以下、高梁川56号より転記。
「水島軍都」に対する空襲が必至の見込みとなったので、周辺地区に高射砲陣地及び20mm機銃陣地を配置する事になった。
呉鎮守府からきた砲術科要員の指導のもと急ピッチで防空陣地構築が進められた。
6月1日、予科練教育が正式に中止になると300~400人がこの水島防空隊に編入された。
編成は次の通りである。
王島砲台(王島山山頂) 8インチ砲 5門
中畝砲台 12.7インチ高角砲 3基
連島砲台(箆取山) 8インチ砲 5門
玉島砲台(狐島) 12.7インチ高角砲 3基
機銃座(倉敷空内) 飛行機搭載用20mm機銃 10基
機銃座(三菱滑走路ふきん) 飛行機搭載用20mm機銃 基数不明
また定員分隊では「農耕班」を結成して自給自足体制を備えていく事もしている。
隊内の未整地で食用に牛を飼い、野菜や稲を植え、竹竿をたててカボチャをならせ、甘藷やともろこしも植えた。
残留予科練の陸戦隊は三菱航空機製作所の雑作業や、掩体壕の構築、物資の疎開、工場の移転手伝い、塩田開発、男子のいない農家への手伝い、といった隊外作業に派遣されていた。