金沢から門弟の北枝が半月間同行した。
松岡まで来て、そこで北枝と別れることになった。
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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行
金沢の北枝という者が、ついちょっと見送るつもりだったのが、とうとうここまで慕って来た。
彼は、道中すがら方々のよい風景を見過さず句を案じつづけて、時おり情趣のある着想の句を見せるのであった。
今、いよいよ別れに臨み
物書いて扇(あふぎ)引きさく余波(なごり)かな
(ここまで持って来た夏の扇に、無駄書きなどしては、引き裂いて捨てようとするが、いざとなると名残が惜しまれる。
そのように、長いあいだを共にした北枝との別れも、名残惜しいことよ。 季語は「捨扇」)
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旅の場所・福井県永平寺
旅の日・2013年11月5日
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉
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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行
五十町山に入って、永平寺を礼拝した。
道元禅師の開かれた寺である。
畿内の地を避けて、こんな山陰に跡を残されたのも、尊い理由があったという
(入宋当時の師、如浄禅師が越州の人だったので、越と聞くだけでも慕わしく、
進んで越前に下ったという)。
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永平寺を見物後、芭蕉は福井へ向かう。
そして、門人の等栽の家を訪問する。
この家の情景の描写がおもしろい。
小学生の作文のような正直さに笑える。
夕顔、糸瓜、鶏頭、帚木草の庭先を想像するのも楽しい。
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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行
福井は三里ばかりなので、寺で夕飯をしたためてから出たが、
たそがれの道のおぼつかなく、なかなかはかどらない。
この福井には、等裁という古い隠士がある。
いつの年であったか、江戸に来て私を訪ねた。
十年あまりも前のことである。
どんなに老い衰えているだろう、あるいは、死んではいないかと人に尋ねると、
まだ生きながらえていて、どこそこにいると教えてくれた。
市中からひっそりした一劃に引っこんで、粗末な小家に夕顔・糸瓜が生えかかって、
鶏頭や帚草が戸口を隠している。
さてはこの家に違いないと、門を叩くと、みすぼらしい女が出て来て、
「どちらからお出でなされた行脚のお坊さんでしょうか。
主人はこの近くの何がしという者の家に参りました。
もし御用ならそちらをお尋ね下さい」と言う。彼の妻であることが分る。
昔の物語にこんな風情の場面が出ていたと、興深く思いながら、やがて彼に逢って、
その家に二夜泊り、名月は敦賀の港で見ようといって、出立した。
等裁も一緒に見送ろうと、裾を面白い好にからげて、路案内だと、浮かれ立つ様子である。
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