報が役場に届くと、吏員がその電報をもって自宅へ届けた。


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昭和16年の城見村の工場

2019年09月04日 | 市町村史
昭和16年の城見村の工場


昭和16年2月14日、
城見村長から岡山県知事に提出した「工業調査」を転記する。

わずか7工場。茂平はなし。陶器は対象外だったのか?

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工場名
藤川薄荷油製造所
小川薄荷油製造所
三好瓦工場
山陽呑口製作所
松浦製箱所
坂本製麺所
坂本鍛冶店
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「戦没者進級の件通知」

2019年09月04日 | 市町村史
「戦没者進級の件通知」

「戦没者進級の件通知」を転記する。



zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz



岡世一復公第xxx号
戦没者進級の件通牒
昭和22年5月2日  岡山地方世話部
城見村長殿
主題の件左記の通り発令せられましたので御伝達せられたく通牒致します。
左記
本籍地 岡山県城見村大字xx xx番地
陸軍伍長 xxxx
任 陸軍軍曹  (昭和20年2月3日)
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「在郷軍人名簿」をめくる

2019年09月04日 | 市町村史
「在郷軍人名簿」をめくる


「在郷軍人名簿 岡山県小田郡城見村」より転記する。


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兵科 歩兵
族籍 平民
本籍 岡山県小田郡城見村大字xx xx番地
官等級 (空欄)
氏名 xx長男 ●●○○  誕生 明治xx年xx月xx非
入隊 明治44年12月1日補充兵役
所管 岡山連隊区
現役 (空欄)
予備役 (空欄)
後備役 (空欄)
補充兵営 (空欄)
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城見村の佐官(戦没者遺族台帳より)

2019年09月03日 | 市町村史
生前父は、「城見村には尉官程度で佐官以上はいなかった」と話していた。
しかし佐官は存在していた。
しかも父が良く知る軍人であり、その父も子も知る人だった。二階級特進か(?)

戦没者遺族台帳 小田郡城見村役場 より転記する。

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戦没者遺族台帳 小田郡城見村役場


海軍少佐 従六位 〇〇●● 大正4年△月△日生
原隊 (空欄)
昭和20年8月28日 死亡
本籍 岡山県小田郡城見村大字xxx xxx番地
遺族 父 xx 明治xx年xx生 農業
   母 xx 明治xx年xx生 農業
   長女 xx
   長男 xx
   妹 xx
   弟 xx

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横島(福山市内海町)のタンク・鞆の高射砲

2019年08月12日 | 市町村史
岡山の記憶 第9号・2007年より転記する。

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「鞆後山高射砲陣地」探査記
昭和17年ドーリットル機の空襲で、呉鎮守府は初の空襲警報を発令した。
当時、高射砲陣地とする鞆・後山からすく近郊の横島(福山市内海町)に岩国陸軍燃料廠貯油槽を設置していた。
タンクは航空燃施設では国内最大規模で11基(円型・直径30m、高さ10m)を誇った。
のち計画される高射砲陣地はこの要地防空が主任務だったのは明白である。
8月8日夜、四国、荘内半島で福山へ針路をとったB29、91機は洋上4.000mの高度を保持し、福山に焼夷弾を投下した。
福山空襲時に対空発砲が行われた事実はつかめなかった。
一方、B29飛行58連隊の航空日誌には、対空砲火のあった記録が残っているが、反撃された砲台位置の記録はなられなかった。

武装解除
高射砲陣地の高射砲・付属機器はGHQの命令で解体されたり爆破された。
室浜廠舎は外地引揚者が入居した。
解体放置された鉄材は、朝鮮戦争の金ヘンブームで小片まで持ち去られ姿を消した。
それから高射砲陣地跡は放置され、まったく忘れられてしまった。
高射砲台座へは阿伏兎自然遊歩道東口から山林にはいればよい。砲座跡は保護のため粘土と土で覆っている。
証言 能登原
この村落に住む人は高射砲陣地や海後山(監視所)は日常的に望見することができた。
発射訓練は昭和11年11月ごろから。
風船(気球)を揚げ、それに向けて発射する砲煙を見た。
国民学校児童は慰問にいった。
昭和20年になると暁部隊が学校に泊まり松根油作業をしていた。

岩国陸軍燃料廠横島出張所・陸軍燃料廠航空燃料貯油所
昭和15年燃料廠が発足。
同時に陸軍により航空燃料貯油建設を開始する。
今もタンク防護壁と桟橋が残り、付近山間部には機銃座も最近確認された。
朝鮮戦争時には米軍が接収した。
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