しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

終戦直後の指令①金光中学校

2020年12月04日 | 昭和20年(戦後)
「金光学園百年のあゆみ」 金光学園 





終戦直後の指令・金光中学校

終戦直後は、次から次へと指令が発せられ、また調査報告が要求されて、その事務に忙殺される有様であった。
昭和20年第二学期は、9月3日職員生徒登校、翌4日から授業を開始した。

9月10日、県神祇教学科から指令が届いた。
それは銃器返納を請求してきたのである。
最上級生が各自二挺ずつの銃をもって、あの混乱した輸送事情の中を汽車で岡山へ向かったのである。

11月19日、県が学校当局を招集して、マ司令部の主旨に基づくとして軍事教育を廃止すること、職業軍人の追放、教科書から不適当な箇所の削除、校歌、校訓、額、掛軸等から戦時色を拂拭すること、
その他伊勢神宮大麻奉斎の神棚撤去等の指令があり、
また挙手の敬礼その他軍隊的動作、作法は避ける要ありなど、細部に亘る注意事項の指示があった。

11月23日、文部省主催の教育新方針講習会が三原で開かれ、そこで武道も滑空も共に全面的に停止、
また団体的訓練はマ司令部の喜ばざるところで、今後隊伍を整え、歩調を取っての行進は廃すべきものと指示された。

越えて昭和21年1月7日、修身、歴史、地理の三教科につき、現行教科書使用を即時禁止。指示するまで授業を停止を指令された。
1月9日、戦争に関する書籍一切を提出せしめられた。

1月12日、両陛下の御真影全部を奉還することになって、都窪浅口地方事務所へお移し申し上げた。

2月2日、進駐軍検査官一行が来校した。
一行は書籍の破棄も行き過ぎにならぬようにと注意を与えた。

人心の荒廃は学生界にも大きく響いたが、幸い本校の生徒は、混乱のなかにあっても、安定を得ていたことを心強く感じている。

三代目校長「60年のあゆみ」より

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