しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「わたしは倉敷航空隊の予科練だった」④水島空襲以降

2015年09月15日 | 昭和20年(終戦まで)
以下、高梁川56号より転記。

震洋特攻隊要員着隊

6月29日と7月7日、呉鎮守府直轄の「水中水上特攻訓練基地」となった倉敷空に震洋特攻隊に選抜された甲14期500名が宇和島空と小冨士空から着隊してきた。
しかし訓練設備が整わないため特攻訓練は何一つできないまま終戦を迎えたようだった。

抜根隊

わたしは抜根隊編成になり、22期、23期生4名を引率して岡山県吉備郡福谷村に派遣になった。
松根油とは、松の根っこのヤニから航空燃料を作ることである。
中国地方5県の松根油工場には、すべて倉敷空予科練が派遣された。
1チーム5~10人くらいで、推定1500人が投入された。
わたしは7月10日倉敷空に戻り、佐伯空で両手に爆雷をもって上陸してくる敵戦車に飛び込む訓練を受けていて終戦になり、9月1日付けで二等飛行兵曹に進級して予備役編入になった。
9月18日、800余円の退職金をもらって復員した。
なお倉敷空は8月25日解隊式が行われ、約10ヶ月の短い幕を閉じた。

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