黄河を渡り済南へ
途中、同輩が苦心して得た○○駅、○○駅を戦跡を眺めながら渡る。 銃弾砲撃した跡を眺めつつ通過していく。 各駅は警備の兵が我々の○○を守ってくれる。 日中は大変暖かくなってきた。 広漠たる地平線、遥かなる地平線を汽車は、一路大陸へ大陸へ。 部落には日章旗と五色がひるがえっている。 農夫もみうけられた。 子供たちは鉄道付近にきたりて、「バンザイ」「バンザイ」と叫びつつ、僕らを歓迎してくれる。 午後6時30分。東洋の大河・黄河の鉄橋にとおり着く。
その鉄道は陰もなく破壊され、むしろなにを運ぶ・・・・無事汽車は通過し、午後7時汽車は済南に着いた。
【父の談話】2001年8月6日(破壊された黄河鉄橋では)船を繋いで、その上にレールを敷いとった。 爆破しっしもおて、鉄道があったのが。 船は浮きになるんで、その上に柱を繋ぃで、鉄橋にしとった。
済南に着く
済南は山東の都だ。建設物が勇壮で、実に平穏だ。
しかし空爆のあと、砲爆の跡、銃撃の跡が見える。
ごうけん部落の××にて合掌する。
赤柴部隊へ
遠くのほうで銃声・砲声が聞こえる。しかし、待ちに待った戦場へいよいよ到着したのだ。
戦車・装甲車の車輪の音。 自動車のひびき、ごうごうたる○○本部だ。
本日はいよいよ隊へ配属されたのだ。 自動車にて一路戦線へ、戦線へと進む。
途中の戦跡、戦傷者の輸送。 各隊のものものしい警備。 顔、みな悲壮な決心がうかがわれた。
無事午後1時30分、赤柴部隊本部へ到着する。ああ戦場の柳の木、しょうようは散り倒れ、穴も各所に見受けられ、時々は、敵の不発の手のやつが空をじっとにらんでいる。 実に物騒なところだ。
流弾が地上をかすめる。 兵は皆、鉄帽をかぶり家の内や、穴の中に潜り込んでいる。いよいよ、第一戦だなあ、でも赤柴隊長殿の英姿をあおぎてわれ等も元気をだす。
言葉をいただき我等衛生兵10名はそれぞれ各隊へ配属される。
「父の野戦日記」昭和13年5月15日
【父の談話】2001年8月5日
父の談話
そりゃ、行ったときにゃ皆。穴ん中へおったんじゃけいのう。 穴の中から出てきて挨拶。せぃが済んだらまた穴ん中へ。
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「歩兵第十聯隊史」 歩兵第十聯隊史刊行会 山陽新聞社 昭和49年発行
昭和13年5月14日瀬谷支隊命令
一、徐州方面の敵軍は動揺、軍は速やかに主決戦を徐州西方地区に導き敵の撃滅を図る。
二、支隊は逐次第百十四師団と交代する。
これに基き赤柴聯隊長は15日、要旨命令を出した。
斯くて、5月15日各隊は転進のための交代準備に忙殺されつつあった。
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「近代日本戦争史・3」 奥村房夫 紀伊国屋書店 平成7年発行
徐州正面では、第二軍の第五師団、第十師団が中国軍を十分に牽制、抑留した。
5月6日派遣軍司令官畑俊六は、南京周辺の警備に任じていた第三師団軍にも、徐州作戦への参加を命じた。
台児庄正面では、牽制・拘留に任じていた第十師団が、その任務を第百十四師団に譲って嶂県付近に集結し、その先遣隊は5月16日、微山湖を渡って西岸に進出した。
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「歩兵第十聯隊史」 歩兵第十聯隊史刊行会 山陽新聞社 昭和49年発行
我が聯隊は敵と近く相対峠し、大いなる犠牲を払わずんば到底戦闘を進捗せしむるに能わず。
戦線は膠着し戦闘は遂に交綬状態に陥った。
支隊は現在の戦線を堅固に確保し次期作戦を準備せんと5月4日から14日に至った。
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