しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

赤痢は死ぬ病気だったか?

2016年12月14日 | 暮らし
昭和20年、
現在の福山市域では、米軍の福山空襲による死者数よりも赤痢で亡くなった人の方が多かったそうだ。
管理人の家では(以下母の話)昭和20年
隣家のおじさん(50代)が出所で、祖母(当時50代)、曽祖父(80代)がなり、隔離病棟に送られた。いちばん年長の曽祖父のみが亡くなった。

資料によれば、昭和20~40年までほぼ毎年100.000人程度の発病者がいた。
患者数に大きな変化はないが、死者数は激変している。
昭和20年に10.000人程度だった死者は、昭和40年には1000人。昭和50年には患者1.000人、死者10人程度。
怖い伝染病とはいえ、貧者・弱者が死亡していたようだ。

笠岡市笠岡では東京五輪の年、飲み水にも事欠き、200人赤痢患者がでたが死者はいなかった(と思う)。日本が既に貧国ではなかった一つの証明かな?


コメント (1)
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