場所・岡山県岡山市北区丸の内 (烏城公園)
山陽路に聳えていた岡山城と福山城の天守閣は、その時期をほぼ同じくして、
昭和20年に米軍の空襲で焼失。
昭和41年前後、コンクリートで天守閣再建。
令和4年、改修工事が完成しお披露目。
岡山城天守閣は金の鯱が、いっそう光り輝いている。
その烏城天守閣の石垣の前に笠井信一・元岡山県知事の銅像が建つ。
笠井知事は戦前、貧民救済に尽力し、今も県政に名を残している。
笠井信一
(Wikipedia)
笠井 信一(かさい しんいち、1864年7月22日(元治元年6月19日) - 1929年7月25日)は、日本の内務官僚・政治家。貴族院議員。
経歴
静岡県出身。笠井勘三郎の三男として生まれる。
静岡県立静岡中学校、第一高等学校を経て、1892年、帝国大学法科大学を卒業した。
1893年2月、内務省に入り、内務属として警保局に配属された。
1907年1月、岩手県知事に就任。
1913年3月、地元出身初の静岡県知事に就任。
1914年6月、岡山県知事に転じた。
1917年5月、後の民生委員制度の先駆となる済世顧問制度を制定した。
1919年4月、北海道庁長官に就任。
1921年5月、貴族院勅選議員に任じられ、交友倶楽部に属し死去するまで在任した。
撮影日・2022.11.13