しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「奥の細道」山中や菊はたおらぬ湯の匂 (山中温泉)

2024年09月11日 | 旅と文学(奥の細道)

北陸本線『加賀温泉駅』には、三つの温泉地が大きく観光表示されている。
それが「片山津温泉」「山代温泉」「山中温泉」で、まとめて加賀温泉郷と呼ばれる。
近接した駅に『芦原温泉駅』もある。

芭蕉一行は、芭蕉と曾良に加え北支の三人で金沢から山中温泉を訪れた。
なぜ数ある名湯のなかで、山中温泉が選ばれたかと言うと
和泉屋という温泉宿の主をしている久米之介に会うため。
和泉屋は代々風雅のたしなみがあった。

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旅の場所・石川県加賀市「山中温泉」 
旅の日・2020年1月28日                  
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉

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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行

山中や菊はたをらぬ湯の匂(にほひ)

(昔、菊慈童が桃源郷に、大菊から滴り落ちる甘水を汲んで、八百歳の齢を保ったというが、
この山中の温泉は、長寿延命の菊を手折るにも及ばぬ、かぐわしい湯の匂いであるよ。)

 

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「超訳芭蕉百句」 嵐山光三郎  筑摩書房 2022年発行

「菊はたおらぬ」の謎とき。


芭蕉が逗留した和泉屋前に共同浴場「菊の湯」がある。
山中温泉の総湯で、緑瓦の天平造りだ。
玄関前の植込みには松と石灯籠があり、日が暮れると軒下の提灯に灯がついた。
入浴料を払って入ると広い脱衣場があり、浴室はもうもうたる湯気につつまれている。 
浴槽の中央に大理石の柱があり、そこから四方へ湯が出ている。
無色透明のカルシウム・ ナトリウム泉でかなり熱い。
しかし入って一分もすると熱さになれる。
浴槽は深さ一メートルもある。
これが天下にきこえた山中の名湯だ。芭蕉はこの山中温泉に八泊した。

山中の湯は、湯上りがすっきりする。
いつまでも軀がほんのりとあたたかく、湯を出て和泉屋跡に立つと、「俳文・温泉頌」の石碑があった。
芭蕉が泊った和泉屋主人久米之助 は、十四歳の少年で、水もしたたる美少年であった。
乞われるまま「桃妖」の俳号をつけてやった。
桃青から「桃」の字を与えるのは、よほどのことで、それほど久米之助がかわいかったのであろう。
その思いが、この旬に秘められている。

桃妖の墓は医王寺山中の墓地にあるが和泉屋は没落していまはない。
「旅人を迎えに出ればほたるかな」のいかにも宿の主人らしい句を残している。


芭蕉は山中温泉で大垣藩士の如行へ手紙(元禄二年七月二十九日付)を出した。 
「奥州の旅を終えていまは山中の湯にいる。これから敦賀のあたりをへて、十五日の名月を琵琶湖か美濃のあたりで見る。
その前後に大垣に着く。塔山 (大垣町人)や此筋子(大垣藩士、一家そろって蕉門)らによろしくお伝え下さい」

手紙を受けとった如行は芭蕉が大垣にくるのを待っていたが、芭蕉はなかなかやってこない。
山中温泉で曾良はひと足さきに発った。
体調を崩したためという。
「山中や菊はたおらぬ湯の匂」
は難解な句である。 
「山中や」はわかるが「菊はたおらぬ 湯の匂」がわからない。
山中温泉は無色透明のサラリとした湯で匂いはない。
それがなぜ「湯の匂」なのか。
さらに「菊はたおらぬ」とはどういう意味なのか。

山中温泉の効能--皮膚や筋肉がつややかになり、湯が骨にまでしみて心がゆったりとして、顔色が生き生きとなる。
菊慈童が菊の露を飲んで長命を得たという故事があるが、菊を折らなくても、湯につかるだけで延命長寿の効能がある。
そもそも菊慈童とはなに者であるか。
菊の露を飲むと、それが不老長寿の仙酒となって七百年の長寿を得た。

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