しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

山頭火 「まったく雲がない笠をぬぎ」

2022年12月24日 | 銅像の人

場所・山口県山口市小郡  JR新山口駅(新幹線口)前

俳人・種田山頭火は日本各地を漂白し、各地で句を詠み、各地に句碑が残る。

その風貌は牛乳瓶底メガネの乞食坊主姿。
句にある”笠”は、安物の菅笠でなく、先達が被る網代笠を愛用していた。
生き方も、句も自由で、生前も今もファンが多い。

 

 

(Wikipedia)

種田山頭火

1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、
日本の自由律俳句の俳人。山頭火とだけ呼ばれることが多い。

山口県佐波郡(現在の防府市)の生まれ。
『層雲』の荻原井泉水門下。
1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。
各地を放浪しながら1万2000余りの句を詠んだ。

 

 

 

撮影日・2022年12月19日

 

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久坂玄瑞進撃像

2022年12月24日 | 銅像の人

場所・山口県萩市江向  中央公園(萩城城下町側)

 

幕末の萩藩で、もっとも急進的な討幕派の志士として知られ、
蛤御門の変で25歳で敗死した久坂玄瑞の像。

 

 


萩市観光協会公式サイト

久坂玄瑞進撃像

尊皇攘夷の先頭に立つ、若き久坂玄瑞の立像
城下町の近くにある「中央公園」の一角に、平成27年1月に建立されました。
松下村塾の双璧と称され、尊皇攘夷派を牽引して国事に奔走し、いまから151年前の元治元年(1864)禁門の変(蛤御門の変)にて25歳の生涯を閉じた久坂玄瑞。
吉田松陰から「防長年少第一流の才気ある男」と絶賛され、松陰先生の妹・文(大河ドラマ『花燃ゆ』のヒロイン)と結婚しました。

銅像の高さは1.8mで、台座を含めて3m。尊皇攘夷の先頭に立つ若き玄瑞の立像となっており、右手を上げて力強く東を指す、勇ましく凛々しい姿です。

 

 

撮影日・2022年12月19日

 

 

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佐々木義彦翁

2022年12月24日 | 銅像の人

場所・山口県萩市江向  中央公園

 

山県有朋騎馬像のすぐ近くに佐々木義彦翁の胸像がある。

山県の像があまりに立派なので、ついつい、小さくて気の毒と感じてしまう。

 

 

胸像の隣に立つ説明文を写す。


佐々木義彦

明治20年(1887)生まれ、萩中学校を経て神戸高等商業学校を卒業した。
台湾銀行を経て、帝国人絹・日本製粉・神戸製鋼などの重役を歴任し、
昭和36年(1961)東邦レーヨン社長に就任した。
萩に対しては小学校の施設整備や灌漑用水と公会堂の整備などに多額の寄付をし、
教育の充実や福祉の増進に大いに貢献した。
昭和47年、萩市の名誉市民に推挙された。
台座の文字は総理大臣をつとめた佐藤栄作の揮毫である。
               萩市

 

撮影日・2022年12月19日

 

 

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